たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

「流れ」論

2011-08-26 02:29:17 | Weblog
 むかし、ぷらちなロンドンブーツって深夜番組で、Not100ってのがあった。
 ロンブーの2人とゲスト2人の計4人が、+1~+3までの数字を順番に言いながら食べ物に七味やタバスコなどをかけていって、100を言ってしまった人が、その食べ物を食べなきゃいけないってゲームで、かなりおもしろかった。

 いつだったか、ロンブーの亮が、このゲームに関するまとめをゲストに言ってたんだけど、それによると、色々心理戦になっていくけど「97を言ったら勝ち」って一点だけを忘れないようにすること、それから、なんかわからないけど、100になってしまうような流れや空気を自分に向けないこと、がこのゲームに勝つポイントらしい。

 負けちゃう流れから逃げる、ってのはNot100に限らず、飲み会系のゲームでは必須のポイントだ。山手線ゲームでも、愛してるよゲームでも、一番のポイントは、絶対に負けない側の人間のオーラを出すこと。負けを恐れて、それを表情に出してたら、どんなに山手線の駅名を完璧に言えたとしても、負ける可能性は高くなってしまうのだ。
 負ける流れがこっちに向いてきても、何も動じず、『いや、俺が負けるとか、ありえないっしょ?』って態度を取り続ける。そうすれば、だいたい勝てるのだ。まぁ、負けたい時ってのもあるから、使い用だけど。

 そう考えると、「流れ」って、その他の色々な場面でも結構大事。

 きちんとしたディスカッションが出来ることが保証されている、ゼミとか論文紹介の授業とか、割とこの「流れ」みたいなんが大事で、この流れにのっていない限り、発言をすることは難しくなっていく。また、全体の「流れ」みたいなのもあるから、自分が発表する順番がまわってくるまでに、実力に不安があるような時は、自分にとって都合のイイ流れを作っておくと良い。(ちなみに、「流れ」を考慮しなくてイイ分、基本的には、一番手が一番やりやすいと思っている。)
 まぁ、あえて、自分に不利な流れを作って、自分の実力を試す、ってこともするけど、ガチ勝負ばっかりしてらんないし、どうでもイイことも多いから、俺はこれくらいは前々から考えるようにしている。

 「流れ」を自分でどこまで作れるかはとても難しい問題だけど、間接的に「流れ」に依存している変数はいっぱいある。Not100では、+1~+3までの数字を言う権利と、参加者を不安にさせるような発言を言う権利があるわけで、あんな機械的なゲームでも、出来ることは沢山あるのだ。
 具体的に観えないモノに対して努力することが、「流れ」を意識する中では大切だし、たったひとつの道を通っていきゃーイイってもんじゃないことを、本当の意味で理解することが、「流れ」をコントロールする秘訣だと思っている。

 ただ、97と誰かに言われてしまった後に、出来ることは少ない。
 俺は、自分の中の、イイ「流れ」を作ったり、それを利用したりするのは、(自分で言うのもなんだけど)超得意だけど、物理現象によって、すでになってしまっている、悪い「流れ」に対して、行動力を発揮することに関しては、超下手だと思う。

 俺には、行動力なんて、ホントに無い。風向きに合わせて行動したり、イイ風向きを自分に向けることは得意だけど、強い逆境の中を、身体一つで突き進むような行動力を兼ね備えてるわけじゃないのだ。

 でも、大丈夫。「流れ」はひとつじゃないし、持っている系や場所もひとつじゃない。特に俺の場合はね。
 イイ「流れ」にしたいガチの系が悪い「流れ」になってしまっていたら、別の、どうでもイイ系からイイ「流れ」を借りてきて、あとはずっと、そのイイ「流れ」を引きずらさせる、みたいなことも出来るから。

 それでもダメなら、待ってみる。距離をとってみる。イイ「流れ」は、いつか必ずやってくるし、それまでの俺の努力だけでも、そうなる可能性があるし、間接的に「流れ」に依存しているパラメータはいくらでもある。
 出来ることがなくならないんだから、出来ることをやっていれば、必ずイイ「流れ」がやってくるのだ。そして、その時に、勝負すればイイ。

 30分の深夜番組と違って、生活は、際限なく長い時間で満たされているんだから。

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コメント
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