たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

相互の能力の大切さ

2011-03-19 04:22:29 | Weblog
 俺は、感情も能力も両方無い者の下にはつかない。形の上でついたとしても、俺の気持ちをきちんと奪えてない限り、俺は仕事をきちんとしない。何事も無難に済ます。系内の平均的な描像で動ければ、それが、無駄のない、いつもの必勝パターン。
 ここで言ってる能力には、経験は含まれない。実質的に下につくんなら、経験は、あって当然。無いなら、どうして下についているのかわからないから、そんな最低なヤツの下についてしまったんなら、無難さえも時間の無駄。物理的に、さようなら、だ。

 逆の立場として、この判定基準を、自分よりも実質的に目下の方にも、望んでいる。優しい者か強い者に従え!できれば両方を持った優秀なヤツに従え!それ以外のザコに従う必要は無い、ってね。
 「優秀」って言葉は書き下すと「優しくて秀でている」んだから、感情も能力も素晴らしいことを言うのだ。「優れてるし秀でてる」でも良いじゃん?ってツッコミはナシで(笑)。

 でも、世の中そんなに簡単にはいかない。大抵は自分と相手の2体系じゃないから、目上の人がどんなにサイテーでも、ゴマすりヤローがいる限り、空気を読まないと、その集団の中で上手くやってけず、結局負けちゃうことになる。
 もしも、ゴマすりヤローのゴマすり行為を自分の能力だと勘違いしているサイテーなヤツに負けたくないなら、、

 『手っ取り早いのは、より高位の言葉を取りに行くことです。高位じゃなくても、沢山の言葉を持っていれば、相手を翻弄することができる。特に、感情も能力も無い、ただ言葉だけを得てきたバカな人間には、即物的な言葉達は効果的だから。
 あとは、自然科学の世界を選ぶこと。他の世界よりも、自然科学の世界は、権威などではなく、より正しいことを言った人が勝てる世界だと思う。他の世界よりはね。』

 俺は、自然科学そのものはもちろん好きだけど、その副産物である、正しいことを正しいと言うための解析力と勇気が身につくことも、最高だと思っている。
 本当の敵は、もちろん、自然現象や残酷な物理現象だ。
 だけど、権威を振りかざされ暴力を振るわれても、「世間体」という言葉で誤魔化すのが世の常なら、それに対抗出来得る思考力を身につけることが、大切になってくる。

 つまり、他人の感情と自分の感情を守るために、能力は大切。

 本来、感情のベクトルさえ素晴らしければ、能力なんてどうでもいい。
 でも、今の世の中じゃぁ、少なくとも誰か一人は、即物的な、能力や賢さがあることが必要なのだ。感情を守るために。

 「たかが自分の感情だから大丈夫」とか、「好きじゃないからどうでもイイ」とかじゃなくて、どーせ、ほとんどの人が、いつかは守らなきゃいけない日が来るんなら、他人の感情が殺されていくことに慣れないようにしなきゃだよね。
 だからこそ、能力をつけようとすることは、とっても大切なのだ。

 (このシリーズもここまでにしときます。3回にわたって、大切な順に書いてみました。
 『優先順位を間違えちゃいけない』っていつも思っていますが、この優先順位で、やっていこうと思ってから、結構時間が経っていますね。もちろん、これでスベテってわけでもないんですが。
 普段からこのシリーズで書こうと思っていたんですが、なかなか、まとまったお休みが無いとできないですね。っま、そろそろ実験をしない研究の計画でもたててみようかと思っていますが。計画停電が4月末までだったら、それまで実験がフワフワしちゃうなら、いっそ全部止めて、別のアプローチの仕方を勝手にしてみようかと思います。
 これまでもこれからも、いつもの自分っ、ケースバイケースな感じで。いろいろ大変ですが、選択肢が沢山残ってる関東圏の人達は、まだ幸せだよなぁ。)
コメント
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