桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

判検交流

2012-04-26 | Weblog
これまで批判されて来た裁判官と検察官が任務を変えて交流して来た「判検交流」制度が廃止されると報道された。遅きに失するとは言え、良かった。めでたい。
これまで、何人もの冤罪仲間が、この判検交流人事で苦しめられたか知れない。有罪判決をくだして、すぐに検察官に戻った裁判官もいたが、無罪判決が出ても「たまたま有罪が立証出来なかっただけで犯人だ」などと言い続けるのが検察官なのだから、そんな連中を裁判官体験をさせるなんて、どう考えても良い制度であるがはずがない。この改正は社会に生まれた検察庁批判の強さによって行われたそうだが、この程度で終わると考えているならば、検察庁は甘いだろう。
検察庁は、単に捜査と裁判に係わるだけの組織にするしか、この連中の悪さを止める手段はない。再審開始決定に醜い抵抗を続ける検察庁が、真に社会の批判を浴びるのは、これからだし、きっと思い知る日が来るだろう。

小沢裁判

2012-04-26 | Weblog
小沢裁判に無罪判決があった。まあ証拠がないのだから当然の結果だろう。
この小沢裁判は、社会に検察の無法さを知らしめた。自分たちが犯人だ、犯罪だと見込んだらば、何でも行うのが検察庁だと、きっと多くの人が知ったに違いない。
石川議員の捜査報告書の偽造を行ったのは特捜部だが、検察庁の行いに特捜部と一般事件の差はない。どのような事件でも、自分たちが思い込んだらば、平然と資料を改ざんするのが検察庁なのだ。
小沢さんの無罪は当然だが、しかし、小沢一郎という政治家が行った不透明な土地入手については、この無罪判決が免罪符にはならない。他にも沢山の政治家が、小沢さんと同じように不透明な行為をしていることも報じられ、ゆえに官僚と闘う政治家小沢一郎を許すべしの論もあるが、たとえ他にも同じような政治家がいたとしても、それも免罪符にはならないだろう。