桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

やるねぇ

2011-07-14 | Weblog
群馬県知事、なかなかですなぁ。
知事公舎に、昨年から40回以上も女性を泊めたらしい。
まあ男だし、あるわね、そんなことも。知事と言う立場、公舎と言う場所、問題はあるが、あっても当然で、この大沢正明知事、やりますなぁ。
うん、その言い訳も、なかなかだ。愛人関係報道を問われて「意味がわからない」と来た。何回も泊めて、まさかお手手を繋いで横になっただけとは言うまいが、こっちが、意味が判らないと言いたくなるね。ここまで厚顔でなければ、政治家や知事は勤まらないのかも知れないね。この知事、「退職金はいらない」と公約して当選したらば、アッサリと撤回して貰った人だから、しょせん、この程度の男。
こんな程度の低いの、何で当選出来るのか、考えは、そっちに行ってしまう話題だった。

終戦

2011-07-14 | Weblog
今年の巨人のペナントレースが終わった。この前、新たに外人選手を採ったときに終焉だと書いたが、完全に終わった。
あれは原監督の選手生活晩年だった。2軍での調整を言われた原は、それを拒否して引退を選んだが、将来、指導者になるときに約に立つから、絶対に2軍生活をするべきだと、俺は日記に書いた。
今の原監督の指揮にある欠陥は、あのときの判断ミスにあると思えてならない。
不調のときは耐えるしかない。いたずらに動いたり、あれこれと目先を変えたりするのは、一見、積極的に見えるが、違う。却って監督の焦りを示して、選手の士気をおとしめたり、勝負運を遠ざけたりするのだ。それが耐えた体験をしなかった原辰徳には、判らないとしか思えない。
昨夜の、東野の投入には、もはや論評の言葉がない。愛読紙、スポーツ報知紙上でも、その懸念を達川氏は書いていたが、開幕投手を任せた東野を、いかに押え投手の不在はあろうとも、そして東野自身の不調はあろうとも、ここで配置転換しては、それぞれの立場で努力していた選手を腐らせてしまい、投手陣全体を歪めてしまうのは当然だ。
こんな場当たり的な采配をしては、絶対に狂った歯車は戻らないだろう。
原辰徳は、高校時代から花道を歩き続けて、挫折を知らない。選手としての不調はあり、苦悩はしたろうが、挫折ではない。あのとき、もし原辰徳が2軍生活を受け入れていたらば、今の指揮はないのではなかろうかと思うと、かえすがえすも残念だ。
これで原監督の監督生活は終わりになるだろうねぇ。

貝の店

2011-07-14 | Weblog


映画挨拶後、テレビや新聞の取材を受けて、映画館の人と救援会の人たちで食事に行った。
そこで、尾道の映画文化を守るために、女性支配人が映画館を立ち上げた話を聞いた。若いのに大したものだと感動すると同時に、人間社会に不可欠な文化なのに個人の努力任せの、政治の貧困に怒りを感じた。
食事の後、地元新聞の記者、地元の救援会員、支配人との4人で、昔の遊廓があったらしい飲み屋街へ行った。
地元の救援会員の人が「貝の店」と言うので、貝でも食べさせるのかと思えば、全く違った。
余りに素晴らしい貝のコレクション。その量と美しさ、ため息が出るような店内だった。
店の経営者が趣味で集めた物らしいが、店主は「人との出会いによってだ」と言われた。出会いによって闘い、今がある俺には、素直に心に入る言葉だった。
尾道は、また新しい出会いの街だった。

尾道

2011-07-14 | Weblog
昨日は、広島から尾道の映画館に行った。
尾道は、今まで通過しただけ。どんな街かも知らなかったが、駅を下りると目の前には海があった。駅を出ると濃厚な潮の香りがするけれども、海は、少し広い川のようで、対岸を作る島が横たわっている。
向島と言うらしい。向かい側にあるから向島。単純なネーミングだが、この島は大きくて、その先にある瀬戸内海を隠している。
尾道の映画館は、駅と海の狭い地区にある。映画館には、地元のテレビ局が待っていて、女性支配人と海岸側の歩道を歩く様子の撮影をした。
俺が広島に来ることで、急きょ、昨日1日だけの上映を入れたようだったが、救援会の人など、かなりの人が来てくれていた。
話は30分。質問も入れて、何時も通りに俺の思いを話した。
新聞社が5社、取材に来て、冤罪に注目するマスコミに力強い思いを感じた。