山崎豊子さんの作品は読んだ事がない。取材力が物凄い、としか彼女に関する知識としてはない。凡人には思いつかないような発想で次々と問題作を生んだ。凄すぎて付いていけそうになくて読まなかった、いや読めなかったのだ。”沈まぬ太陽”は1985年夏の御巣鷹の尾根に墜落した日航機事故を取り上げそれまでの日本航空、会社のあり方も暴く。大企業相手によくぞここまで、と感心するしかない。身の危険を感じた事はなかったのか。ボディーガードを雇っていたわけでもないだろうが、女性とは思えない(失礼)勇気ある生き様。それまでにも公害問題をはじめ、様々な社会問題を斬って来た人だからこその技。映画公開時はその凄さを知らなかった。実際に拝見しここまでやるのかと驚いた。主人公役の渡辺謙さんは役になりきっていて、実直な人柄を上手く表現していた。彼の女房役、鈴木京香さんもとても良かった。年齢さがかなりあるはずなのにそれを感じさせず、しかも母親の優しさと強さを上手に演じ分けていて素晴らしかった。いつもの彼女とは違って見えた。墜落事故の場面は本当はもっともっと辛くて大変な日々であっただろうが映画ではやや柔らかめに仕上げてあった。遺族や関係者に配慮しての事と思われるが、それでも心が痛んだ。そこから目を逸らさずに真実を見る重要性。忘れかけていた事を思い出させてもらい、少しだけ覚醒した。
誰に何の期待もしていないが、選挙結果には毎度の事ながらがっかりさせられる。支持政党を持っていない、持てない事にも残念な思いを感じる。今回選ばれた10知事は全て現職の再選。これでいいのか。納得して喜んでいるのは自民党だけ。自・公の推薦を得て選挙に出た時点で勝利は当たり前の構図もおかしいのだが、事実はそのもの。ニュースで当選した知事たちの顔と声を聞いたが、どの人も人相が悪い。かつて母が「人相が悪いのは自民党。顔を見たらどの党か大体分かる」と言っていたが今になってその気持ちがよ~く分かる。彼らの略歴をみると殆どが官公庁から下ったんだか上ったんだか(どちらがどうなのか知らんが)その関係者。これも変。皆様学歴は立派でほぼ東大、京大。でもお爺さんが大半を占めていてこの傾向はせめてやめて頂きたい。総理大臣たちと同じで順番でなるものなのかも知れないが、せいぜい60代半ばくらいまでがいいところではないか。判断力の鈍りはどんなに賢い高齢者にもあるのだから。自治体のトップにまでなった人ならその程度の気働きが出来ないと駄目だと思うが違うのか? 全体的には投票率は落ち込み、候補者も減り(高齢化に伴い今後は更に加速する恐れあり)人々の無関心化が懸念される。地方も国もこのまま行ったらどうなるの? どこかに明るい未来を築こうとする政治家はいないのか。選挙のたび、強く願う。
老朽化した線路脇の柱が突然倒れた。驚くべき事故なのだが防ぐ事は出来なかったか。JRの話しでは古くなった事を把握していたので明日変える予定だった、との事だがそんなタイミングがあるのか。柱が倒れた事が分かってからも山手線及び京浜東北線も本数は少なかったものの運行していたそう。そんな事が有り得るの? 何だか全ての事が信じられない。走行中の電車に倒れ掛かってきたらどんな大事故に至っていたか。考えただけで恐ろしい。しかも今回はJRでの事だから目に見えた為、大事にならずに防げたとも言える。これが地下鉄だったらどうなのか。もちろん地上にあるような柱はないだろう。それでも素人には分からないが何かが狂ったら事故に繋がるものがあるに違いない。通常、地下鉄を利用しているので余計にそれが気にかかる。飛行機の整備やパイロットの健康状態などが交通手段の中では命にかかわりそうなので、懸念される場合が多い。ただ、この山手線のトラブルからどんな交通手段にも危険が潜んでいる事を改めて知らされた気がする。安全な乗り物なんて存在しないって事かー。怖い!
ヤンキース対レッドソックスの試合が延長戦になり、長々と19回にも及んだ。大リーグの歴史にはこれ以上に長い試合はあったそうで新記録にはならなかった。ただ、最長記録はレッドソックスが持っているらしいのでヤンキース史上では一番長い時間を戦った試合となったらしい。誰が先発だったのかも忘れてしまうくらいの時間が流れた。マウンドに何人のピッチャーが立ったのか。ベンチには数日後に先発予定のマー君が最後までいた。気の毒な事にはヤンキースは試合に負けた。今期のヤンキースは暗雲が立ち込めているよう。開幕投手にマー君をおいた事からして? とは思われたが。(失礼! )それにしても決着がつくまで何が何でも試合続行のアメリカ的な試合展開って面白い。その強気な姿勢は生きる上でとても重要に思える。ま、いいかと諦めるクセがついている身には引き締まる思いがした試合内容だった。それにしても両チーム共、お疲れ~。負けたヤンキースの面々は相当クサッタだろうなー。
子どもの行為が原因で起きた事故について、最高裁が親の賠償責任を限定する判断を示した。2004年、愛媛県今治市の小学校の校庭から出てきたサッカーボールをバイクに乗った80代男性が避けようとして転倒し1年半後に死亡。悪気はなかったにしろ、相手が亡くなった事で遺族は約5千万円の賠償金を請求。命に値段は付けられない、とは思うが80代に5千万円ってのも凄い請求のようにも思える。遺族にしてみたらそれでも少ない額なのかもしれないけれど・・・・。加害者となったのは当時11歳の少年。今回の判決に関して、両親と共にコメントが寄せられていたが随分と長く感じられた11年間だった事だろう。人生の半分をこの裁判に関わりながら生きてきたのだし。それが彼の運命だったにしても大変な人生を過ごしている。彼がどんな人物なのかは分からないが、生きる範囲が限られているようで何とも言い難い。我が家にも同じ様な事故を起こす可能性のある息子たちがいたが、よくここまで無事に来られたものだと改めて思う。彼以外の誰もが加害者になる危険性をいつでも持っている。この判決によって救われる人は案外多いのではないか。もっとも、逆の立場になったらこんな悠長な事を言ってはいられないよな。人間って勝手な生き物。