リンリン・ダイアリー

ブースカがお話します。

2012年12月19日 田中角栄とその娘

2012-12-19 23:16:56 | Weblog
 今度の選挙で落選した田中真紀子さん。これからどーすんのか。知ったこっちゃないけれど強烈な印象を残して去って行った、父角栄さんの子と思うとちょっと気になる。彼が総理だった時期、こちらは選挙権のないこどもだった。だけど妙に精力的で独創的な政治家、との思いは持っていた。支持する、しないは別にしての話しなんだけどね。元々自民党を信じなていないので(それは親の影響。父がなんやかやと自民党批判をしている家庭環境だったから自然とアンチ自民党になったんだと思う)仮に選挙権を持っていたとしても自民党がいい、とは思えなかっただろうけれど。それにしても彼は党を超えて格別の力を持っていたと感じた。人を引き付ける魅力があったんだろーね。真紀子さんが落選したことを受けてある政治評論家が言っていてた。角栄さんから人に対する思いやりを引くと真紀子さんになると。酷い事を言うなぁと思いつつこれは言い当てているのかも。政治家は押してばかりでは駄目。見えないところで相手のためになるような行為をさらりとしてのける。そんな精神を持っていないといけないんじゃないか。嫌らしい面も多々あった角栄さんだけれどそんなところが多くの支持者に受けた点だったのかもね。良きにつけ悪しきにつけ偉人だった、と思う。
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1 コメント

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ignorance (noga)
2012-12-20 04:09:04
サムライ日本・能足りん

日本人には、現実と非現実が分けられない。
日本語には時制がないので、非現実 (過去と未来) の内容も現実の形式で語られる。
次元の違う世界の内容を区別しないで話す矛盾を克服できない。だから、議論が成り立たない。
最悪のシナリオは、非現実・存在しないものとして無視されている。知的遊びにも叡智にも資することがない。

揚げ足取りを駆使して相手を消去する方策に徹する態度は、不毛の議論以外の何物でもない。
あるべき姿、未来像を堅持していなければ、建設的な議論は成り立たない。
建設的な意見は、理想に向かうための現実対応策である。

意見発表は、歌会形式になる。
「だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか」と言うことになる。
話は聞き流すしかない。あえて議論の価値を説く者はいない。
「議論をすれば、喧嘩になります」と言う。
‘問答無用・斬り捨て御免’ となるか。

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