パート先が定年を延長し、お婆さんたちも雇うようになって1年が過ぎた。そもそもの定年が68歳だったのでそれもどーなの? と思っていたところに更に高齢者たちが加わり(一度定年退職した人を呼び戻しもした)とんでもない事態に。もっとも68歳が急に新しいパートに就いたわけではないからなんとかはなっている。それなりの経験者なので仕事が全く出来ないわけではない。しかも仕事は事務系の補助のようなものなので真面目に取り組めば誰にでも出来る内容。しかしそんな仕事でも真面目に取り組む人とそうではない人、自己流でやろうとして周りともめる人、文句が多く付き合い難い人などがいて付き合う側は堪らない。自らも65歳を過ぎ、高齢者の仲間入りをしているのならともかくそこまでの年齢に達していない者からすると(そこでは少数派)彼女らの足りない面を補わねばならずやりきれない。労働条件が一緒なのだから嫌になる。せめて婆様たちは安い時給にしてその他の者にその分を加える事をしてもらえないものか。働く意欲がなくなり、私自身は短期で他バイトに精を出す。これがいつまで続くのか、悩みの種。
不思議な人、みうらじゅん。友達にはなれないしあこがれもない。だけど気になる存在。それがみうらじゅん。平凡で何になれるのか、何者にもなれないのではないかと悩む彼の分身の物語。年代ではあちらが先輩。彼の青春とこちらの青春(?)の時代はダブルところもあるので十分、その気持ちは理解出来る。あの時代は良かった! で終わる気はないが今の時代を生きる子たちにこの気持ちは分かるまい。分からないでいいから~。1970年代の終わり、せつない気持ちが充満した心地よい時代。あの頃に戻れるなら戻って若き日の自分に叱咤激励したい。もっともみうらじゅんさんはそんな気持ち、あらへんやろな。あん時はあん時。今は今。境界線をキチンともってはるようにお見受けするけどちゃうんか、みうらさん。そこんとこどーなの?
学生時代からの友達と鎌倉へ観光旅行に行った。彼女との再会は数年ぶり。今までは皆で都合と付け合い、年に1度は会う機会を設けていた。子育て、親の介護、仕事などで会えずにいた。本来なら5~6名で集うのだが、今回もそれぞれの事情によりふたりだけの再会。少し寂しい気もしたが、なかなか会えない友と会うのを楽しみにしていた。快晴の空の下、あちこち散策。由比ガ浜に宿を取り、美味しい蕎麦屋でいっぱいやりながら再会を楽しみ、くだらない話を夜中まで。このくだらない話をあーだこーだと言い合う楽しさ。他人には聞かせられないアホ話。それが出来る友がいる幸せ。来年こそ皆で集う機会を設けようと誓い、別れた。実現する事を願いたい。
新たな短期バイトをする為に、派遣会社へ登録&面接に行った。PCのスキルチェックと一般常識のテスト、その後面接。今回は応募者多数のせいか集団面接。就活じゃあるまいし、と思いつつ面接会場へ。そこで驚いたのは集団で面接をするわけではなく、他の人が面接官と話している間は作文を書く事を強いられた。他人の面接の場に遭遇するのは初めてだし、その間同じ空間で作文を書くのも初めて。何だか落ち着かなかった。何事も経験とは言うがこれもそのひとつか。もっとも他人の面接の会話を堂々と聞いていられる経験もなかなか出来ない事。それなりに面白くもあった。救いだったのは面子がほぼ自分より年上の高齢者。働きたいと思う高齢者がいる事に勇気づけられた。しかも初めての業務なのにチャレンジしようと頑張る人がいてその心意気に心打たれた。その姿勢は見習わねばと思い、同時に共に働けるといいなと彼女に心の中でALEを送った。
朝の通勤時に感じの悪い女性に会った話を2週間前に記した。今朝はあの時よりも嫌な気分を味わった。車内の混雑は大した事はない。これは前回同様。乗車駅はつり革には捕まれないがドアにつかまりながら乗れる状態。次の駅ででかい男が乗って来た。声は出さないがしぐさで乗せてください、をアピール。仕方がない、と少し下がった。と、言うよりも下がざるを得ない感じで男性が乗り込んだ。つまり、こちらは押されたのだ。するとドア付近でスマホ(指の動きからしてだぶんゲーム中)をいじっていた女が肩を押したのだ。無意識だったのかも知れないが感じが悪いったらなかった。乗車した時から背中に指が当たり嫌な気分でいた。あちらにすればこちらが邪魔な存在。それは分からないではないが、肩を押す行為はルール違反。大人としてのモラルは? と問いたかった。相手に答えを求めるのは無理、と判断し何も言わなかったが。けれど、車内で起こる様々なトラブルはこのように些細な事が発端。これを無くすには互いに譲り合う気持ちを持つしかない。しかし、無言で人の肩を押しやる女にその気持ちを生じさせるのは容易ではないだろう。前回同様に顔は不細工ではないのに心が不細工。そのタイプがどんどん増殖しているように感じられるのは😢。