松戸記念の決勝。珍しくといっては失礼ですが地元も含めた南関東勢が5人も乗ってきて,東日本だけでの争いになりました。
前受けは矢口選手。3番手に斎藤選手,5番手に新田選手,7番手から山賀選手という周回。山賀選手は残り3周のバックから上昇。新田選手がこのラインに続き,残り2周のホームで山賀選手が矢口選手を叩いたところで4番手を確保したかに見えましたが,バックに入ると斎藤選手が抵抗。さらにインから矢口選手にも来られ,8番手まで引くことになってしましました。
打鐘から山賀選手の先行。斎藤選手,矢口選手,新田選手でこの一列棒状がバックまで続いたので地元勢には願ってもない展開。十分に車間を開けて引き付けた番手の中村選手が直線で一気に踏み込むと,後続を離して優勝。2着にもマークの鈴木選手が入り,3着には榊枝選手。
優勝した千葉の中村浩士選手は現行制度になってから初の記念競輪優勝。今回は完全優勝のおまけつきで,連日展開にも恵まれました。今日も格からいえば鈴木選手が番手を回るところだったと思うのですが,番手を回してもらったことが大きかったと思います。
逃げて貢献した山賀選手の頑張りも印象的。僕が思った以上に力をつけているのかもしれません。
引き続き明日からは四日市記念が開催されます。武田選手がどこまで復調しているかですが,井上選手の方が中心になっていきそうです。
なぜ人間の精神mens humanaの場合には四角形の精神とは違うということができるのか,それを示しているのが第二部定理一四であるといえるでしょう。
「人間精神はきわめて多くのものを知覚するのに適する。そしてこの適性は,その身体がより多くの仕方で影響されうるに従ってそれだけ大である」。
第二部定理一二によれば,人間の精神というのは,人間の精神のうちに起こることについての観念ideaを有します。よってこのことから,ある人間の身体humanum corpusの中でより多くのことが生じるならば,人間の精神というのはそれだけ多くの観念を有することになるでしょう。これでこの定理Propositioの後半部分,すなわち,人間の精神が多くのものを認識するcognoscere適性が,人間の身体がより多くの仕方で影響されることと比例的な関係にあるという部分は証明されました。
ただし第二部定理一二は,現在でも僕には謎の残る定理ではあります。しかしこのことは,人間の精神というのは人間の身体の観念であるということを示した第二部定理一一と,観念の秩序ordoと物体の秩序の同一性を示した第二部定理七によっても十分に明らかであるといえると思いますので,ここでは問題にしません。
一方,人間の身体というのがより多くの仕方で影響され得るということについては,岩波文庫版117ページの,第二部自然学②要請六をみても明白であると思います。したがって,人間の精神がきわめて多くのものを認識する適性を有するということは,これで十分に証明されたといえるでしょう。
前受けは矢口選手。3番手に斎藤選手,5番手に新田選手,7番手から山賀選手という周回。山賀選手は残り3周のバックから上昇。新田選手がこのラインに続き,残り2周のホームで山賀選手が矢口選手を叩いたところで4番手を確保したかに見えましたが,バックに入ると斎藤選手が抵抗。さらにインから矢口選手にも来られ,8番手まで引くことになってしましました。
打鐘から山賀選手の先行。斎藤選手,矢口選手,新田選手でこの一列棒状がバックまで続いたので地元勢には願ってもない展開。十分に車間を開けて引き付けた番手の中村選手が直線で一気に踏み込むと,後続を離して優勝。2着にもマークの鈴木選手が入り,3着には榊枝選手。
優勝した千葉の中村浩士選手は現行制度になってから初の記念競輪優勝。今回は完全優勝のおまけつきで,連日展開にも恵まれました。今日も格からいえば鈴木選手が番手を回るところだったと思うのですが,番手を回してもらったことが大きかったと思います。
逃げて貢献した山賀選手の頑張りも印象的。僕が思った以上に力をつけているのかもしれません。
引き続き明日からは四日市記念が開催されます。武田選手がどこまで復調しているかですが,井上選手の方が中心になっていきそうです。
なぜ人間の精神mens humanaの場合には四角形の精神とは違うということができるのか,それを示しているのが第二部定理一四であるといえるでしょう。
「人間精神はきわめて多くのものを知覚するのに適する。そしてこの適性は,その身体がより多くの仕方で影響されうるに従ってそれだけ大である」。
第二部定理一二によれば,人間の精神というのは,人間の精神のうちに起こることについての観念ideaを有します。よってこのことから,ある人間の身体humanum corpusの中でより多くのことが生じるならば,人間の精神というのはそれだけ多くの観念を有することになるでしょう。これでこの定理Propositioの後半部分,すなわち,人間の精神が多くのものを認識するcognoscere適性が,人間の身体がより多くの仕方で影響されることと比例的な関係にあるという部分は証明されました。
ただし第二部定理一二は,現在でも僕には謎の残る定理ではあります。しかしこのことは,人間の精神というのは人間の身体の観念であるということを示した第二部定理一一と,観念の秩序ordoと物体の秩序の同一性を示した第二部定理七によっても十分に明らかであるといえると思いますので,ここでは問題にしません。
一方,人間の身体というのがより多くの仕方で影響され得るということについては,岩波文庫版117ページの,第二部自然学②要請六をみても明白であると思います。したがって,人間の精神がきわめて多くのものを認識する適性を有するということは,これで十分に証明されたといえるでしょう。