スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典マーキュリーカップ&戦争

2022-07-18 19:00:23 | 地方競馬
 メイセイオペラ記念の第26回マーキュリーカップ。ケイアイパープルは藤岡康太騎手の個人的な都合で山本政聡騎手に変更。
 ノーヴァレンダが先頭に立ちましたが,外から鞭を入れてメイショウフンジンが猛然と追い上げてきて,1コーナーまでにノーヴァレンダの前に出て逃げました。リードは3馬身くらい。控えたノーヴァレンダが2番手で3番手にメイショウカズサとケイアイパープル。4馬身差でエルデュクラージュとバーデンヴァイラーとギガキングとテリオスベル。9番手にヴァケーション。4馬身差でマイネルアストリア。11番手にサトノディード。7馬身差でレールガン。13番手がユアマイラブで最後尾にサンレイファイトという隊列。超ハイペースでした。
 向正面でテリオスベルが外から動いていき,3番手まで進出。2番手のノーヴァレンダはこの動きに対応したので,逃げたメイショウフンジンは3コーナーで一杯。コーナーの途中で外のテリオスベルが単独の先頭に立つとノーヴァレンダも一杯。テリオスベルが直線の入口から抜け出す形になりました。追ってきたのはバーデンヴァイラーで,フィニッシュにかけてテリオスベルを追い詰めていき,ぎりぎりで差し切って優勝。テリオスベルがクビ差で2着。テリオスベルの動きによってそれより前にいた馬には厳しい競馬でしたが,その中でよく粘ったケイアイパープルと内から伸びてきたヴァケーションで3着争い。ヴァケーションが6馬身差の3着でケイアイパープルがハナ差で4着。
 優勝したバーデンヴァイラーは重賞初勝利。3月にオープンを勝った後,アンタレスステークスは大敗していましたが,ここは相手関係は楽になって斤量も軽くなりましたので,チャンスがあるだろうと思っていました。レースの内容だけでいうとテリオスベルの方が強く,その強さに助けられた面がありましたので,能力が上だったと決めつけることはできないかと思います。父はドゥラメンテ。9代母がシュリリーで祖母がキョウエイマーチ。ふたつ上の半姉が昨年のNARグランプリで特別表彰馬に選出されたマルシュロレーヌ。Badenweilerはドイツの行進曲の曲名。
 騎乗した福永祐一騎手は第17回以来9年ぶりのマーキュリーカップ2勝目。斉藤崇史調教師はマーキュリーカップ初勝利。

 『国家論Tractatus Politicus』の当該部分の全体の文脈からすると,ここで戦争といわれているのは,国家Imperiumと国家の間での武力闘争,現在の世界でいえばウクライナとロシアの間での武力闘争だけを意味するのではありません。ある単一の国家の中での武力闘争,つまり内戦とか内乱といわれるような武力闘争,同様に現在の世界でいえば,シリア国内で争われているような武力闘争も含まれると解するべきです。したがってこの戦争というのは,僕たちがいいならわしているような戦争より多岐にわたるのであり,おおよそ組織と組織との間で,政治的権力を巡る武力闘争のすべてを意味していると解した方がよいでしょう。
                                        
 こうした広い意味での戦争が欠如した状態のことを,ホッブズThomas Hobbesは平和paxというわけです。より正確を期していうなら,ホッブズはそのような状態のことを平和といっているとスピノザは解しているのです。僕はそのスピノザの解釈は正しいと考えますが,ここではホッブズが何を平和といっているのかということについては考察の対象とはしません。なのでこの解釈は誤りerrorであるという主旨の反論は受け付けません。スピノザはそれに対して,そういう状態のことを平和というのではないといっているのであって,ではどのような状態のことを平和とスピノザはいうのかということだけを考察の対象とします。繰り返しになりますが,隷属servitusとか野蛮の下に戦争がない状態が継続したとしても,そのような状態は人間にとって惨めな状態なのであり,そのような惨めな状態を平和というべきではないとスピノザはいっていて,そうであるならスピノザがいう平和は,戦争の欠如といわれるように,消極的にいわれるような状態ではないことになります。
 スピノザは平和というのを和合に存するといっていますが,この和合を精神mensの一致といい換えています。ただしこの点には注意が必要です。というのは,第四部定理三五により,現実的に存在する人間は,理性ratioに従う限りでは本性naturaの上で一致します。この本性の上での一致は,精神の一致と同じ意味とみなしてよいでしょう。したがって,人間は理性に従っている限りでは平和である,つまり必然的にnecessario和合するということになります。
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