スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

習志野きらっとスプリント&ビュリダンの驢馬

2022-07-27 19:36:57 | 地方競馬
 名古屋から1頭,佐賀から1頭が遠征してきた昨晩の第12回習志野きらっとスプリント
 好発はギシギシ。内からロトヴィグラス,コパノフィーリング,キモンルビーの3頭が先手を奪いにいきました。このうちコパノフィーリングとキモンルビーの2頭は引かず,競り合いながら逃げる形。3コーナーでは3番手以降に4馬身くらいの差を付けました。引いたロトヴィグラスとギシギシが並んで3番手。5番手にカプリフレイバー。6番手にファントムバレット。7番手にコウギョウブライト。4馬身差でナムラムツゴロー。2馬身差の最後尾にブンロートという隊列。最初の400mは22秒1の超ハイペース。
 直線の入口では2頭で逃げた外のキモンルビーが単独の先頭に。やや離れた3番手にロトヴィグラス,カプリフレイバー,ギシギシの3頭。直線では完全に抜け出したキモンルビーをギシギシが追撃。フィニッシュ直前で粘るキモンルビーを差し切って優勝。キモンルビーがクビ差で2着。最後尾から外を追い込んだブンロートが2馬身半差で3着。
 優勝したギシギシは南関東重賞初挑戦での優勝。とはいえ前々走の東京スプリントで3着に入っていたくらいですから能力は上位。ぎりぎりでの差し切りになりましたが,これは1000mの適性では2着馬の方が上回っていたからだと思われます。すでに実証されているともいえますが,重賞制覇を狙える馬でしょう。母の父はハーツクライ
 騎乗した大井の笹川翼騎手は昨年のサンタアニタトロフィー以来となる南関東重賞15勝目。その後,クイーン賞で重賞初制覇を達成しています。習志野きらっとスプリントは初勝利。管理している大井の栗田裕光調教師は南関東重賞6勝目。習志野きらっとスプリントは初勝利。

 スピノザが人間についても自由libertasを論じる余地があると認めていることは,たとえば『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』で,哲学する自由libertas philosophandiを擁護していることからも明らかですし,『エチカ』の第四部定理六六備考で,自由の人homo liberといういい方をしていることからも明らかです。このことについては,ここで本来的自由,人間にはない本来的自由を神的自由といい,人間について論じられるような自由は人間的自由というカテゴリーに分けて説明したことがありますから,各々の自由の意味がどのような内容であるかという詳しいことについては,そちらを参照してください。
                                        
 このことに関連して,『スピノザ〈触発の思考〉』では,スピノザがいっているあるひとつの事例があげられています。それは第二部定理四九備考の中にある,ビュリダンの驢馬の例です。このビュリダンは,フランスのスコラ哲学者のジャン・ビュリダンJean Buridanです。『スピノザ〈触発の思考〉』ではビュリダンと記述され,『エチカ』の岩波文庫版ではブリダンと記述されていますが,一般的にはビュリダンと記述されるようですので,このブログでもそちらの記述を採用します。
 ビュリダンの驢馬というのは,驢馬には自由意志voluntas liberaがないので,もしも自身から同じ距離に同じ食料があった場合は,どちらかを選ぶということができず,ついには驢馬は餓死するであろうという主張です。ただし,本当にビュリダンがこのような主張をしたのかどうかは不明です。少なくともスピノザが生きていた時代には,このような主張がビュリダンの驢馬といわれていたのであって,ここではそのような主張のことをビュリダンの驢馬といっていると理解してください。
 スピノザは人間には自由意志はないと主張しています。するとビュリダンの驢馬の主張は,驢馬には自由意志がないということが論拠となっているのですから,自由意志がないものにはすべて妥当するといわなければなりません。したがって,スピノザがいう人間には自由意志がないので,ある人間が現実的に存在し,その人間から等しい距離に等しい食料があった場合には,その人間はそのどれかを選択することができず,ついにその人間は餓死するに至ることになります。
コメント
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