スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天龍の雑感⑬&方法

2022-07-13 19:52:06 | NOAH
 でいったように,天龍自身は自分がジャンボ・鶴田と戦うようになった要因のひとつとして,輪島大士の存在があったとみています。ただ,鶴田はそれを断ることもできた,つまり鶴田は外国人選手だけを相手にすることもできた筈なので,自分を相手に戦ってくれたことについては天龍は感謝しているといっています。全日本プロレスのオーナーは馬場であって,馬場が天龍と戦うように命じたときに,鶴田が本当にそれを断ることができたのかどうかは僕には疑問です。ただ,鶴田と天龍が戦うようになった直接の契機は,長州力らが新日本プロレスに戻ったことにあり,それ以前のジャパンプロレスとの対抗戦時代は,確かに鶴田もジャパンプロレス勢と戦ってはいたものの,前面に出ていたのは明らかに天龍の方でしたから,天龍がそのように感じることは不自然ではないようにも思います。
 鶴田と天龍は人生観や生き様が相反していたから,リングの中での戦いもスパークしたと天龍はいっています。たとえばひとつの趣味でも一緒であったら,そこまで激しい戦いはできなかっただろうと天龍はいっています。このこと自体は実際に戦った鶴田と天龍にしか分からない面があるでしょうが,ファンもまた,天龍と鶴田が異なったタイプのプロレスラーであるということは感じていましたから,それもふたりの激闘がスパークした要因になっていたとは思います。他面からいえば,それぞれの個性がどういったところにあるのかということを,天龍も鶴田もファンに感じさせていたともいえるわけで,その意味ではふたりともプロだったといえるかもしれません。
 1989年6月5日の日本武道館大会で,天龍は鶴田を破って三冠王者になりました。天龍はこの試合に勝るものはないといっています。ただこれは,鶴田戦の中でのベストバウトだったという意味なのか,それとも自分のプロレス人生に中でのベストバウトだったという意味なのかは,文脈の上では不明です。僕はこの試合は会場で観戦していました。天龍は今観たとしてもフレッシュな試合だといっていますが,それは実感としてよく分かります。

 スピノザの政治的倫理を達成するためには,土台というべき原理がふたつあって,その原理が充足されていなければならない確たる理由というのもあります。ここまで理解することができれば,僕が事前にっておいたこと,つまり,スピノザの政治的倫理をいかにして満たすということが,政治体制に還元することはできないということがなぜなのかということも理解できるのではないかと思います。
                                        
 原則的に,政治に参加する人間の数が多ければ多いほど,その国家Imperiumおよび市民Civesは敬虔pietasになりやすいのです。したがって,君主制よりは貴族制,貴族制よりは民主制が,スピノザがいう政治的倫理を満たすことができます。しかしこれはあくまでも原則なのであって,単に政治に参加する人間の数が多ければいいというものではありません。それと同時に,政治権力を行使する人間の数ということが重要なのであって,かつそれは,ある瞬間的に考慮すればいいというものではなく,長期的な視点から考慮しなければなりません。それを満たすのが,方法論としてのふたつの土台なのです。したがって,政治倫理を満たすためには,実はどういう政治体制を構築するべきであるかということを考えるよりも,ある政治的体制が構築されるときに,どのような方法論が導入されているのかということに着目する必要があるのです。
 この方法論自体は,土台は規定されているものの,政治体制の相違によって相違し得るものです。当然ながら君主制に導入されるべき方法と貴族制に導入されるべき方法には相違があり,また民主制に導入されるべき方法はそれらとはまた異なるからです。したがって,現実的に存在するある国家と別の国家を比較するとき,一方は導入されるべき方法が導入されていて,他方にはそうした措置がとられていないのなら,導入されている国家の方が政治倫理を満たす国家ということができますが,そうでないのなら,比較すること自体が困難です。たとえ民主制であっても同一の人間が継続して政治的権力を行使する国家より,君主制であっても,国家権力を行使する人間が入れ替わりやすい国家の方が,政治的倫理を満たす場合があるということになるからです。
コメント
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