スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大成建設杯清麗戦&差異の発生

2022-07-09 19:16:41 | 将棋
 四ツ谷で指された昨日の第4期清麗戦五番勝負第一局。対戦成績は加藤桃子清麗が10勝,里見香奈女流四冠が29勝。これはNHK杯の予選を含んでいます。
 大成建設の副社長による振駒で加藤清麗の先手。里見四冠のノーマル四間飛車に,先手があまりない形の急戦を仕掛ける将棋になりました。
                                        
 ☗6三香☖7一金と進んだ局面。
 ここで先手は長考して☗6二角と打ちました。ただこれは後手も読んでいたようで,☖同飛と取って☗7一龍☖同玉☗6二香成☖同王☗4二歩成に☖6三銀。
                                        
 第2図となって後手玉は寄りません。後手からは確実な攻めが残っているので,この局面は後手が勝勢です。
 第1図で☗9一角と打つと☖同玉☗7一龍☖8二銀で後手が凌げるようです。ただ☗6二香成☖同飛としてから☗9一角なら,☗7一龍のときに☖8二銀と打つわけにはいきません。先手がこの順を逃したので後手が勝ちになったという将棋でした。
 里見四冠が先勝。第二局は22日に指される予定です。

 同じようにひとりの君主がすべての政治的権力を行使する国家Imperiumであったとしても,差異が生じるメカニズムは以下のようなものです。
 君主Aと君主Bがいて,各々がそれぞれの国家において,政治的権力を独占的に行使すると仮定します。このとき,AとBが理性ratioに従う限りでは,第四部定理三五により,両者の現実的本性actualis essentiaは一致します。したがってこの限りでは差異は生じません。しかし与えられた現実的本性,いい換えれば働きを受けるpati限りでの現実的本性は,AとBの間で一致しません。これは第四部定理三二から明白です。ですからこの与えられた現実的本性は,Aの方がBよりも敬虔pietasである場合が生じ得ます。この種の与えられた現実的本性は,第三部諸感情の定義一により,その人間の欲望cupiditasにほかなりません。なので,Aの与えられた現実的本性がBの与えられた現実的本性より敬虔であるなら,独占的に付与されている政治的権力を行使するときに,Aの方がBより敬虔に行使することになります。したがって君主Aが統治する国家は,君主Bが統治する国家よりも敬虔な国家ということになるでしょう。いい換えれば,Aが君臨する国家の方が,Bが君臨する国家よりも,国民にとってより理想に近い国家ということになるのです。現実的にひとりの人間が政治的権力を独占するなどということはあり得ないので,これをいうのは現実的には無意味ですが,このようにして差異が生じてくるという点が重要なのです。スピノザが倫理的に適合するような国家として示すのは,政治体制そのものにあるのではなく,この差異と,その差異を生じさせる方法論にあるからです。
 次に,幾人かが君主に対して進言することによって政治的権力が行使される国家を考えます。これは現実的に存在し得ますから,現実的に考えること自体が無意味になるわけではありません。
 このとき,進言する人間の数が,君主Aの国家では10人で,君主Bの国家では20人であるとします。政治的権力を行使する人間の数は,多ければ多いほどよいというのがスピノザの政治的倫理の基本なので,この場合は君主Bの国家の方がよりよいことになります。ただしこれは原則にすぎません。
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