スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典中山グランドジャンプ&第二部定理七系の強い意味

2016-04-16 19:21:20 | 中央競馬
 第18回中山グランドジャンプ
 ティリアンパープルは立ち遅れ。サナシオンが先手を奪い,リードを広げていきました。最初はワンダフルワールドとブライトボーイが併走で続きましたが,ブライトボーイが単独の2番手に。オジュウチョウサンが3番手になり,ワンダフルワールドはその後ろに。ビコーピリラニ,メイショウアラワシの順で続きました。後ろは隊列の変化があったものの,前の3頭はずっとこの順番のまま。大竹柵でウォンテッドは落馬しました。
 最終の向正面でサナシオンのリードは2馬身ほど。ブライトボーイから4馬身ほどの3番手にオジュウチョウサン。3コーナーを回るとブライトボーイは苦しくなり,オジュウチョウサンが上がってきて2番手に。サナシオンは直線の最後の障害のところまで先頭を譲らず,飛越した後でまた少し差を広げたのですが,坂を上ると追ってきたオジュウチョウサンが離れた外を勢いよく伸び,サナシオンを交わして優勝。サナシオンが3馬身半差で2着。9馬身差の3着は接戦になりましたが,最内から脚を伸ばしたメイショウアラワシがこの争いを制しました。
 優勝したオジュウチョウサンは平場のオープンは2勝していましたが重賞はこれが初勝利。今年は出走に至らなかった有力馬が多く,このメンバーではサナシオンの力量が抜きん出ていました。これをうまくマークできたのが勝因。サナシオンはブライトボーイに楽をさせてもらえないような展開になったのも厳しかったですし,本質的には距離も長すぎるように思われ,その隙をついての優勝といえるのではないでしょうか。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。1つ上の全兄に2013年のラジオNIKKEI賞を勝っている現役のケイアイチョウサン
 騎乗した石神深一騎手はデビューから15年あまりで大レース初制覇。管理している和田正一郎調教師は開業から7年弱で重賞初勝利を大レースで達成しました。

 スピノザの哲学の範疇ではあまり意味がない説明をするのには理由があります。たぶんこのような説明をすることによって,ここで何が問われているのかということが明確になると思うからです。
 一般的にはAが存在することによってそれが認識されるというのは唯物論とか実在論的な考え方です。これに対してAは認識されることによってその存在が知られるのであり,その認識なしにAが存在するということを主張するのは意味がないことだと考えるのは認識論とか観念論といわれる思考法です。つまり本性が知性による認識と無関係に知性の外に実在するというのは前者であり,本性とは認識されるものであるとするならそれは後者であることになるでしょう。
 僕の説明では,僕が前者の立場を選択したというように解されると思います。ですが僕の考えはそうではないのです。このどちらの立場を選択するのかということ自体が,スピノザの哲学では無意味なのだというのが僕が主張したいことなのです。僕はスピノザはこの点について確たる見解を有していなかったし,確たる見解を有する必要はないと考えていたのではないかと思っていますが,その理由は主にこの二者択一がスピノザの哲学では無意味であるからという点にあるのです。
 第二部定理七系の意味は,神のうちにある観念はすべて十全であるということでした。『エチカ』の後続の論証でスピノザがこの系を援用するとき,スピノザはそれを示すために訴求しているからです。ですが僕の考えでいえば,この系は本来的にはもっと強い意味を有しているのです。それは,もしもある事物が形相的に存在するのであれば,その事物の客観的有すなわち観念もまた必然的に存在するということであり,逆にある客観的有すなわち観念が矛盾なく認識されるのであれば,その観念の対象となっている事物は,知性の外の形相的有としても必然的に存在するということです。
                                     
 なお,僕がここで事物の客観的有といういい方をするのは,それを理性の有と区別するためです。理性の有は実在的有すなわち観念ではありませんから,その対象となっているものが形相的に実在するということはありません。
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