スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産省賞典中山グランドジャンプ&真偽の規準

2017-04-15 19:19:19 | 中央競馬
 第19回中山グランドジャンプ
 最初の障害を飛越してからメイショウヒデタダが単独の先頭に。ラステラとアップトゥデイトが2番手。ルペールノエルとオジュウチョウサンが4番手。タイセイドリーム,ワンダフルワールドと続き,トーセンハナミズキとクリノダイコクテン。ウインヤード,サンレイデューク,ティリアンパープル,アイティテイオーの4頭は控える形で前半は進みました。ペースが上がるところがなく,脱落した馬も不在であったために,2回目の障害コースで大生け垣を飛越すると,馬群が凝縮してかなり短い隊列に。
 最終周回の向正面に入るとオジュウチョウサンが外からアップトゥデイトを交わして単独の2番手に。3コーナーを回ると逃げていたメイショウヒデタダも交わして先頭に立ちました。後方から外を進出してきたサンレイデュークが2番手に上がり,そのまま緩めずにオジュウチョウサンを追い,2頭が並んで直線の入口に。最後の障害まではあまり差がつきませんでしたが,それを飛越するとオジュウチョウサンが内から引き離していき,3馬身半差で優勝。積極的な競馬をみせたサンレイデュークが2着。オジュウチョウサンには向正面で交わされたものの,一杯にはなっていなかったアップトゥデイトが8馬身差で3着。
 優勝したオジュウチョウサン中山大障害以来の大レース3勝目。第18回に続いての中山グランドジャンプ連覇。今年に入って阪神スプリングジャンプも勝っていてこれで障害重賞6連勝。ここはメイショウヒデタダ以外のメンバーとは勝負付けがすんでいて,メイショウヒデタダもここ2戦は連勝していましたがそれ以前の戦績からオジュウチョウサンを負かすほどの力があるとは考えられませんでしたから,どのような勝ち方をするのかということの方が焦点ではないかと思っていました。斤量を課せられないという点を重視すると使うことができるレースは限られますが,よほどの馬の出現がない限り負けることは考えにくいです。父はステイゴールド。母の父はシンボリクリスエス。全兄に2013年のラジオNIKKEI賞を勝ったケイアイチョウサン
 騎乗した石神深一騎手と和田正一郎調教師は中山大障害以来の大レース制覇。中山グランドジャンプは連覇で2勝目。

 真偽の判定は観念ideaの内的特徴denominatio intrinsecaによってなされなければなりません。ただし,第二部定理三二にあるように,すべての観念は神に関係する限り真omnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, veraeなのですから,このことは観念が神のうちにあるとみられる場合には意味をもちません。この場合には真偽を判定する必要がないからです。つまり真偽を判定しなければならないのは,観念が有限な知性intellectusとだけ関連付けられている場合です。とくに,現実的に存在するある人間の精神mens humanaとだけ関連付けられる場合,いい換えれば,ある観念が現実的に存在するある人間の精神のうちにあるとみられる場合だけです。
                                     
 こうした場合に,観念が内的特徴によってどのように真偽を判定されるのかということを示したのが第二部定理四〇です。観念が真の観念idea veraといわれるのは,それが外的特徴denominatio extrinsecaすなわち観念されたものideatumと一致するのか一致しないのかという観点から把握される場合でした。この定理Propositioでは内的特徴から観念を把握するために,もはや真の観念とはいわれずに,十全な観念といわれています。すなわち,現実的に存在する人間の精神のうちにある十全な観念から生じる観念が十全な観念であるとされ,これがスピノザの哲学における真偽の規準となるのです。第二部定義四が画期的な定義Definitioであるということの意味の一端がここにもあるといえるでしょう。
 第一部公理四により,結果の認識は原因の認識に依存します。そして第二部定理九により,現実的に存在する個物の観念の原因は,それとは別の個物の観念です。したがって人間の精神のうちにあるある観念が真理veritasであることは,その観念の原因の認識に依存しなければなりません。第二部定理四〇がいっているのは,原因が十全すなわち真であれば結果も真すなわち十全であるということですから,この条件も満たしていることになります。
 この定理には実際には4つの意味が含まれていて,それがすべて成立することは過去に考察した通りです。つまりある観念の真理性は,観念されたものに依存するのでなく,その観念の原因にのみ依存します。すなわち原因が十全ならば結果も十全です。逆に原因が混乱しているなら結果も混乱しているのです。これが真偽の規準です。
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