スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

報知盃東京記念&名前の連呼

2018-09-19 20:44:35 | 地方競馬
 北海道から1頭,金沢から1頭,名古屋から1頭,笠松から1頭が遠征してきた第55回東京記念
 軽く押してシュテルングランツがハナへ。カツゲキキトキトが2番手で追い上げてきたサブノクロヒョウが3番手。内で差がなくキングニミッツが4番手。5番手にステージインパクトとユーロビート。7番手にダイリュウハヤテとストロングサウザー。9番手がスギノグローアップとチェダー。以下,マイネルリボーン,クラージュドール,エスケイアリュール,ペイシャゴンジセの順で14頭は一団で1周目の正面を通過。後方2番手のウマノジョーと最後尾のカンムルは14頭からやや離れました。
 2周目の向正面に入りキングニミッツとユーロビートはサブノクロヒョウと並んで3番手。3コーナー手前からシュテルングランツが差を広げにかかると,カツゲキキトキトは手が動き,サブノクロヒョウとキングニミッツは後退。ユーロビートがコーナーではカツゲキキトキトの外の3番手に。直線に入ったところの前3頭の差は縮まらず,広がらずといった直線の争いになり,そのまま逃げ切ったシュテルングランツが優勝。カツゲキキトキトが3馬身差で2着。ユーロビートが2馬身差で3着。
 優勝したシュテルングランツはJRAデビュー。昨年の5月に準オープンを勝ってオープン入り。オープンでは7戦したものの掲示板に載れませんでした。今年の7月に浦和に転入して初戦が3着。2戦目にこのレースのトライアルを優勝。JRA準オープンを勝った実績からは当然の結果なのですが,前走は楽なペースで逃げ切ったという内容でしたので,過大な評価は危険ではないかと考えていました。今日も,前が止まりにくい不良馬場が味方した結果かもしれないので,まだその考えを捨てきることはできません。ただ,JRA時代はほとんどのレースで中距離戦に出走していたのですが,適性が長距離にあるというのは間違いないのではないかと思います。父はステイゴールド。Stern Glanzはドイツ語でスターの輝き。
 騎乗した大井の的場文男騎手は昨年の東京シンデレラマイル以来の南関東重賞制覇。第19回,24回,31回,32回,35回,41回,42回に続き13年ぶりの東京記念8勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞は31勝目。東京記念は初勝利。

 5月18日,金曜日。妹を迎えに行きました。同時にこの日は三者面談を行いました。グループホームの妹の担当者は4月から変更になりましたので,相手方は前回と変化がありました。
 妹は夜,ベッドに入ると人名を連呼するという癖がありました。癖というか,これは本人なりの遊びだと思います。あたかも出席を取るように,次々と人の名前を口に出していきます。親戚だったり友人や職員あるいは先生,また芸能人など,様ざまな名前が出てきます。担当者の話ですと,妹はこれをグループホームでもやっているとのことでした。これは家でするのと同じようにグループホームの自分の部屋でも振舞っているということであり,そこでの生活に対する慣れが出てきたのではないかと僕には思えました。なので,あまりうるさくて他の利用者に迷惑をかけるようであれば注意してもいいが,そうでないのなら好きなようにやらせてやってほしいということを伝えました。妹はこのほかに,ベッドの中で歌うということもあるのですが,それはホームでは見受けられないとのことでした。もっとも,こうしたことを毎日するというわけではないですし,グループホームの宿直の担当者は日替わりですから,妹の担当者が宿直のときには,たまたま歌うことがなかったという巡り合わせだったかもしれません。この面談があったためにいつもより遅くなり,帰宅は午後5時15分になりました。
 5月19日,土曜日。母は美容院に行くことができなくなって久しく,髪がだいぶ伸びていました。この日に伯母がカットしました。
 5月20日,日曜日。ピアノのレッスンがありました。これは午後2時から。開始時刻の変更の連絡があったのは18日の金曜日でした。
 母はワンデュロパッチを使うようになってから,それでもときおり痛みを感じることはあったようですが,カロナールやオプソといった鎮痛剤は服用していませんでした。この日はその痛みがだいぶ強く感じられたようです。とくに痛かったのは上腹部ということでした。これはおそらく,使用していたワンデュロパッチがごく小さいもので,もうこの時点では量として少なすぎたからだと思われます。
コメント
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