スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日本選手権競輪&第一種の認識

2016-03-13 19:09:59 | 競輪
 名古屋競輪場で行われた第69回日本選手権競輪の決勝。並びは新田に岩津,竹内‐深谷‐金子の中部,三谷‐川村‐村上の近畿で野田は単騎。
 少しばかりの牽制になりましたが新田がスタートを取って前受け。3番手に竹内,6番手に三谷,最後尾に野田の周回に。残り3周のホームの出口から三谷が上昇し野田も続きました。三谷は前までは出ずに竹内を牽制。バックで竹内は野田の後ろまで下げました。これを見て三谷はまた踏み上げて新田を叩きました。野田が続けなかったため4番手に新田,6番手に野田,7番手に竹内の一列棒状となってバックを通過し打鐘。ここから竹内が反撃。ホームで三谷に追いつく勢いでしたが川村に番手発進され失速。バックから深谷が自力に切り替えると新田が併せて出ました。新田を村上が牽制したところで深谷は浮いてしまい失速。新田の番手から内に潜り込んだ岩津が村上を弾きにいき,村上も一旦は苦しくなりかけましたが直線で態勢を立て直すと再び伸びて優勝。最内の川村が半車身差の2着に粘って京都のワンツー。やはり立て直して大外を伸びた新田が8分の1車輪差で3着。
                                     
 優勝した京都の村上義弘選手は昨年5月の平塚記念以来のグレードレース制覇。ビッグは2014年にやはり名古屋で開催された日本選手権以来の12勝目。2011年にも名古屋で優勝があり,2013年には立川でも優勝していて日本選手権は4勝目。この並びなら三谷は自身の着順に関係なくとにかく先行するというレースをするだろうと想定できました。竹内がそれに対してどう出るかが注目でしたが,早めの巻き返しに。このために川村が残り1周付近から出ていくことになり,展開は有利に。とはいえ一旦は川村と車間を開けて,好位置だった新田の捲りを牽制。岩津に掬われそうになりながら踏みとどまっての優勝で,有利だった展開ほど楽に勝てたわけではありません。まだこれだけの力があるということを証明するような優勝だったのではないでしょうか。

 現実的に存在するある人間の精神mens humanaだけを抽出した場合には,その精神の現実的有actuale esseを構成している思惟の様態cogitandi modiには,十全なものもあれば混乱したものもあります。このことはいくらでも訴求することが可能ですが,ここでは第三部定理一を援用しておきます。もしも現実的に存在する人間の精神のうちに,十全な思惟の様態と混乱した思惟の様態がふたつながら存在しないとすれば,この定理Propositioはその意味をまったく有し得なくなるでしょう。だからスピノザもこの定理を証明するにあたっては,第一にこのことを明らかにしているのです。
 それらふたつの思惟の様態のうち,人間の精神が混乱した思惟の様態を認識するという場合には,それはすべからく第一種の認識cognitio primi generisといわれます。スピノザは人間の精神が第一種の認識をする要因としてはふたつの様式を例示しています。ですから厳密には第一種の認識はさらに細分化することが可能であるといえます。とくに現在の考察に関連させるなら,人間の精神が第一種の認識によって個別的なものを認識する場合と,一般的なものを認識する場合とを分類することは有益でしょう。ですがスピノザがそういう分類をしなかったのですから,ここではそれに倣うほかありません。
 人間の精神が第一種の認識によって認識する思惟の様態としては,観念ideaといわれるべきものと,概念notioといわれるべきものの両方が含まれます。たとえば精神が現実的に存在する外部の物体corpusを表象するimaginariという場合には,この思惟の様態は観念であると理解するべきでしょう。一方,「人」とか「馬」とか「犬」といった一般的概念notiones universalesを認識するという場合には,概念notioであると解しておくべきです。
 ここでの考察とは関連性を欠きますが,第一種の認識について僕が言及する機会は,たぶんそう多くないと思いますので,僕がこの認識をどのように評価しているかということの見解を表明しておきます。僕は基本的に,人間の精神が第一種の認識をするということを,それ自体で肯定するような見解に対しては,一切の同意ができません。これは第二部定理四三備考と関係します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする