第39回名古屋大賞典。
最内のダブルスターがハナへ。やや離れた2番手にサクセスコード。3番手はアウォーディーとマドリードカフェの併走。アクロマティック,バンズームと続いてイワクラギンガ,アップアンカー,メモリージルバの3頭が一団。ティアモブリーオ,モズライジンと続きました。ミドルペースだったと思われます。
1コーナーでアウォーディーがサクセスコードをインから交わして単独の2番手に。バンズームも3番手に上がり,2周目の向正面で外からモズライジンが外を進出。アウォーディーは3コーナーの手前でダブルスターに並び掛けていくとコーナーでは単独の先頭になり,ここから後ろを引き離していく一方というとても強いレース。2秒4もの大差をつけて大楽勝。2着は先に3番手に上がっていたバンズーム。後方から動いたモズライジンが4分の3馬身差の3着。
優勝したアウォーディーは昨年10月のシリウスステークスに続いて重賞2勝目。その後,フレグモーネや脚部不安でレースに使えずここが復帰戦。昨年9月に初めてダートを使って準オープンを勝利。シリウスステークスは圧勝で,ここはほかに重賞の勝ち馬がいませんでしたから,最有力とは思っていました。とはいえここまで離して勝つとは驚き。大レースまで手が届いておかしくない内容であったと思います。父はジャングルポケット。母はヘヴンリーロマンス。祖母がファーストアクト。ひとつ下の半妹が昨年のエンプレス杯,ブリーダーズゴールドカップ,名古屋グランプリ,今年のエンプレス杯を勝っている現役のアムールブリエ。Awardeeは受賞者。

騎乗した武豊騎手と管理している松永幹夫調教師は名古屋大賞典初勝利。松永調教師は騎手としては第19回を制しています。
虚偽と誤謬は異なるという意味において,僕は虚偽すなわち混乱した観念を全面的には否定しません。これは誤謬は全面的に否定するけれども虚偽はそうではないという意味です。
人間が第一種の認識で事物を認識することによってXの観念が発生したとします。この観念はXの真理ではなく虚偽です。なので僕はこれをこのこと自体で肯定する見解は受け入れません。しかしその人間がそれを虚偽であると知っている限りにおいては,この認識を肯定的に評価する要素があると考えます。
ただしそれは,第二部定理三三を規準として肯定するのではありません。確かにこの定理は人間の精神のうちの混乱した観念にも妥当します。ある人間の精神の本性を構成するとともにほかの物体の観念を有する限りで神のうちで十全である観念は,その人間の精神のうちでは混乱していても,その限りでの神のうちでは十全であるからです。ですがこのことはある単独の人間の精神だけを抽出した場合には,第一種の認識を肯定するということに対しては何も意味をなさないと僕は考えるのです。なぜなら,このある不足を含む認識は現実的に存在する人間にとっては必然的に生じることなのであり,この不足している部分を充足させることは不可能であると考えるからです。これは第四部定理一から明らかでしょう。Xの十全な観念が,Xの混乱した観念に含まれている認識の不足を補うことはないのです。ただ,認識の不足があるXの観念,すなわちXの混乱した観念と,そうした認識の不足がないXの観念,すなわちXの十全な観念が,同時に同じ人間の現実的知性の一部を構成することができるというだけなのです。
一方,スピノザは第二部定理三五備考で,人間による太陽の表象に関して次のように述べています。
「我々が太陽をこれほど近いものとして表象するのは,我々が太陽の真の距離を知らないからではなく,我々の身体の変状〔刺激状態〕は身体自身が太陽から刺激される限りにおいてのみ太陽の本質を含んでいるからである」。
虚偽を全面的には否定しない理由は主にふたつあるのですが,そのうちのひとつの根拠となっているのがこの部分です。
最内のダブルスターがハナへ。やや離れた2番手にサクセスコード。3番手はアウォーディーとマドリードカフェの併走。アクロマティック,バンズームと続いてイワクラギンガ,アップアンカー,メモリージルバの3頭が一団。ティアモブリーオ,モズライジンと続きました。ミドルペースだったと思われます。
1コーナーでアウォーディーがサクセスコードをインから交わして単独の2番手に。バンズームも3番手に上がり,2周目の向正面で外からモズライジンが外を進出。アウォーディーは3コーナーの手前でダブルスターに並び掛けていくとコーナーでは単独の先頭になり,ここから後ろを引き離していく一方というとても強いレース。2秒4もの大差をつけて大楽勝。2着は先に3番手に上がっていたバンズーム。後方から動いたモズライジンが4分の3馬身差の3着。
優勝したアウォーディーは昨年10月のシリウスステークスに続いて重賞2勝目。その後,フレグモーネや脚部不安でレースに使えずここが復帰戦。昨年9月に初めてダートを使って準オープンを勝利。シリウスステークスは圧勝で,ここはほかに重賞の勝ち馬がいませんでしたから,最有力とは思っていました。とはいえここまで離して勝つとは驚き。大レースまで手が届いておかしくない内容であったと思います。父はジャングルポケット。母はヘヴンリーロマンス。祖母がファーストアクト。ひとつ下の半妹が昨年のエンプレス杯,ブリーダーズゴールドカップ,名古屋グランプリ,今年のエンプレス杯を勝っている現役のアムールブリエ。Awardeeは受賞者。

騎乗した武豊騎手と管理している松永幹夫調教師は名古屋大賞典初勝利。松永調教師は騎手としては第19回を制しています。
虚偽と誤謬は異なるという意味において,僕は虚偽すなわち混乱した観念を全面的には否定しません。これは誤謬は全面的に否定するけれども虚偽はそうではないという意味です。
人間が第一種の認識で事物を認識することによってXの観念が発生したとします。この観念はXの真理ではなく虚偽です。なので僕はこれをこのこと自体で肯定する見解は受け入れません。しかしその人間がそれを虚偽であると知っている限りにおいては,この認識を肯定的に評価する要素があると考えます。
ただしそれは,第二部定理三三を規準として肯定するのではありません。確かにこの定理は人間の精神のうちの混乱した観念にも妥当します。ある人間の精神の本性を構成するとともにほかの物体の観念を有する限りで神のうちで十全である観念は,その人間の精神のうちでは混乱していても,その限りでの神のうちでは十全であるからです。ですがこのことはある単独の人間の精神だけを抽出した場合には,第一種の認識を肯定するということに対しては何も意味をなさないと僕は考えるのです。なぜなら,このある不足を含む認識は現実的に存在する人間にとっては必然的に生じることなのであり,この不足している部分を充足させることは不可能であると考えるからです。これは第四部定理一から明らかでしょう。Xの十全な観念が,Xの混乱した観念に含まれている認識の不足を補うことはないのです。ただ,認識の不足があるXの観念,すなわちXの混乱した観念と,そうした認識の不足がないXの観念,すなわちXの十全な観念が,同時に同じ人間の現実的知性の一部を構成することができるというだけなのです。
一方,スピノザは第二部定理三五備考で,人間による太陽の表象に関して次のように述べています。
「我々が太陽をこれほど近いものとして表象するのは,我々が太陽の真の距離を知らないからではなく,我々の身体の変状〔刺激状態〕は身体自身が太陽から刺激される限りにおいてのみ太陽の本質を含んでいるからである」。
虚偽を全面的には否定しない理由は主にふたつあるのですが,そのうちのひとつの根拠となっているのがこの部分です。