スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典クラスターカップ&デルフト

2015-08-12 19:04:01 | 地方競馬
 快進撃がストップしたダノンレジェンドが再び軌道に乗れるのか。第20回クラスターカップ
 先手を奪ったのはサマリーズ。ダノンレジェンドとエーシンビートロンが並んで2番手。ルベーゼドランジェ,ポアゾンブラック,ラブバレットの3頭がその後ろ。ここまでがほぼ一団で先行するというレース。前半の600mは35秒1のミドルペース。
 3コーナーではダノンレジェンドが単独の2番手に。直線の入口ではサマリーズも交わして先頭。この時点でまだ手応えに余裕があり,直線は引き離す一方で6馬身差の圧勝。先行集団の中から抜けたポアゾンブラックが楽々と2着は確保。4馬身差の3着争いは3頭の接戦になりましたが,ゴール前で出たラブバレット。
 優勝したダノンレジェンドは前々走の東京スプリント以来の勝利で重賞4勝目。前走は負けていましたが,発馬で不利があってのもの。今日はスムーズに先行できて本来の力を発揮しました。盛岡競馬場は着差が大きくなりやすいので,実際に着差ほどの力量差はないものと思いますが,ダートのスプリント路線では間違いなくトップの存在でしょう。秋に大レース制覇を目指すことになります。
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手,管理している村山明調教師はクラスターカップ初勝利。

 『ある哲学者の人生』に以下のような言及があります。
                         
 1665年に,フォールブルフVoorburgの地元の教会の牧師が職を退きました。あるいは死んだのかもしれません。いずれにせよ,新しい牧師を選任しなければならなくなりました。宿主のティードマンは,新任の牧師を人選する委員会に奉仕していたので,管区の主教らと共に,ウィーレという人物に任せるよう,市長らに請願しました。ところが保守派の牧師たちは,この指名委員会の人選が抜け駆けであると反発し,ウェスターネインという人物を新任の牧師に人選するように市に請願しました。
 保守派の牧師たちがティードマンの人選に反発したのは,ティードマンにコレギアント派collegiantenの傾向があったこと,すなわち急進的プロテスタントの傾向があったことと,ほかならぬスピノザを下宿させていることが影響したようです。保守派の請願書は残っていて,そこにはスピノザが無神論者で有害分子と書かれています。結果的に市長たちは保守派と足並みを揃え,ウェスターネインの方を選びました。市長たち,といっているのは,ひとりの市長に決定の権限があったわけではないからです。
 この一件自体はここでは考慮しません。ティードマンが請願したのも,保守派が請願したのも,そして最終的に牧師を選任したのも,デルフトの市長たちであったという点に注目します。フォールブルフは村で,この村はデン・ハーグの郊外にあると説明される場合がほとんどなのですが,行政上の管区としては,フォールブルフはデルフト市の管轄区域であったようです。
 デルフトは,レーウェンフックとフェルメールが住んでいた市です。したがってフォールブルフがデルフト市の管轄域内なら,スピノザがフォールブルフに住んでいた時期,1663年4月の終りから1669年の暮れないしは1670年の初め頃までが,スピノザとレーウェンフック,またスピノザとフェルメールの歴史的条件と地理的条件が最も近付いている時期であると考えられます。そして「天文学者」が描かれた1668年は,この時期に該当します。これはマルタンの推理にとって,有利な材料になるといえるでしょう。
コメント
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