スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

表彰選手&神の力の制限

2015-01-31 19:29:20 | 競輪
 2014年の表彰選手の発表が29日にありました。
                         
 最優秀選手賞は茨城の武田豊樹選手グランプリオールスターでビッグを2勝。ほかに静岡記念を優勝。賞金,勝率,連対率がトップ,優勝回数のトップは諸事情からFⅠを走る機会が多かったからですが,得点が4位に留まったのもその影響と考えられ,この選手以外に考えられません。だれからみても文句なしでしょう。2012年以来2年ぶり2度目のMVP。2004年に優秀新人選手賞,2005年と2009年に優秀選手賞,2010年2011年が特別敢闘賞。
                         
 優秀選手賞は3人で,まず栃木の神山雄一郎選手。高松記念広島記念を優勝しただけで,ビッグを勝っていないので意外な感がありましたが,決勝で上位に入っていた分が評価の対象になったようです。ただ,ここは同じように記念を2勝,ビッグも勝った平原でもよかったように個人的には思います。同時に特別賞も受賞。最優秀新人選手賞を獲得したのが1989年。1993年,1995年,1997年,1998年,1999年,2000年とMVPを獲得。優秀選手賞は1994年,1996年,2001年,2005年に受賞歴があり,9年ぶり5度目。特別賞は2004年に受賞していて10年ぶり2度目。1997年に特別敢闘賞も受賞していてほかに国際賞を4度獲得しています。
                         
 ふたりめは京都の村上義弘選手日本選手権を優勝し向日町記念岸和田記念を制覇。賞金も2位ですから順当な受賞。2002年と2003年,2010年と2011年と2012年にも受賞していて2年ぶり6度目。
                         
 最後が愛知の深谷知広選手。寛仁親王牌,サマーナイトフェスティバルでビッグ2勝,平塚記念豊橋記念も優勝。武田以外に複数のビッグを勝ったのはこの選手だけなので,これも当然の受賞でしょう。2010年に優秀新人選手賞,2011年は優秀選手賞と特別賞,2012年が特別敢闘選手賞,2013年にも優秀選手賞を受賞していて2年連続3回目。
 優秀新人選手賞は奈良の三谷竜生選手。ヤンググランプリは負けてしまいましたが,該当選手の中では賞金も得点もトップなので順当でしょう。ほかに記念を制した選手もいませんでした。
 特別敢闘選手賞に三重の浅井康太選手四日市記念を勝っただけなのですが,日本選手権以外のすべてのGⅠで決勝進出,グランプリにも乗りました。この結果,得点ではトップになりましたから,この部門では必然的に名前が上がることになります。2011年の優秀選手賞を受賞していて,国際賞に1回。この部門は初受賞。
 これ以外はこのブログでは扱っていませんので,省略します。

 平面上の三角形の内角の和が二直角ではない世界を可能世界としても認めないということを,僕は,神Deusは自由な意志voluntas liberaによって,平面上の三角形の内角の和が二直角でないようにすることはできないという意味に解します。どのモナドの内部においても平面上の三角形の内角の和が二直角であるというなら,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizは実質的にそう主張していると理解して間違いないと考えるからです。
 僕はスピノザ主義者です。ですからライプニッツが否定しなければならない第一部定理三三に関しても,それは真理veritasであると考えます。だから平面上の三角形の内角の和に関して,ライプニッツが主張していると僕が解している内容に関しては,同意することができます。たとえば三角形の本性essentiaを有する物体corpusが,四角形の本性を有する物体になるということは,第一部定理二八に合致し得ますから,僕はそうしたことが生じ得ると考えます。だからといって,三角形の本性が四角形の本性になるというわけではなく,そうしたことは起こり得ないと考えるのです。
 ただ,ライプニッツが主張していることを,このようにスピノザの哲学における本性という概念との関係で把握しようとするならば,ライプニッツは一般に,ある事物の本性を現にあるのと異なったように意志することは神にはできなかったと主張しなければならなくなる筈だと僕には思えるのです。考え方としてはスピノザ主義に合致するから僕としてはそれを否定する必要はないのですが,このような主張は,ライプニッツが目指そうとした哲学には著しく反するように僕には思えるのです。だから僕にとってこれが謎なのです。
 神は自由な意志によって三角形も創造できるし四角形も創造できると主張することのうちには,神の力potentia,ライプニッツの場合には神の意志する力に何の制限も課せられません。いい換えれば神の自由は守られているといえます。しかし神は意志することによって,三角形の本性を存在しないようにすることはできないとか,三角形の本性を四角形の本性にすることはできないと主張することのうちには,神の意志する力に対して,ある制限が加えられているといえないでしょうか。
コメント
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