スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典川崎記念&第一部定理三三

2015-01-28 19:24:11 | 地方競馬
 2015年の最初の大レース,第64回川崎記念
 まずサミットストーンが先頭に立ちましたが,1周目の正面に入るまでは入れ替わりが多く,隊列は定まりませんでした。結果的に逃げることになったのはランフォルセ。サミットストーンが2番手に控え,3番手がムスカテール。その後ろにハッピースプリント,トーセンアレス,ホッコータルマエの3頭。さらにカゼノコ,イッシンドウタイの順に。ハイペースでした。
 2周目の向正面に入ると一旦はランフォルセとサミットストーンの差が開きましたが,3コーナーにかけてまた詰まっていき,直線入口ではサミットストーンが先頭,外を捲ったホッコータルマエが2番手で,これを追ったカゼノコが3番手。あとの馬は力尽きて3頭の争い。馬場の中央からホッコータルマエが先頭に出て,その外からカゼノコが迫ろうとしましたが,1馬身ほどの差がなかなか詰まらず,ホッコータルマエの優勝。4分の3馬身差の2着にカゼノコ。1馬身半差でサミットストーンが3着。
                    
 優勝したホッコータルマエは前走の東京大賞典に続いて大レース8勝目。川崎記念は第63回に続いて連覇で2勝目。ここは前走より相手関係が楽になっていて,アクシデントなく走ってこられればまず勝てるだろうと考えていました。大方のファンも同様の見方ではなかったでしょうか。抜かされそうで抜かせないのは彼の強さでしょう。次のフェブラリーステークスでも有力ですが,今日のように大本命というわけにはいかないだろうと思います。父はキングカメハメハ
 騎乗した幸英明騎手と管理している西浦勝一調教師は東京大賞典に続いて大レースを制覇。川崎記念は連覇で2勝目。

 神の自由な意志によって自然は決定されるということを是認するために必要なことは,自然が,現にあるのとは異なった仕方であることができるということを認めることです。神がAを意志したならAという世界が創造され,Bを意志したならBという世界が創造されるということを認めないと,神が意志によって世界を創造するということにはなり得ませんから,これは明白でしょう。
 ライプニッツのこうした観点からターゲットとされなければならない定理が『エチカ』にはあります。第一部定理三三です。
 「物は現に産出されているのと異なったいかなる他の仕方,いかなる他の秩序でも神から産出されることができなかった」。
 スピノザの哲学では,これは神の決定が神の本性に依拠するということの帰結事項にすぎません。もしもものが現にあるのと異なった本性,現実的本性を含むような意味での本性で産出されるということがあったとしたら,その原因たる神の本性も異なったものでなければなりません。ところが第一部定理一四系一によれば,神は「唯一」なのですから,神の本性もまた「唯一」でなければなりません。神と神の本性の区別は理性的区別であるからです。よって万物は現にある本性と異なった仕方で産出されるということはあり得なかったのです。
 この意味での神の決定を神の意志と解してしまうと,神は万物が現にある本性で存在するようにしか意志することができなかったということになります。しかしこうした意志は自由な意志とはいえないとライプニッツは考えたのでした。おそらくそれはライプニッツに固有の考え方であるわけでなく,一般的に,スピノザの神の決定が神の意志であるなら,それは自由意志であるとはいえないとほとんどの人が理解する筈です。現にスピノザ自身が第一部定理三二系一では神の本性に意志を帰することを拒んでいるのですから,この点ではスピノザもライプニッツも同じように考えていたと解して間違いないと思います。
 僕の考えでは,ライプニッツのモナド論というのは,上述のようなスピノザの条件を脱するために,ライプニッツによって構築されたのです。
コメント
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