スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヤンググランプリ&実体の概念

2015-01-01 19:06:27 | 競輪
 12月29日に岸和田競輪場で行われたヤンググランプリ2014。並びは金子-坂本の栃木と野原-三谷-栗山の近畿で,小原,土屋,近藤,小岩は単騎。
 牽制になりましたが野原がスタートを取って前受け。4番手に近藤,5番手に金子で,7番手以降は小原,小岩,土屋の周回に。残り3周のバックを通過する付近で小原が上昇。小岩も続くと野原も応戦。残り2周のホームで早くも誘導を斬って前に出ると,そのまま突っ張り先行に。ただし三谷が続けなかったので,野原の後ろに小原,小岩となり,金子が小岩の外まで追い上げたところで打鐘。この後ろに三谷でしたが,近藤が内を掬って6番手に割り込み,三谷は7番手。ホームの出口から三谷が発進の構えを見せると近藤が先捲り。近藤のダッシュがよく,三谷は少し離れてこれを追うような形。前のもつれが続いて隊列が短くなっていたこともあり,そのまま捲りきった近藤が危なげなく優勝。追った三谷が4分の3車身差で2着。三谷マークの栗山が半車身差の3着。
 優勝した愛知の近藤龍徳選手はこれがグレードレース初優勝。もっとも,全選手にグレードレースの優勝経験はありませんから,実力的にはむしろ上位と思われました。ただ,近畿が強力なラインを結成し,こちらは単騎でしたから,少し不利な戦い。どういう理由で三谷が野原を追えなかったのかがいまひとつ分からないのですが,それによってイーブンの戦いになりました。うまくインを掬って,最大のライバルの1車前に出たのが勝因でしょう。このレベルでスピードが優秀だからといって,すぐに上位で戦えるわけではありませんが,かなりいいものをもっている選手だと感じました。まだ23歳ですから将来には十分に期待できるでしょう。

 実体と属性の形而上学に関しては,もはや考慮に入れなくてもよいことが確認されました。ここからは実体のみを考察の中心に据えていくことにします。
 まず,ライプニッツの形而上学において,実体がそれ自身によって概念されるものであってはならないというとき,根本的な事柄を詳しく探求しておくことにします。なぜライプニッツがそういう形而上学を創作しなければならなかったのかということも問う必要があるのですが,そちらは後回しにします。
 実体がそれ自身によって概念されないということと,知性は実体を概念し得ないということを,別のこととここでは理解します。これは実際に別のことですが,わざわざこのように前置きするのは,まさかライプニッツもそんなことを主張したりはしないだろうと思われるからです。
 すでにみたように,ライプニッツの哲学における中心的存在といえるモナドは,実体と置き換えることが可能です。そしてライプニッツは自身の哲学で,無限に多くのモナドが存在するといっています。要するに無限に多くの実体が存在すると主張するのと同じことです。ですから,知性が実体を概念することが不可能であるということをそれと同時にライプニッツが主張するとするなら,それは,知性に概念することができないものが実在すると主張していることになります。これはそれ自体で不条理な主張であるといえるでしょう。そもそも,知性に概念できないというのは,ライプニッツにも概念することが不可能であるという意味を含みます。自分には概念することができないものについて,それが存在するなどとどうして主張することができるでしょうか。ですから,ライプニッツは実体はそれ自身によって考えることができないといったのだとしても,それは一般に知性が実体を考えることができないという意味ではないというように理解して,何の問題もないでしょう。
 実体に限らずどんな事物であれ,それはそれ自身によって概念されるか,ほかのものによって概念されるかのどちらかです。つまりライプニッツ形而上学の実体は,ほかのものによって考えられることになります。それは何でしょうか。
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