スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日本選手権競輪&運動と静止の割合と本性

2014-03-23 19:12:20 | 競輪
 名古屋競輪場で18日に開幕した第67回日本選手権競輪の決勝。並びは平原-武田の関東に内藤,深谷には成田,稲垣-村上義弘-村上博幸-稲川の近畿。
 深谷がスタートを取って前受け。3番手に平原,6番手に稲垣で周回。残り2周半,3コーナー過ぎから稲垣が上昇開始。ホームで深谷の横まで上がると深谷が引いて稲垣が先頭に。平原が稲川に続き5番手になり,深谷は8番手まで下げてバックでは一列棒状。このまま誘導を外した稲垣が打鐘少し前から加速して先行。ホームから平原が発進していきましたが,上がろうとするたびに3番手の村上博幸が執拗にブロック。バックからは村上義弘も番手から発進して先頭に。平原が行かれなかったので武田が自力に転じるとこれも村上博幸がブロック。大外を捲りあげてきた深谷もこのあおりで直線の入口前でやや外に浮かされました。それでも武田と深谷は直線では差を詰めてきましたが,粘った村上義弘が優勝。4分の3車輪差の2着が武田。半車身差の3着が深谷。
                         
 優勝した京都の村上義弘選手は昨年9月の岐阜記念以来のグレードレース優勝。ビッグは昨年の日本選手権以来で11勝目。日本選手権はやはり名古屋で開催された2011年にも優勝していて連覇となる3勝目。弟があれほど牽制できたのは,稲川が4番手を回ったからという側面もあり,稲垣の先行も合わせてラインの厚みを生かしての優勝。5月から選手会の制裁で1年にわたりレースに参加できなくなることもあり,前日には最後の日本選手権だと思うというコメントを出していました。僕ですらそう感じたくらいですから,近畿の選手も勝たせてあげたいという気持ちが強かったのではないかと思います。そしてそう思わせるだけの選手であったということでしょう。

 無限様態が媒介となって個物res singularisが生起するということの意味を,延長の属性で考えてみます。
 まずスピノザは,延長の属性の直接無限様態が運動と静止であるならば,そこからは無限に多くの延長の属性の個物である物体が生起しなければならないと考えていました。これはなぜそうであるのかを説明すると約束していますので,間違いないところといえるでしょう。ただし,実際にはその約束というのは果たされることがありませんでした。しかしそれは,スピノザにとって果たすことができないことを約束したとか,後になって考え方に変更があったとかいうようには理解するべきではないと僕は思っています。ただ単に,この約束を果たすためにはスピノザの寿命は十分ではなかったというのが僕の見解です。ですからまず,運動と静止が延長の属性の直接無限様態である限り,無限に多くの物体が生起するということは,必然の第二のタイプの意味において必然的でなければならないと僕は解します。
 次に,物体に対して運動と静止が本性の上で「先立つ」という点,僕が常識の転覆といった点に関しては,岩波文庫版の114ページと115ページの第二部自然学②補助定理五でスピノザは仄めかしていると僕は考えています。このことはすでにいった通りなのですが,この定理では,運動と静止の割合が同一であるなら,ある物体の本性と形相は変化しないといわれています。するともしも,AとBというふたつの物体が現実的に存在したとして,このAとBの運動と静止の割合が同一であるならば,これはふたつの物体は同一の本性を有すると理解するべきであろうと僕は考えます。ただしこのAとBは,様態的には区別が可能です。あるいは数的区別が可能です。というのは,仮にAとBの運動と静止の割合が同一であるとしても,Aが現実的に生起する原因と,Bが現実的に生起する原因もまた同一であるということにはならないであろうと僕は考えるからです。したがってこの場合,AとBの本性が同一であるということは,個物の存在のうち,それが神の延長の属性に包含されている場合だと解しておくのが安全であるだろうと思います。
コメント
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