スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ニューイヤーカップ&第二部自然学②定義の意味

2013-01-16 18:55:17 | 地方競馬
 一昨日の積雪の影響で昨日の開催が中止となったため,今日が2013年の開幕となった浦和競馬の第56回ニューイヤーカップ
 このコースは外から逃げるのが困難。1枠のアイディンゴッテスが逃げ,2枠のチョコが追走。ソルテが3番手につけ,ウィンゲイル,ドリームゴーゴー,コパノエクスプレスといったところが続きました。前半の800mは51秒1で,これは不良馬場を考慮に入れれば極度といっていいくらいのスローペースだと思います。
 3コーナーでは前の2頭を交わしてソルテが先頭に。ドリームゴーゴーだけは何とかついていきましたが,それも直線入口まで。ここからはソルテの独擅場で,実に9馬身もの差をつける圧勝。負かしにいったドリームゴーゴーが苦しくなったところを後方から漸進してきたアメイジアが捕えて2着。ドリームゴーゴーも1馬身差の3着には踏ん張りました。
 優勝したソルテは前々走のハイセイコー記念に続く南関東重賞2勝目。能力的に突出したような勝ち方とは思えなかったので,ここは試金石とみていたのですが,この圧勝ですから,完全に僕の見立て違いで,このメンバーでは能力が抜けていたようです。ほかにも強い馬がいますが,クラシックでの好走も可能ではないでしょうか。父はタイムパラドックス。Sorteはイタリア語で運命。
 騎乗した川崎の金子正彦騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞制覇。管理している大井の寺田新太郎調教師と揃ってニューイヤーカップ初勝利。

 人間の精神が自分の身体の中に起こるすべてのことを知覚するということと,人間の身体を構成する部分の中にはその人間の精神によって知覚され得ないことがきわめて多く生じるということがまったく矛盾せず,むしろ両立することが可能であるとした場合に,ひとつ,指摘しておかなければならないことがあります。それは,例の三段論法の第一段目,すなわちXの観念を有する限りでAの観念が神のうちにあるということの,解釈のあり方です。
 分かりやすくするために,Xという物体が,Aという物体とBという物体の,ただふたつの物体によって組織されている一物体であると仮定します。このとき,三段論法では,Xの観念を有する限りで神のうちにAの観念があるということを,無条件に前提としていました。そして実際にこのことは,誤りであるとはいえないのです。むしろ確かにXの観念を有する限りでの神のうちにAの観念は存在するのです。しかし,ではなぜそれが誤りではないといえるのかということの根拠は,単にAがXの部分を構成しているという点には存しないのです。これがここで指摘しておかなければならない事柄です。
 まず第一に,Xの観念を有する限りでの神というのは,Xの観念の本性によって説明される限りでの神というのと同じ意味です。これが大原則です。
 次に,Xの部分を構成するAは,それがBと合一する限りで,いい換えるならBと何らかの有機的な連関とでもいうべきものを有する限りではXの本性に属します。しかしこのことを排除して,単なる物体Aとみられる場合には,Xの本性には属しません。これは第二部定理二四証明の冒頭でスピノザが第二部自然学②定義に言及するとき,その定義の意味として採用している事柄です。つまり,第二部自然学②定義というのは,実際には複数の物体によって組織されている一物体についての定義ではあるのですが,それと同時に,そうした複雑な物体を組織している方の物体に関しても,それがどのような意味において複雑な物体の本性に属し,どのような意味においてはその複雑な物体の本性には属さないのかということも示しているのです。いわばこれがこの定義の意味で,これがここでの第二条件です。
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