スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&条件探索

2013-01-24 18:59:56 | 将棋
 佐賀市が舞台となった第62期王将戦七番勝負第二局。
 渡辺明竜王の先手で佐藤康光王将の一手損角換り4~ダイレクト向飛車。先手が9筋の位を取り,後手が美濃囲いから先攻。千日手が懸念されましたが先手が打開。その後,封じ手の直前で後手に見落としがあったものと推測します。
                         
 ここは△1四角と逃げておくべくべきだったと思われますが△3五歩。対して▲4五歩と突き,これで先手が優位に立てているようです。
 それが封じ手の局面。その後の展開でいえば,先手の指し方にはやや性急に感じられるところがありました。また後手は自ら飛車銀交換の駒損をしましたが,それは明らかにまずかったように思います。以降は後手の攻めが続かず,先手が押し切りました。
 渡辺竜王が連勝。第三局は来月13日と14日です。

 ここでまた一般論を導入します。
 Xは一面からみられた場合にはAであり,別の一面からみられる場合にはBであるという命題があり,この命題が真であると仮定します。これから考察していくのは,このときにAとBが同一の事柄であるということが,無条件に成立するのか,それともある条件のもとに成立するのかということです。そしてこれを考察する目的は,身体の本性が変化することと,身体を組織する部分の合一のあり方が変化するということが,同一の事柄の異なった側面であると主張する場合には,この命題に則して考えられなければならないと僕は理解するからです。したがってAとBを同一の事柄とみなすために,何らかの条件が必要であるのなら,身体の本性の変化と身体を組織する部分の合一のあり方の変化を同一の事柄とみなすために,それと同じだけの条件が必要になるでしょう。
 まず,上述の一般的命題は,おおよそ以下にあげるふたつの事柄は満たしていなければなりません。いい換えればそれが最低でも必要条件です。第一にそれは,XはAであるという命題が,それ自体としてみられるならば,真の命題であるということです。同様に,XはBであるという命題も,それ自体でみられるならば真の命題でなければなりません。第二に,Aは少なくとも部分的にXを表現する,ないしはAは少なくとも部分的にAを説明するという命題は,真の命題でなければなりません。そして同じように,Bは少なくとも部分的にはXを表現する,あるいは説明するという命題も,真の命題でなければなりません。
 本来は一般論として考える場合,説明とか表現という語句を用いるのはあまり好ましいことではありません。ただ,後の考察との兼ね合いから,ここではあえてスピノザの哲学において頻繁に用いられるこれらの語句を使いました。ここではそれ以上の意図はありません。また,それが単に命題としてみなされる場合,あるいは具体的な現象,ここでは形相的と客観的を使い分けた上での形相的な現象を含意させますが,そうした現象としてみられる限り,何かここに特殊な意味があるとは考えなくても構いません。
コメント
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