スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ブロディとスヌーカ&自転車とタイヤ

2013-01-12 18:59:45 | NOAH
 アラビアの怪人黒い呪術師仲間割れすることによって,このコンビとファンクスの抗争は終焉しました。その後のシークはあまり全日本に呼ばれなくなり,ブッチャーはパートナーをカマタにして戦っていましたが,新日本に移籍。これによりファンクスの新たな抗争相手となったのが超獣でありそのパートナーだったスーパーフライです。以前はテリーとブッチャーの対立が主軸でしたが,このときはドリーとブロディの対立が主軸であったといえるでしょう。
 僕のプロレスキャリアが始まった直後の暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦にも,この両チームは出場。最終戦は1981年12月13日の蔵前国技館大会で,その日のメーンで対戦。これは不沈艦の乱入が特別の印象として残る試合ですが,それもあってブロディとスヌーカが勝利。リーグ戦優勝を果たしています。
 翌1982年の春の本場所といわれていたチャンピオンカーニバルにはファンクスもスヌーカも,そしてハンセンも参加しておらず,優勝戦は馬場がブロディに反則で勝って優勝。チャンピオンカーニバルはこれが第10回だったのですが,ここで一時的な休止期間に入り,最良の時代を迎えてから再開されました。
 この第10回チャンピオンカーニバルに続き,グランドチャンピオンシリーズという全7戦の短期シリーズがありました。実は馬場とブロディの優勝戦があった4月16日の福岡大会はこちらのシリーズ。もちろんブロディも引き続いて22日の最終戦まで参加。ファンクス,ハンセン,スヌーカと,当時の全日本のオールスターキャストといってもいいくらいの顔ぶれが揃いました。そしてこのシリーズ中に,ハンセンの乱入があった前年の最強タッグ決定リーグ戦の再戦が行われたのですが,この試合中にブロディとスヌーカは仲間割れしています。
 その後の関係からみても,これはリング内での揉め事であったにすぎません。いい換えればそういうストーリーを作ったということです。ブッチャーとシークの仲間割れにも事情があったと僕は思っていますが,このときも同じように事情があったというべきでしょう。

 これはあくまでも僕のイメージ上の話にすぎません。いい換えれば論理性を欠いているのであって,僕と同じようなイメージが湧かない方には,ただただ納得のいかない話であるだけでしょう。なので,ここまでのことを,可能な限りまで,『エチカ』の体系の中で論理的に肉付けしてみようと思います。
 まず,自転車の一部をなすタイヤに空気が入れられることの観念が,そのタイヤの観念を有する限りでは神のうちにあるけれども,自転車自体の観念を有する限りでは神のうちにはないと僕が思うことの理由です。
 これが,第二部定理九によって説明されなければならないということは,すでにいった通りであり,またこのことはだれも否定しないだろうと思います。ではこの観念がどのような順序で無限に連鎖していくのかといえば,それはまずタイヤの観念であり,入れられる空気の観念であり,たとえばそれが手動式の空気入れで入れられるとするならその空気入れの観念であり,さらにその空気入れを作動させる僕の身体の運動の観念であり,というような具合だと僕には思えます。したがって,これら各々の物体,つまりタイヤ,空気,空気入れ,僕の身体とその運動といった観念を有する限りでは,空気が挿入されることによってタイヤが膨らむことの観念は神のうちにあると思うのです。しかし一方で,自転車そのものの観念というのは,この因果関係の連鎖をどれだけ無限に辿っていったのだとしても,そこには現れないと僕は思います。だから僕は,タイヤの観念を有する限りでは自転車のタイヤが膨らむことの観念は神のうちにある,しかしそのタイヤによって部分を構成される自転車の観念を有する限りでの神のうちには,この観念はないだろうと思うのです。
 このことは,さらに次のように考えればなお納得してもらえるのかもしれません。
 タイヤは自転車のパーツのひとつを構成していますが,それ自体を単独で自転車から外すことも可能です。この場合,タイヤはタイヤであることの本性には何ら変わりはないといっていいと僕は判断します。ただそれが,ある自転車の一部を構成するタイヤから,そうではないタイヤになったということだと思うのです。
コメント
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