スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典かきつばた記念&混乱した観念の問題

2011-05-03 18:41:56 | 地方競馬
 今週は4日続けてダート重賞。今日はかきつばた記念(動画)。
 ラブミーチャンの逃げは予想された通り。セイクリムズンが2番手でがっちりとマーク。ミリオンディスクがインの3番手を追走しました。最初の600mは37秒0でこれはスローペース。
 上位の隊列は変わらないまま直線に。楽な逃げだったということもあるでしょう,ラブミーチャンも直線の半ばまでは抵抗しましたが,並び掛けていったセイクリムズンが交わすとあとは抜け出して2馬身差の快勝。外に持ち出したミリオンディスクがゴール寸前でラブミーチャンを捕まえて2着。ラブミーチャンが3着。ペースがペースだっただけに,前に位置していた馬たちでの決着となりました。
 優勝したセイクリムズンは1月の根岸ステークス以来の重賞制覇で重賞3勝目。ここは力関係では上位と思われ,地方の馬場への適性というのが焦点であったかと思いますが,問題ありませんでした。稍重馬場になったのはあるいは好都合だったかもしれません。ここで勝ったことで今後の展望も広がったと思いますし,まだ重賞勝ちを増やしていくだろうと思います。アストニシメントヤマトナデシコの分枝で,甥に3月の阪神スプリングジャンプを勝ったオープンガーデン
 幸英明騎手と服部利之調教師のコンビはかきつばた記念初勝利。

 有限な知性を代表する人間の知性についても,ドゥルーズの論証のようなやり方で認識論と実在論の問題を片付けようとするのであれば,第二部定理一一系に訴える手法が考えられます。すなわち人間の知性は神の無限知性の一部であるから,第一部定義四の知性というのを神の無限知性であると理解するならば,人間の知性もそこには含まれていると解釈することが可能になるからです。スピノザの哲学の場合,第二部定理一三備考に示されているように,すべてのものが精神を有するということになっていて,第二部定理一一系はこのうちの人間の精神だけをとくに対象としていますが,実際にそこで示されている内容は,すべての有限知性に妥当します。
 ただ,やはり認識論的に記述されているものがそのまま実在論的な意味でも妥当するという主張をする場合には,混乱した観念の問題に関しては避けて通ることはできないだろうと僕は思うのです。第四部定理三と第四部定理四から,人間が受動を完全に免れるということは不可能です。これは人間の精神にも人間の身体にも同じように妥当します。そして第三部定理一により,人間の精神が働きを受ける,すなわち受動状態になるということは,混乱した観念を有する限りでのこととされています。これらのことを合わせるなら,人間が一切の混乱した観念をもたないということ,別のことばでいうならば,現実的に存在するある人間の精神の少なくとも一部が,混乱した観念によっては構成されていないということは不可能であるということになります。したがって少なくとも可能性としては,人間の精神が属性の混乱した観念を有するということは否定できないでしょう。また,仮に人間の精神は属性に関しては何らかの方法で十全な観念を形成することができるのだということが証明されるのだとしても,第四部定理一からして,そのことが属性の混乱した観念の現実的存在を除去するわけではないのです。
 混乱した観念というのはいうまでもなく非実在的なもの,つまり有か無かでいうならば無に該当します。よってこの場合には認識論的な記述をそのまま実在論的な記述に置き換えることは不可能,あるいは少なくとも危険だと僕は思います。よってもう少し検証が必要だということになるのではないでしょうか。
コメント
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