スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天皇賞&ドゥルーズの論証

2011-05-01 18:45:59 | 中央競馬
 強力世代と目される4歳の精鋭が揃った天皇賞
 逃げるかと思われていたナムラクレセントが出遅れ。1周目の3コーナーを回るところでゲシュタルトの先導に。しかし正面に入るとコスモヘレノスが先頭に立ち,これをさらにトゥザグローリーが交わして向正面。今度は出遅れたナムラクレセントが一気に動いてまた先頭を奪うという出入りの激しい展開。最初の1000mが64秒2という超スローペースだったのでこうした展開となったのですが,結果的には最後に動いたナムラクレセントを除くと,道中で動いた馬は総崩れというレースになりました。
 よく折り合って中団の内でじっとしていたヒルノダムールが直線で馬場の半ばへ持ち出して先頭に。これに外から襲い掛かったのはやはりその後ろで折り合っていたエイシンフラッシュ。最後のところでエイシンフラッシュが内にもたれる感じとなり,先んじていたヒルノダムールの優勝。エイシンフラッシュが2着でナムラクレセントが3着。ただ3分20秒6という勝ち時計では,レース全体のレベルについては論評に値しない気がします。
 優勝したヒルノダムールは4歳世代の1頭。クラシックでは好走してもなかなか勝てず,前走の大阪杯が重賞初制覇。今日はあまり人気がありませんでしたが,勝つ力はあるとみていた馬。よく折り合ったのが第一の勝因で,2着馬とは通ったコースの差があると思いますので,内枠も好条件だったということだと思います。レースレベルとは別に能力は高いですから,今後も活躍し続けられるでしょう。父は2002年にこのレースを勝っているマンハッタンカフェ。d'Amourはフランス語で愛の。
 騎乗した藤田伸二騎手フェブラリーステークス以来の大レース制覇。天皇賞は初勝利。管理する昆貢調教師は一昨年のスプリンターズステークス以来の大レース制覇。こちらも天皇賞は初勝利。
                         

 僕自身はそれに関して懐疑的ではありますが,ドゥルーズのように,認識論と実在論の問題を,スピノザの哲学における知性は,実在するものだけを認識するというやり方で一蹴してしまうことは,まったく理由がないことであるというわけではありません。ドゥルーズは『スピノザと表現の問題』の中ではただそういっているだけで,そういうことの論拠を具体的に示しているわけではありませんが,まずは,なぜドゥルーズがそのようにいうことができたのかという観点から,この問題にアプローチしていくことにします。
 『エチカ』のことは『エチカ』に訴えるというのが僕の方法ですが,この場合には第二部定理七系に注目するのが最もよいのではないかと思います。いうまでもなくこの系を,スピノザ自身は神のうちにあるすべての観念は十全な観念であるという意味で用います。しかしここではこれをもう一歩進め,次のように理解します。
 第一に,神の無限な本性から形相的に生じるすべてのことが,神の観念から同一の秩序で客観的に,すなわち観念として生じるのであれば,形相的に実在するすべてのものの十全な観念は神のうちにあるということになります。
 次に,これらの間には同一の秩序があるだけで,一方が他方の原因であったり結果であったりするわけではありません。これは第二部定理五および第二部定理六から明らかです。よって第一の事柄は逆からもいうことができます。すなわち神があるものを客観的に,すなわち観念として把握するならば,その観念の対象ideatumというのは形相的に,すなわち観念のないしは思惟の属性の外に実在するということになります。
 ところで,知性というものが,ある思惟の様態を構成している観念の総体のことを示すのであれば,こうしたすべての観念というものを,神の知性とみなすことが可能です。この知性は無限に多くのものの観念によって構成されますから,『エチカ』ではとくに無限知性といわれているわけです。しかるにこの無限知性は形相的に実在するすべてのものの観念によって構成され,かつ無限知性のうちにある観念の対象は形相的有として実在します。したがって,第一部定義四でいわれている知性をこうした無限知性であると理解するなら,ドゥルーズのやり方は確かに理があるということになると思うのです。
コメント
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