川崎競馬も今週から夜の競馬に突入。昨晩がこの開催のメーンとなる第3回川崎マイラーズでした。
好発を決めたザッハーマインを制したのはヴァイタルシーズ。しかし外からマグニフィカが追っていくとこちらに譲り,マグニフィカの先導。2頭の直後にディアーウィッシュがつけ,ザッハーマインはインの4番手。前半の800mは49秒9のミドルペース。
ヴァイタルシーズは3コーナーあたりで脱落。ディアーウィッシュがマグニフィカに並び掛けていき,ザッハーマインがこれを追い,その後ろはやや離れました。直線ではディアーウィッシュがマグニフィカを交わして先頭に。満を持して外に持ち出されたザッハーマインが鋭く伸び,これを捕えての優勝。ディアーウィッシュが2着で同厩舎のワンツー。後方から向正面で少し押し上げた後,直線勝負に徹したコスモフォースが3着。
優勝したザッハーマインは先月のしらさぎ賞からの連勝で南関東重賞4勝目。斤量関係はやや有利と思われ,課題は南関東限定とはいえ牡馬相手であったこと,そして川崎が初コースであったことの2点でしたが,難なく克服。断然の人気であったように順当な勝利ではありますが,今後のレース選択の幅が広がるような勝利であったと思います。母系一族からはグラスワンダーなどが輩出しています。
騎乗した大井の的場文男騎手もしらさぎ賞に続く南関東重賞制覇。このレースは今年が3回目で,管理している船橋の出川克己調教師ともども初勝利です。
実をいうと,属性の観念について,それを真理と虚偽,すなわち十全な観念であるかそれとも混乱した観念であるかという判断を下すことは,第一部定理一〇があることによって,たとえば個物の観念に関して同様の判断を下す場合と比べて,かなり容易であるだろうと僕は考えています。なぜならこの判断の基準は,その観念がそれ自身によって概念されているのか,それともほかのものの観念に依拠して知覚されているのかという点にのみあるからです。したがって,属性の認識の場合に関しては,第二部定理四二からの帰結は,さらに強化されるだろうと思います。なお,このことは,第一部定義三により,実体の観念についても妥当します。また,神は第一部定義六により実体ですから,神の観念に関してもやはり同様であるということになります。
ただし,この帰結の前提条件というのは,それを認識する人間の精神のうちに,ひとつでも構わないがすでに十全な観念が現実的に実在するということです。もしもこれがない場合には,その人間はそもそも真理とは何であり,また虚偽とは何であるかということさえ不明であるということになりますから,真偽を判定するということ自体が不可能になってしまいます。よって重要なのは,現実的に存在する人間の精神のうちに,何らかの十全な観念があるということがいえるのかどうかということになってきます。
しかし,これに関しては、以前に別のテーマを考察した際に詳しく分析したように,あるということが前提できるのです。ここでは詳しく分析はしませんが,その根拠となるのは第二部定理三七であり,また第二部定理三八です。こうした共通概念というのは,すべての人間の精神の一部を構成する十全な観念なのです。確かにこれらの定理は,実際に共通概念が現実的に存在する人間の精神の一部を構成しているということについて証明しているわけではありませんが,岩波文庫版『エチカ』の117ページ,第二部自然学②要請三に示されているように,人間の身体というのは現実的に存在するならばきわめて多くの外部の物体から刺激を受けますので,多かれ少なかれ何らかの共通概念は,すべての人間の精神の一部を構成しているといっていいということになるのです。
好発を決めたザッハーマインを制したのはヴァイタルシーズ。しかし外からマグニフィカが追っていくとこちらに譲り,マグニフィカの先導。2頭の直後にディアーウィッシュがつけ,ザッハーマインはインの4番手。前半の800mは49秒9のミドルペース。
ヴァイタルシーズは3コーナーあたりで脱落。ディアーウィッシュがマグニフィカに並び掛けていき,ザッハーマインがこれを追い,その後ろはやや離れました。直線ではディアーウィッシュがマグニフィカを交わして先頭に。満を持して外に持ち出されたザッハーマインが鋭く伸び,これを捕えての優勝。ディアーウィッシュが2着で同厩舎のワンツー。後方から向正面で少し押し上げた後,直線勝負に徹したコスモフォースが3着。
優勝したザッハーマインは先月のしらさぎ賞からの連勝で南関東重賞4勝目。斤量関係はやや有利と思われ,課題は南関東限定とはいえ牡馬相手であったこと,そして川崎が初コースであったことの2点でしたが,難なく克服。断然の人気であったように順当な勝利ではありますが,今後のレース選択の幅が広がるような勝利であったと思います。母系一族からはグラスワンダーなどが輩出しています。
騎乗した大井の的場文男騎手もしらさぎ賞に続く南関東重賞制覇。このレースは今年が3回目で,管理している船橋の出川克己調教師ともども初勝利です。
実をいうと,属性の観念について,それを真理と虚偽,すなわち十全な観念であるかそれとも混乱した観念であるかという判断を下すことは,第一部定理一〇があることによって,たとえば個物の観念に関して同様の判断を下す場合と比べて,かなり容易であるだろうと僕は考えています。なぜならこの判断の基準は,その観念がそれ自身によって概念されているのか,それともほかのものの観念に依拠して知覚されているのかという点にのみあるからです。したがって,属性の認識の場合に関しては,第二部定理四二からの帰結は,さらに強化されるだろうと思います。なお,このことは,第一部定義三により,実体の観念についても妥当します。また,神は第一部定義六により実体ですから,神の観念に関してもやはり同様であるということになります。
ただし,この帰結の前提条件というのは,それを認識する人間の精神のうちに,ひとつでも構わないがすでに十全な観念が現実的に実在するということです。もしもこれがない場合には,その人間はそもそも真理とは何であり,また虚偽とは何であるかということさえ不明であるということになりますから,真偽を判定するということ自体が不可能になってしまいます。よって重要なのは,現実的に存在する人間の精神のうちに,何らかの十全な観念があるということがいえるのかどうかということになってきます。
しかし,これに関しては、以前に別のテーマを考察した際に詳しく分析したように,あるということが前提できるのです。ここでは詳しく分析はしませんが,その根拠となるのは第二部定理三七であり,また第二部定理三八です。こうした共通概念というのは,すべての人間の精神の一部を構成する十全な観念なのです。確かにこれらの定理は,実際に共通概念が現実的に存在する人間の精神の一部を構成しているということについて証明しているわけではありませんが,岩波文庫版『エチカ』の117ページ,第二部自然学②要請三に示されているように,人間の身体というのは現実的に存在するならばきわめて多くの外部の物体から刺激を受けますので,多かれ少なかれ何らかの共通概念は,すべての人間の精神の一部を構成しているといっていいということになるのです。