スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

震災復興支援競走日刊スポーツ賞東京湾カップ&表象の特性

2011-05-07 19:12:02 | 地方競馬
 2着までの馬に貴重な東京ダービーへの優先出走権が付与される東京湾カップは,3日に船橋競馬場で行われました。
 主張してジャクソンライヒの逃げ。転入初戦のリアライズペガサスが2番手で追い,リバーキンタローとファジュルがその後ろ。ペース自体はハイペースであったと思います。
 先行勢では人気のファジュルが最も先に一杯に。さらに直線に入るとリアライズペガサスも追走が困難になりました。これを尻目に快調に逃げ脚を伸ばしたジャクソンライヒが,結局は並ばれるところなく2馬身差で逃げ切って優勝。インを追走していたリバーキンタローが2着に流れ込み,最後尾からの追走となっていたゴールドスガが後半からよく追い上げて3着。
 優勝したジャクソンライヒはデビュー2連勝の後,2戦は大敗。前走は再び逃げ切って3勝目を上げていました。どうもすんなりと逃げないと持ち味を生かせないようで,今後も展開面は活躍のための大きなキーポイントとなりそうです。そういう意味では稍重馬場になったのはプラス材料だったのではないでしょうか。1951年のオークスを勝ったキヨフジの子孫になります。
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手は昨年のニューイヤーカップ以来の南関東重賞3勝目。管理している川崎の鬼沢裕充調教師は開業およそ10年半で初の南関東重賞勝利。

 これらのことから理解できることのうち,現在の考察において重要なのは次のふたつの点になると思います。
 まず,人間の精神がもしもある属性を表象するということがあるとしても,それは神の無限に多くある属性のうちの,思惟の属性であるか,延長の属性であるかのどちらかであるだろうということです。ただ,このことはそれ以前に想定できていたことでもありますから,これ以上の説明は繰り返しません。
 もうひとつは,人間の精神が何らかの事物を表象するという場合には,この観念は混乱した観念ではあるけれども,観念されているものideatumについて,その本性を含んではいるということです。なぜそういえるのかといえば,これは表象の特性に依拠します。すなわち,人間の精神がある事物を表象するということは,これまたその表象の種類がどういうものであるかということとは関係なく,その事物が現実的に存在すると認識することなのです。ところで,第二部定義二に含まれている意味として,事物の本性というものはその事物の存在を定立するものであり,排除するものではないということがありました。したがって,人間の精神がある事物が現実的に存在するというように認識するのであれば,その認識のうちには,ただそれだけで,その事物の本性は含まれているということになるのです。よって,延長の属性であれ思惟の属性であれ,人間の精神がそれを表象するということがあるとするなら,その認識のうちには,その属性の本性が含まれてはいるということになるでしょう。ただ本性を含んではいるけれども,本性そのものの十全な認識ではないということです。
 したがって,次に問題となってくるのは,ある属性の本性を含むような認識というのはどういうものであるのかということです。もちろんそれがたとえば物体Aの認識であるとするなら,それは物体Aが現実的に存在するという認識が,そうした認識であるということになるでしょう。これは前述の説明の通りであり,これ以上は追及する余地がありません。しかし属性の場合にもこれと完全に同じことがいえるのかということになると,そこの部分に僕は疑問の余地を感じるのです。というのは,第一部定義四が示しているのは,属性は実体の本性を構成しているということだからです。
コメント
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