スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

エイシンサニー&無謬性

2011-05-21 18:56:49 | 名馬
 みどりの日の兵庫チャンピオンシップで初の重賞制覇を成し遂げたエーシンブラン。この馬の曾祖母となるエイシンサニーは,僕の競馬キャリアの初期の頃に走っていた馬でした。
 2歳8月に小倉デビュー。9月に4戦目で初勝利を飾ると11月に7戦目で2勝目。年明けのオープン特別2戦を続けて好走し,桜花賞トライアルの4歳牝馬特別で重賞を制覇。桜花賞は4着だったものの,続くオークスでは桜花賞馬で後にアグネスタキオンの母となるアグネスフローラを2着に降して優勝しました。
 14戦目でのオークス制覇というのはキャリア的に異例といえるでしょう。秋は神戸新聞杯で復帰した後,ローズステークスからエリザベス女王杯と,当時の3歳牝馬の王道路線を歩みましたが,あまり見せ場がなく大敗。鳴尾記念を挟んで有馬記念にも出走。これはメジロライアンが2着となったオグリキャップの引退レースですが,14着。翌年も1戦したもののやはり大敗で,引退となりました。
 早い時期からたくさんのレースを使った関係で,競走馬としてのピークを3歳の春に迎えてしまったという面は否めないと思います。もっとも,年上の世代や牡馬が相手では,どちらにしても苦戦を強いられたのかもしれず,そういう意味ではオークスを勝つことができたのですから,レースの使い方が失敗だったとはいいきれないかもしれません。子孫からの重賞の勝ち馬は,エーシンブランが初めてです。

 この前提からどんな事柄が帰結するのかといえば,人間の知性による属性の認識に関する無謬性ではないかと思います。あるいはもっと広くいえば,こうした前提というのは,人間の知性にのみ妥当するというわけではなくて,どんな有限知性にも該当するという側面も帯びていますから,一般に知性による属性の認識の無謬性といってもいいかもしれません。
 『エチカ』において,あるいはスピノザの哲学において,第二部定理三五というのは非常に重要な定理であって,そこでは虚偽と誤謬とが異なるものであるということが示されています。すなわち,混乱した観念は虚偽ですが,ある知性の一部が何らかの虚偽によって現実的に構成されていたとしても,それだけでその知性が誤謬を犯しているとはいえないわけです。むしろそうした場合に,その知性が虚偽が虚偽であるということに気付くならば,そうした虚偽によって自身の知性の一部が構成されるということが,むしろその知性にとっては力にすらなり得るということは,かつて主題として探求した第二部定理一七備考に示されているほどです。虚偽はそれが虚偽であると気付かれない場合,より積極的にいうならそれが真理であると思いこまれる場合にのみ,誤謬であるといえるのです。
 すでに考察したように,僕たちは真理と虚偽とを分つ術というものを現実的に有しています。さらに属性の認識の場合には,仮に属性についての虚偽が構成され得るのだとしても,それを真理から分かつための判断基準というものは,単にそれがそれ自身によって認識されているのか,それともほかのものの観念に依拠して認識されているのかということのみでよいのです。したがって,どんな有限な知性も,少なくとも属性の認識に関してならば,仮にその混乱した観念,つまり虚偽をもつということがあるのだとしても,それを真理であると信じ込んでしまうことはない,つまり誤謬を犯すことはないということは,断定してしまっても構わないだろうと僕は考えます。
 このことは,記述としては認識論的にしか読解できないような第一部定義四を,実在論的に理解してもよいということの,ひとつの大きな根拠となるように思われます。しかしさらに,この根拠を強化するような要素が『エチカ』の中にはあると僕は考えていますから,引き続きそのあたりのことを考察していくことにします。
コメント
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