スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

矢内理絵子女流名人&延長論と実在論

2008-04-08 19:35:46 | 将棋トピック
 ものぐさ将棋観戦ブログのマイナビ女子オープン第一局の記事に,最近の矢内理絵子女流名人の将棋の非現代的な,かえって新鮮な棋風について触れられています。今日は僕も矢内名人の将棋の内容について,少し書いてみます。
 僕が感じる最近の矢内将棋の特徴は,形勢の如何にはあまり関係なく,中盤が長くなることを厭わないというか,むしろ好む傾向にあるということです。仕掛けた後で力を溜めるとか,ギリギリに見える局面でうまく迂回する,攻め合えそうなところでも受けに回る,自玉の安全を極度に重視するという点は,こうした傾向の表れに思えます。素人でもこういう将棋を好む人はいて,僕はそれをドM流とかドMの手筋などといっています。もちろん矢内名人のレベルと僕などでは比較になりませんが,相手が一気に勝負に来ない限り,手数も長くなるようになっているのは事実です。最近指された二局の将棋を見てみましょう。
           
 第1図は3月に指された女流最強戦の準決勝の1局面。実戦はここから△4五同飛でしたが,△同銀だったらどうかというのが解説の森内俊之名人の見方。中村真梨花女流初段は▲3三角成でも自信がなかったとのこと。これは以下,△4六銀▲同歩△同飛▲同銀△同角で激しい寄せ合いになるというのが森内名人の読み筋。
           
 矢内名人は△同銀も考えていて,その場合の予定は攻め合いではなく▲5五金。これには△3六銀▲6四金△同歩が森内名人が示した手順。
           
 しかし矢内流は△3六銀にはさらに▲4六歩とし,△4七銀成以下,さらに受けに回るとのこと。
           
 第4図は冷静に指せば先手よしが森内名人の見解で,これはこれであるようです。しかしこの読み筋は最近の矢内流の大きな特徴を示しているといえるでしょう。また,対局者ですから当然といえば当然ですが,森内名人の解説に対して,堂々と自分の読み筋を示している点も,ある意味ではすごいといえるかもしれません。
           
 第5図はマイナビ女子オープンの第一局
 実戦はここから△3四同銀▲3二龍△2二飛▲3四龍△2三銀と進みました。
           
 この手順は控室の検討陣には評判が悪く,第5図では△4二歩と指すべきではとのこと。この場合,▲2三銀成△同玉までは必然でしょう。
           
 しかし,先手玉を攻めることを考えずに後手玉だけ見れば,第6図と第7図では,明らかに第6図の方が詰みにくそうです。したがって善悪は別に,実戦の手順はやはり最近の矢内流に合致していたとはいえるかもしれません。
 最大の謎はこの傾向が何に起因するのかということ。一般的にこういうのは,終盤力に自信がない場合の指し方なのですが,女流名人位戦第三局の収束の仕方とかマイナビでも最後は詰めろで勝てるところを詰ましているのを見ると,むしろ終盤力はあるように思えます。ただ,こういう傾向を出してから,勝ち星がさらに増えているのは事実で,少なくとも現在の矢内名人自身には合っている指し方なのは間違いないといえるでしょう。

 明日は大井でマイルグランプリです。中心はフジノウェーブ◎。相手にはナイキアディライト○,アンパサンド▲,トップサバトン△。ほかにベルモントストーム△とシーチャリオット△。激戦が予想されます。

 今日,行われる予定だった川崎記念の決勝は,明日に順延となっています。並びは変わらないでしょう。

 実在論について論じるといいながら,厳密にいうなら延長論についてのみ考えるということは,しかし理由なきことではありません。
 もしもこれについて最大の理由があるなら,それは第二部公理五のうちにあります。そこでスピノザがいっているように,人間が知覚するものは,思惟の様態であるか,そうでなければ延長の様態であるかのどちらかなのです。これは,人間の身体というのが延長の有限様態すなわち物体であり,人間の精神とはその物体の観念であるという点に依拠するというのは,第一部公理五を考察したときに得られた結論のひとつです。しかしそうであるならば,人間が考えることができるのは,観念についてであるか物体についてであるかのどちらかであるということになります。観念について考えるのは観念論ですから,人間が考え得る実在論というのは,延長論だけであるということになります。
 また,この延長論を実在論と称することにも不備はないと僕は考えます。というのは,第二部定理七系が示していることというのは,すべての形相的属性の内部の秩序と連結は,一致するということも含むからです。したがって,延長論について得られた実在論としての結論は,そのほかの形相的な属性,人間が知覚することができない神の属性にも,そのまま適用できることになります。したがって,実際に考えていくことを厳密にいうならこれは延長論ですが,この延長論について,それを実在論であるとみなすということにします。
コメント (2)
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