スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

矢内理絵子女流名人&第二部定理四九系

2008-02-26 18:55:05 | 将棋トピック
 女流名人位戦で見事に三連覇を飾った矢内理絵子女流名人。倒した相手が清水市代女流二冠,中井広恵女流六段,斎田晴子女流四段というのも,これは先行世代の三強ですから価値があるところ。この棋士たちが簡単に屈するわけはありませんが,今後は同世代,あるいは下の世代との争いが中心となっていくかもしれないと予感させる結果です。また矢内名人は最近の成績も素晴らしく,女流王将戦の挑戦者決定トーナメントはベスト4進出,初代女王の座をかけてのマイナビ女子オープンも決勝五番勝負進出,ネット棋戦の女流最強戦もベスト4に残っています。また,棋王戦は予選の一回戦を突破しました。
 矢内名人は1993年にプロになり,1995年に女流王位戦の挑戦者に。ここは敗れましたが,1997年に再び挑戦,この女流王位が初タイトル。これを一期で失冠すると女流名人までタイトル獲得がならなかったことを考えれば,最近の充実振りは素晴らしいといえます。以前は序盤巧者という印象だったのですが,最近は終盤の切れ味も増し,また悪くなったときの粘り方の技術も上がった感じです。
 ところで,矢内名人が初タイトルに挑戦した際の将棋世界の記事に,新幹線に乗り合わせた清水市代女流二冠(当時の女流王位)がにっこりと微笑んだという記述があります。筆者はここに清水二冠の第一人者としての姿を見た,としています。
 矢内名人は昨年のレディースオープンで,里見香奈女流初段を破って優勝しました。その回顧記事の中に,僕はそのときの清水王位の姿のようなものを感じます。とくに,これから間違いなく自分のライバルとなるであろう相手に,
 
 お互い我慢の展開だったので、里見さんの若さが出たというところでしょうか。
 しかしそれは良いことです。
 積極的に局面を打開する、その姿勢はごく自然であり、これほど大きな舞台でもその指し手を選べる度胸は素晴らしいと思いました。

 というようなことはなかなかいえるものではないと思うのです。また,将棋番組の聞き手を務めるときの,視聴者や解説者に対する配慮にも光るものがあると個人的には感じています。そういう意味でも,単に棋力という面だけでなく,女流の第一人者に相応しい存在となっているように思うのです。

 明日は川崎でエンプレス杯。これは難しく,一応はアイスドール◎,ラピッドオレンジ○,サヨウナラ▲の順。トキノミスオース△とクインオブクイン△。カネショウバナナが取消しています。

 また,明日から王将戦七番勝負の第五局です。羽生善治王将が勝てば防衛という状況で,久保利明八段の踏ん張りに期待したいところです。

 観念というものが絶対的な思惟ではないということ,あるいは観念は思惟の属性そのものではなく,思惟の様態であるということは,現在の考察と関連ささせるならばそうも深く追求する必要のあることではありません。しかしスピノザの哲学における観念論の中にあっては,これは大事な事柄であると僕は考えていますので,ここでこのことを『エチカ』に訴えることにより,まったく別の観点から証明しておくことにします。
 ここではこのために,第二部定理四九系を使うことにします。「意志と知性とは同一である」。スピノザが意志と呼ぶところのものは個々の意志作用の総体のことであり,また知性とは,個々の観念の総体のことです。したがってこの系がまず意味している事柄は,意志と観念とは実は同一のものであるということになります。
 実際には,意志というものは知性というものを超越し得ると考えることが哲学では多く,スピノザの哲学とニーチェの哲学との対立のひとつにそうした考え方があると僕は思っています。この系は本来はこうした観点から示されていると考えられるべきもので,意志は観念を超越しないというスピノザの主張であるといえるでしょう。これについてはいずれ別のテーマとして論じる必要があると思います。しかし今はこの意味を離れ,むしろ観念が意志と同一であるということ,いい換えれば,観念の本性と意志の本性は同じなのであるという点にのみ着目することにします。
コメント
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