スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

京の雅賞&無限と有限まとめ②

2007-10-06 19:09:16 | 競輪
 昨日の特選3レースの1着,優秀2レースの3着以内の選手で争われた今日の共同通信社杯競輪2日目メーンの京の雅賞(共同賞)。
 荒井選手と室井選手が揃って飛び出してこのラインの前受け。村上義弘選手が3番手に入り,後閑選手は6番手,小橋選手が7番手からの周回。残り2周のホームに入るところで小橋選手が上昇開始。後閑選手はこのラインの4番手に切り替えました。小橋選手は村上義弘選手を牽制しながら,バックに入ると荒井選手を叩いて先行態勢。打鐘から下がった村上義弘選手も巻き返していくと,小橋選手の番手の岡部選手のブロックを受けたもののこれをはねのけてバックでは出きりました。この先行争いを尻目に後ろで控えていた荒井選手もバックから捲り発進。村上博幸選手にブロックされましたが行ききりました。ただし室井選手が離れたので村上博幸選手がスイッチ。荒井選手が1着,村上博幸選手が2着で,村上博幸選手の後ろを固めた加藤選手が3着になっています。なお,後閑選手は直線入口あたりで落車。審議にはなりましたが失格者はなく,後閑選手は再乗で9着となっています。
 前受けして一旦は下がり,先行争いを誘ってそれを捲るというのは荒井選手の勝ちパターンといえるレース。今日は注文通りのレースになりました。荒井選手にとって問題は,メンバー次第ではそのようにならないケースもありますので,そういうメンバーでのレースになったときの対処の仕方でしょう。

 スピノザは事物が無限であることを,その事物の存在の絶対的肯定であるといい,これとは反対に事物が有限であるということを,その事物の存在の部分的否定,絶対的否定ではなく部分的否定であるといいます。このようにいうこと自体は,たとえばスピノザの哲学においては,第二部定義六により,事物の実在性と事物の完全性がまったく同一であるとされていること,また,事物の本性と実在性の関係が,実在性というのがその事物の力という観点からみた限りで本性そのものと理解できるということからして,妥当であると考えられます。そこで,事物が有限であるということと,事物が何らかの意味で否定されるということは,同一の事柄ではないかという視点から,事物の限定と否定の関係を,形式的な文法論に訴えることによって解明してみようと試みました。これが今回のテーマの最大のポイントであったといえます。
 もしも単純に,XはYではないという否定命題が真の命題であるとき,XはYによって否定され,限定されると仮定すれば,無限であるものが有限であるものによって否定されるということになります。しかしこのことが成立するのは,文法的観点からみた場合には,主語と述語との間に等価性がある場合のみです。たとえば動物と馬の場合のように,この等価性がない場合について考え,否定と限定の関係がどのようになっているかを調べ,さらに一般に,ある事物の限定の対象とはどういうものであるのかということ,そして事物が限定されるということと,その事物を主語あるいは述語にした命題文との関係がどのようになっているのかということも理解できました。そこでこれらを手掛かりとして,無限と有限の関係を考察していったわけです。

 またパソコンの具合が悪くなっています。せめてこのテーマは終わらせたいですが…。
コメント
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