スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

菊花賞&定義の実在性

2007-10-21 19:23:35 | 中央競馬
 クラシック三冠最後のレースにあたる今日の第68回菊花賞
 まずマンハッタンスカイが好発から逃げましたが,1周目の正面に入るところではホクトスルタンが先頭を奪ってこちらが先導。ヴィクトリーは心配通りにまともに引っ掛かり,何とか抑えて内の2番手。道中の消耗が激しくレースになりませんでした。サンツェッペリンとマンハッタンスカイの4頭はほぼ一団で,5番手の外にアサクサキングス。最初の1000メートルは60秒7,ミドルペースといっていいでしょう。
 2周目の3コーナー過ぎにホクトスルタンは一旦後ろを引き離しましたが,これを5番手からアサクサキングスが追ってきて,直線に入ったところで少し外によれるような仕種をみせたものの,ホクトスルタンを交わして先頭に。道中はこれをマークするような位置から,少し遅れて直線はアサクサキングスの外に出てきたアルナスラインがこれを追ってきて,1着争いはこの2頭の叩き合い。アサクサキングスが僅かに凌いで優勝,アルナスラインが2着で,道中は中団の内から直線でも内目を追い上げたロックドゥカンブが3着という結果でした。
 優勝したアサクサキングスは2月のきさらぎ賞以来の勝利で重賞は2勝目,大レースは初制覇。鞍上の四位洋文騎手は日本ダービー以来の大レース優勝。管理する大久保龍志調教師はこれが初の大レース制覇(これは間違いで,2006年のダービーグランプリを制していますので,2勝目になります。)になりますが,まだ厩舎開業4年目で,ここ最近の活躍ぶりからすればまだまだ増やしていきそうです。今日は有力馬に距離を疑問視される馬が多かった中では,この馬はその不安が少なかったのですが,やはりこの距離が最大の勝因といえそうです。もちろん2000メートル前後でも走れますが,相対的には長い距離の方が活躍できるのではないかと思います。
 2着のアルナスラインは春にオープン特別を勝った後に故障,前走の京都大賞典で復帰すると古馬の一流どころを相手に3着となっていました。僕は軽視していたのですが,僕が考えていた以上に高い素質の持ち主であったようです。
 3着のロックドゥカンブは南半球産。馬は春に産まれますからほかの馬たちより半年ほど後の産まれ。その分2キロの減量はありましたが,それでもこの時期で,半年の先輩を相手に戦うということは楽ではありませんから,よく走っていると思います。今後という意味では最も高い期待をかけられる存在かもしれません。
 期待したヴィクトリーはレースにならず。2000メートル程度のレースに出てくれば巻き返せるのではないかと思います。

 第二部定義三の定義としての妥当性の根拠としては,このようにここで定義されている観念に焦点をあてて考察することも有効だと思いますが,逆に,ここでは観念が定義されているのだということ,すなわち定義それ自体に着目するのもよい方法なのではないかと僕は考えています。
 スピノザの哲学,とくに『エチカ』において,十全な観念と混乱した観念の関係は,それがある有限な精神に関連付けられる限りではありますが,単に十全な観念が真理であるのに対して混乱した観念は虚偽であるということだけでなく,それぞれが有と無,すなわち,十全な観念が実在的であるのに対して,混乱した観念は非実在的であるという関係にあります。これは第二部定理四三備考でスピノザが言及していますので,間違いのないところでしょう。そしてこのとき,第二部定義二によって,事物の本性はその事物の存在を定立するのであって,排除することはないというのが重要になります。このことから,無であるものの本性がある積極的なものによって構成されるなら,それはその事物の存在を定立しますから,これをいうことは矛盾である,すなわち,無の本性は積極的な内容をもつものではなく,むしろ,本性が本来はそうあるところのものに対するある矛盾から構成されるということが理解できます。
 ところで,スピノザの哲学においては,定義への疑問で説明したように,定義というのは定義された事物の本性を示すのです。よって無であるものについては,それを積極的に定義することが不可能であるといえるのではないでしょうか。そして混乱した観念というのはまさにその無を意味するわけですから,観念の定義からそれが排除されていたとしても,これはむしろ当然であるといえるのではないかと思うのです。
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