三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の石垣天守。

2020-05-05 14:33:53 | 城郭天守石垣

2020年5月5日(火)今までに訪問した天守無、石垣残存のお城を取り上げました、新型コロナで自粛中城郭巡りが出来ず・・・・。

安土城・・・ご存知城郭革命、天守(天主と呼んだみたいですが)が出来たのですね、天正4年(1576)安土山198m琵琶湖東岸に織田信長が築城した大手通りの石段です。

安土城本丸天主の石垣です、5重6階地下1が築城。

豊後竹田城(岡城)です、高石垣で有名な山城です、天神山325mに築城した防御力の高い山城ですね。

本丸天守石垣です、中川秀成7万石、文禄3年(1594)に改修、層塔型3重4階の天守が聳えていたみたいですね。

茨城の笠間佐白山182mにある、蒲生郷成3万石が慶長3年(1598)に改修した、笠間城本丸の石垣です、東日本大震災で石垣が崩れました。

笠間城天守の石垣です、今は佐志能神社がありますが、当時は殿守櫓2重2階の天守。

金沢城・・・加賀百万石のお城です、慶長8年(1603)前田利家・利長、橋詰門・続櫓で二の丸への虎口ですね、左奥が天守方向。

金沢城本丸天守の石垣ですね、正面に本丸戌亥櫓、左後に辰巳櫓、中央に望楼型3重4階の天守があったのそうですが、落雷で焼失以後再建されずとの事ですね。

奈良郡山城の追手門・追手門向櫓です、天正13年(1589)豊臣秀長100万石が改修。

郡山城本丸天守の石垣です、5重6階の天守があったのです、秀長は防御性の高い築城家だったのでしょうね。

ご存知徳川家康が築城(改修)した江戸城の北詰門の高石垣です、この中後ろに天守があるのです、美しい石垣ですね。

江戸城本丸の天守台の石垣です、江戸城天守は3度建てられたのです、寛永14年(1637)層塔型5重5階地下1階の天守ですが明暦の大火(明暦3年(1657))で焼失、天守台は復元されましたが、江戸の町復興を挙げた会津藩主保科正之により天守は再建され無かったのですね。

甲斐府中城(甲府城)の稲荷櫓です、築城者は徳川家康?、天正11年(1583)・・今のは江戸期に改修されたものを復元。

鉄門脇の石垣から見た本丸石垣と奥中が天守台石垣・・・天守は不明。

奈良高取城・・・三の丸大手門石垣、高取山583m比高350mと山中にこれでもかコレデモカと石垣を並べた日本三大山城(備中松山城・岩村城)です、これも豊臣秀長の家臣本多利久が天正17年(1589)改修した城です。

二の丸から見た本丸天守の石垣です、天守は連立式3重3階地下1が山上に聳えていたのです、凄い城ですよ。

香川の高松城の月見櫓です、天正15年(1587)生駒親正築城の海城ですね、水堀はすべて海水ですね。

高松城本丸です、本丸には廊下橋で入ります、正面石垣が天守です、3重4階地下1だそうです、再建の話があるみたいですね・・・・見れればいいな。
結構昔の写真を集め大変なので取り合えず今回は・・・あと2回ぐらいは出来そうですが。

















最新の画像もっと見る

コメントを投稿