三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

大聖寺城跡に行って来ました。

2019-03-16 11:39:18 | 城郭福井
2019年3月12日(火)に金沢に午後から大聖寺城跡に行ってきました、JR大聖寺駅から歩いて20分ぐらいでしょうか、やはり途中から雨・雹にあい大変でしたね、大聖寺城は旧北国街道に面した標高60-70mの小高い山に築かれたお城です。
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駅前の案内所に有ったお城の模型ですが??。
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駅前から旧北国街道にでて熊坂川の向こう側に見える森が大聖寺城跡です。
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大聖寺城跡の入り口に架かる案内図です、この城跡は加賀藩の御止め山で入山禁止だったので遺構が良く残っているのです、本丸・二の丸・三の丸(北の丸)・東西・鐘の丸と各曲輪が解りやすく配置されています。
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真ん中に駐車場でこの東側の脇から入りますね。
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階段を少し上ると本丸脇が続きます、正面が本丸方面で、左側が東の丸側です。
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まず左側の東の丸から・・・急な横矢状態の階段を上がります。
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回り込むように上がると東の丸です。
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此処からの見晴は良好ですね大聖寺の街が眼下に見えますね、今日は天気が悪いので霞んでいますが。
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小さな曲輪が幾つか続きますが、漸く鐘が丸でしょうか?。
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登り詰めると大きな曲輪が・・・鐘が丸です、奥が高くなっています。
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鐘が丸を回り込み進むと本丸の脇(左側)に右側奥が鐘が丸です、此処を左方面へ回り込みます・・・本丸脇へ。
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この辺では大雨ですね、先程の登り口の上に出てきたのです、此れから左側の本丸方面へ進みます。
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イザ、本丸へ。
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登った所が馬出曲輪。
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馬出曲輪から本丸へ。
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階段を上ると本丸・・・イイエ本丸前の腰曲輪でした、奥が本丸ですね。
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本丸南虎口を経て本丸へ。
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大聖寺城本丸です、奥が城主山口宋永(玄葉)の墓です、此処加賀の国は一向一揆が根強く尾山御坊(金沢御坊)を織田信長軍の柴田勝家が鎮圧・・・佐久間盛政がここの城主になりました天正5年1577年の事です、元亀天正・・・戦国期の真っただ中です、その後上杉謙信が能登七尾城を攻略し南下、柴田軍は大敗したのです、秀吉時代に小早川秀秋が越前北ノ庄(福井)で15万石となり重臣の山口宗栄が6万3千石で大聖寺城の城主となったのですが関ケ原の戦いで西軍(のちに秀秋は寝返り東軍へ)へ前田利長は2万山口宗栄は500での攻防となり滅亡したのです。
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城を枕に討ち死にした山口玄葉の墓が今も本丸に・・・・。
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本丸北東虎口で二の丸方面へ・・・本丸からの虎口は二つですね。
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本丸・二の丸・西の丸の間にある馬洗池・・・ここでは大雨・雹でカメラは曇るは足元はぬかるは大変の一言でもここまで来たら帰るわけにはいかない・・・・。
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二の丸へと上がりました、此処から右側奥の虎口へ・・・この向こう側に腰曲輪のように三の丸(北の丸)が・・。
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二の丸からの虎口です、左側が三の丸側、右側が戸次丸方面です。
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左側の三の丸(北の丸)へ戸次丸へは下りませんでした。
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三の丸です。
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三の丸を回り込み西の丸へ下が馬洗池斜め左側が二の丸、右側が本丸と空堀で鵜あけられていますね、なをも進むと本丸脇から下城、なお、この城は元和元年1615年の一国一城令で廃城となり、1639年利家の三男利治が7万石で加賀支藩となったがお城は置かず陣屋だったそうです、結構数奇なお城です。























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