三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

越前一乗谷城跡に行って来ました。

2019-03-18 07:22:06 | 城郭福井
2019年3月13日(水)に越前(福井県)一乗谷城跡に行って来ました、天気予報では雨カミナリなので金沢城を見に行きましたがあまり雨も降らないので特急で福井へ福井駅から高速バスで一乗谷朝倉氏遺跡の復原街並へ行きました、雨は降ったり止んだりです。
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一乗谷城跡はご覧のような山の谷間(一乗谷)を利用した生活空間の城下町と背後に有事の際の詰めの城(山城)と周囲の山々の山上にも支城を設けた防御に優れた城です、一乗谷の前後に城戸を設けてを有ります。
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此れが上城戸です、土塁・石垣を積み上げ敵を遮断しています。
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川の両側に館を築いた城下町で朝倉氏五代103年の栄華を誇ったのです。
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復原した武家屋敷の街並みです、発掘により基石通りに建物を復元したのです。
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もう一つ復原写真を。
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復元していない場所も当然多数あります、当時1万人からの集落だそうです。
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此処が朝倉氏当主朝倉義景の館跡です、三方を堀・土塁で囲んだ通常の生活空間です、後は山です。
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唐門ですね・・・・。
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此れが館跡内部です、多数の建物の基石があります。
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内部から見た土塁です、普通の生活空間の館ですね。
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折角ですから、もう一枚、朝倉氏朝倉孝景の時は室町時代管領の下の御相伴家ですが、応仁の乱(応仁元年1467年~文明9年1477年)で活躍し戦国大名として力を付けました、隣国加賀は一向一揆の為100年にわたり争ってきました、戦国期の最初から最後近くまで頑張ってきたわけですね。
室町幕府最後の将軍足利義昭も一時この一乗谷館にいたわけですが織田家に移り織田家越前侵攻の名目を与え元亀元年1570年侵攻、この時は織田信長の義弟浅井長政の寝が入りで敗退、以後4年間対立、織田方の内部懐柔工作等で戦意が無くなり、天正元年1577年に再度侵攻刀根坂の戦いで敗れ一乗谷へ帰陣したが500名程とかで、再起をはかり越前大野へ移るが裏切りにあい自刃、織田信長は取って返し小谷城の浅井軍を打ち取ったのです。
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これから一乗谷城跡・・詰めの城へ登城、八幡宮脇から馬出コースからです。
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馬出ルート・下城戸ルートが有りますが馬出ルートは急坂を上りますね、約1時間とあります。
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少し林道を上ると山道の入り口がこの辺が馬出曲輪ですね。
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大きく削平されているのが解りますか。
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段々に削平・・・石積みも少し見えますが?。
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しばらく上ると砂防ダムがありその上に小見放城の看板が、右奥が多分堀切でしょうその上が多分・・・・急坂なうえに雨でグシャグシャで・・・。
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もう少しわかりやすい写真を、右側が明らかに堀切ですね、そちら側には入れず左側の道を上がります、ハッキリ城跡はわからず。
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なをも上に、磨崖仏の石です、登りには気が付かずでした。
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帰りに撮ったのです、わかりますか。
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所々が泥濘で滑る急坂を上り漸く標識があらわれてホー・・・・何せクマよけの鈴を手に持ち鳴らしながら登るのですからね!。
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千畳敷下の不動清水の水場です、後少しですね。
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頂いた歴史の証人の城跡の縄張り図が解りやすいので、左側千畳敷に直接登ってきたのです、此れから山上御殿群を見て連続曲輪群を見て回ります。
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千畳敷です、城主の山上の居住空間ですね。
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千畳敷脇に土塁で囲まれた観音屋敷跡、奥が月見櫓跡で右側が宿直郭です。
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宿直郭です。
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宿直郭からの景色です眼下に一乗谷が見えますね・・・・当番で山上に居住し見張っていたのでしょうね?。
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この標識の縄張り図では上側から登って来たのです、今山上御殿群と連続曲輪群の分岐にいます。
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分岐です、下城戸ルートと右側が馬出ルート(千畳敷)が合流、此れから連続曲輪群へ入ります(直進)。
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細く切った尾根筋を進みます、奥が一の丸です。
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この上が一の丸です、この上には今日は登れませんね・・・・滑りそうで危険ですから、脇を回り込み二の丸へ。
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此処も二の丸の広場には登れません。
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二の丸と三の丸を区切る堀切です、一の丸と二の丸の堀切が一番大きいかな。
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三の丸です、此処は上りました細い尾根筋ですね、昔でも建造物が有ったのか?柵ぐらい?。
何せ雹が雪のように降ったり、雨になったり道は悪く、脇の構造までは・・・・・帰りは木の杖で慎重に下りましたが靴ズボンは泥だらけでした、信長との戦いではこの城の防御も使われなかったのでしょうね?、防御の仕組みも人心が離れれば崩壊ですね。



































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