三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

世田谷城跡に行って来ました(豪徳寺・松陰神社)。

2020-01-03 08:21:48 | 城郭東京

2020年1月2日(木)に世田谷城跡に行って来ました、小田急線で豪徳寺駅、豪徳寺・世田谷城跡・松陰神社と歩き世田谷線で松陰神社前駅から下高井戸駅へ。

豪徳寺駅から世田谷線脇を豪徳寺へ。

豪徳寺です、此処は彦根井伊家の所有地で歴代藩主六名の墓がある菩提寺なのです、招き猫でも有名ですね、世田谷を代表する古刹なのですね。

大勢の方がお参りに来ていました、井伊家の墓は左側奥、招き猫の招福殿は正面の仏殿左側。

仏殿です、三重塔もありました、このお寺も世田谷城のお城の一部とか?・・・・今でも広大な敷地のお寺で世田谷城跡も隣り合わせですから。

豪徳寺をでて少し先に世田谷城跡公園があります、少しの高台に位置しますね。

石積で覆われた公園です、土が流れない様土塁が覆われていますが、元の形状雰囲気が伝わる城跡です。

世田谷城跡の端です、この奥に細長くあるのですが、奥の台地には入れません・・・多分豪徳寺方面に繋がっているのでしょう?。

細かな丘(曲輪?)空堀で区切られていますね。

上から見れば少し高い台地が解りますね、昔は川があり防御に適した台地なのでしょう。

空堀が見えますね、此処は吉良氏のお城で清和源氏・足利氏の士族ですから鎌倉時代から勢力があり、上杉・太田道灌の与力で後に後北条に属していたのですね。

今見ると空堀と物見櫓跡みたいに見えますね?。

此処は空堀跡でしょうね、東京の世田谷に城跡が・・・・・うれしいですね。

世田谷城跡から道を聞きながら歩いてきました、松陰神社です、祭神は長州藩士吉田寅次郎藤原矩方の命・・・吉田松陰です。

沢山の方がお参りに、松陰は幕末の思想家教育者で私塾松下村塾を主宰安政の大獄に連座し刑死30歳でした。

神社横手にあるお墓です、刑死四年後、文久三年1863年(京都で新選組がデビュー)に門下生高杉晋作・伊藤博文等により当時長州藩の所領のこの地に改葬。

幕末の志士の名が見られますね。

萩で見た?、松下村塾が再現されて神社横にありました、”身はたとひ武蔵の野辺にくちぬとも留め置かまし大和魂”・・・。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿