最近、私たちの住んでいる世界というのは、
自分たちが思っている以上に複雑にできている、なんて思うことがある。
学生時代、解剖学で人間の腹わたの中を見た時、
どこが肝臓で、どこが腎臓なのか、はじめて見た者にとっては、
まるで区別がつかなかったものだ(今だって、見てもわからんけどね)。
「ああ、やっぱりレオナルド・ダ・ヴィンチは凄いんだな」なんて単純に思ったものだ。
人間の臓物を例に出すのも何だけど、
このように機能や役割がまったく違っても、見た目に区別がつかぬものは世の中に多い。
それを理解し、解明するには大変な努力と時間、そして歴史的な積み重ねが必要なのだ。
教育というのは、ある意味で、それらを区別できる知性のトレーニングでもある。
見た目が似てるからといって、それこそ味噌もクソも一緒にしてはいけないということですな。
そんな意味で、日本人の好きな「血液型性格判断」ちゅーのは、
味噌もクソも一緒にしてしまう、きわめて乱暴な話・・・といえるでしょう。
なにしろ60億の人間を、たったの4種類に分けてしまうんだからね。
ただ、血液型にある種の傾向があることも間違いないようで・・・
たとえば、なぜか美術関係の人間にはB型が多いのだ。
私のまわりにもBがひしめいており、これがみな自分勝手で人の話を聞かず、
自分の言ってることが正しいと、根拠もなく確信している、実にハタ迷惑な輩たちである。
(もっとも、かく言う私も巷で評判のわるい、そのB型の一人なんだがね~)。
ちなみに嫁はA型で、世間はみな「奥さん、大変だね」と同情されるので、
それも何だか面白くないというわけで・・・。
まあ、血液型の話も世間話で終れば罪はない
いけないのは、そこから逆算して人格を決めつけてしまうことなんでしょうな。
写真は赤坂2丁目のイタリアン、アクアティック。
こちらは旅の指さし会話帳・イタリアの著者、
堀込玲さんのご紹介なんだけど、さすがに世界的パスタ会社・バリラの人だけあって、
イタリアンの真髄とも言える一品ばかり。
写真の温野菜は絶品で、野菜の美味しさはもちろん
それぞれ良い火加減で仕上げっています。
ぐるなびの評価が思ったほどでないのは、やはりランチだけ行く人が多いせいか?
自分たちが思っている以上に複雑にできている、なんて思うことがある。
学生時代、解剖学で人間の腹わたの中を見た時、
どこが肝臓で、どこが腎臓なのか、はじめて見た者にとっては、
まるで区別がつかなかったものだ(今だって、見てもわからんけどね)。
「ああ、やっぱりレオナルド・ダ・ヴィンチは凄いんだな」なんて単純に思ったものだ。
人間の臓物を例に出すのも何だけど、
このように機能や役割がまったく違っても、見た目に区別がつかぬものは世の中に多い。
それを理解し、解明するには大変な努力と時間、そして歴史的な積み重ねが必要なのだ。
教育というのは、ある意味で、それらを区別できる知性のトレーニングでもある。
見た目が似てるからといって、それこそ味噌もクソも一緒にしてはいけないということですな。
そんな意味で、日本人の好きな「血液型性格判断」ちゅーのは、
味噌もクソも一緒にしてしまう、きわめて乱暴な話・・・といえるでしょう。
なにしろ60億の人間を、たったの4種類に分けてしまうんだからね。
ただ、血液型にある種の傾向があることも間違いないようで・・・
たとえば、なぜか美術関係の人間にはB型が多いのだ。
私のまわりにもBがひしめいており、これがみな自分勝手で人の話を聞かず、
自分の言ってることが正しいと、根拠もなく確信している、実にハタ迷惑な輩たちである。
(もっとも、かく言う私も巷で評判のわるい、そのB型の一人なんだがね~)。
ちなみに嫁はA型で、世間はみな「奥さん、大変だね」と同情されるので、
それも何だか面白くないというわけで・・・。
まあ、血液型の話も世間話で終れば罪はない
いけないのは、そこから逆算して人格を決めつけてしまうことなんでしょうな。
写真は赤坂2丁目のイタリアン、アクアティック。
こちらは旅の指さし会話帳・イタリアの著者、
堀込玲さんのご紹介なんだけど、さすがに世界的パスタ会社・バリラの人だけあって、
イタリアンの真髄とも言える一品ばかり。
写真の温野菜は絶品で、野菜の美味しさはもちろん
それぞれ良い火加減で仕上げっています。
ぐるなびの評価が思ったほどでないのは、やはりランチだけ行く人が多いせいか?
AっぽいOとか、
なんか色々折衷型がありますね。
かよままさんの場合は、
BっぽいAとか、OっぽいA?
何だかよくわからんな・・・。
人間、自分が人にどう見られているのかは、
本当のところ、一生わかりません。
わからんところが良いのかもね。
そんな感じ?
どう人から見られてるのかが
この年になっても
まだ解らない私…