僕はほとんどギャンブルをしない。
競馬は、最後に競馬場に行ったのが大学時代のばバイトに札幌競馬場に行った時。馬券買ったのもほんと覚えてないくらい昔。浅草で一度買ったことがあるかな。
(ブログに書いてたな、と思って探したらあった。こういうときブログって便利。)
パチンコはたぶん、5年前くらいに函館で行ったのが最後。それもパチンコがしたかったわけじゃなくて、仕事の空き時間にすごく寒くて、そこ以外に寒さを凌ぐ場所がパチンコ屋しかなかったから。東京在住の人には分からないと思うけど、地方都市には「風の当たらない場所がパチンコ屋しかない」駅前ってあるんだよ。
麻雀は3、4年に一度付き合いでやる。だいたい負ける。麻雀に不真面目に取り組んでいるんだもの、勝つわけが無い。
宝くじ(これはギャンブルじゃないけど)もほとんど買ったことがない。
というように別にギャンブルを憎んでいるわけではないんだけどどうも僕はギャンブルに親しまないで生きてきた。
ちょっとしたゲーム、例えば「今度のワールドカップでどこが勝つだろう」とかそういう予想は嫌いではないんだけどね。
ギャンブルはしないけど「ギャンブル」という要素は好きです。だからギャンブルが描かれている漫画や小説はよく読む。有名どころだと漫画「カイジ」、ジョジョにだってギャンブル要素がたまに出てきたりする。小説だと「麻雀放浪記」が代表かな。そういう作品に描かれる「ギャンブルにまつわる人間心理」は非常に興味深い。
だからギャンブルをよくやる人と会うと「なぜギャンブルが好きなのか」という話を聞くことがある。決して「なんで、ギャンブルなんてものをやるの?」と非難したいわけではなく、その人がギャンブルのどこに価値を見出しているのか、ということに興味があるから。
もちろん回答の多くは「お金が欲しい」ということになる。それは僕にとってはまぁ予想の範囲内なんだけど、時に「へぇ、なるほどねぇ」と思う回答が聞ける場合がある。
最近聞いた回答の中で面白かったのは「自分の予想が裏切られることが楽しい」というもの。
競馬について、その人が言うには「色々情報仕入れて親のレースも見て、色々予想して『これが来る』と確信めいたものが出来るけど、最後の最後でそれが裏切られる。その裏切られ方が想像以上であればあるほど感動する。これほどまでに自分の思い通りにならないものがあるのか、と思う」とのこと。
なるほどねぇ。
その気持ちは僕も仕事においてよく分かる。悪い方向に予想が裏切られることはもちろん残念だけど、そういう場合だって「ああ、こういうことも起こりうるのか」と思う。良い方向に予想が裏切られるとそれはそれでうれしい。
そういう「予想を裏切られる」、という体験がいい割合で含まれていないと日々の生活ってあまり楽しくないよね。すべてが予想通りだったらつまらないじゃないですか。
そう考えるとさ、つい先日、大きな会社の社長が子会社から何億も融資を受けてそれをカジノで使い切っちゃったという事件があった。
その人の行ったことがいい悪い、ということは置いておいて、その人の気持ちも分からないでもない。
その人は大会社の三代目として生まれて子供の頃から英才教育を受けた。将来は会社を継ぐ使命が物心ついた頃からあった。その使命通りに生きてきたんだろう。で、傍から見ると予想通りの人生のように見える。
大学は東大法学部。こういうパターンだと一般人からすると勉強できなくて適当な私学に裏口入学(非常に意地悪な連想だけどさ)と想像するんだけど、東大だもんねぇ。頭も良く、努力もしたんだろう。
そして親の会社に入社してすぐ幹部に。報道を聞く限りちゃんとしたビジネスマンだったよう。
傍から見ると「予想通りの順風満帆な、申し分ない人生」に見える。
その当人が「自分の思い通りに行かないこと」、つまりギャンブルにはまるのもそりゃそうだよな、と思わなくも無い。
そう考えると僕がギャンブルやらないのって仕事で十分予想を裏切られているから、なのかも知れないね。もちろん人生だって申し分はたくさんあるしさ。
競馬は、最後に競馬場に行ったのが大学時代のばバイトに札幌競馬場に行った時。馬券買ったのもほんと覚えてないくらい昔。浅草で一度買ったことがあるかな。
(ブログに書いてたな、と思って探したらあった。こういうときブログって便利。)
パチンコはたぶん、5年前くらいに函館で行ったのが最後。それもパチンコがしたかったわけじゃなくて、仕事の空き時間にすごく寒くて、そこ以外に寒さを凌ぐ場所がパチンコ屋しかなかったから。東京在住の人には分からないと思うけど、地方都市には「風の当たらない場所がパチンコ屋しかない」駅前ってあるんだよ。
麻雀は3、4年に一度付き合いでやる。だいたい負ける。麻雀に不真面目に取り組んでいるんだもの、勝つわけが無い。
宝くじ(これはギャンブルじゃないけど)もほとんど買ったことがない。
というように別にギャンブルを憎んでいるわけではないんだけどどうも僕はギャンブルに親しまないで生きてきた。
ちょっとしたゲーム、例えば「今度のワールドカップでどこが勝つだろう」とかそういう予想は嫌いではないんだけどね。
ギャンブルはしないけど「ギャンブル」という要素は好きです。だからギャンブルが描かれている漫画や小説はよく読む。有名どころだと漫画「カイジ」、ジョジョにだってギャンブル要素がたまに出てきたりする。小説だと「麻雀放浪記」が代表かな。そういう作品に描かれる「ギャンブルにまつわる人間心理」は非常に興味深い。
だからギャンブルをよくやる人と会うと「なぜギャンブルが好きなのか」という話を聞くことがある。決して「なんで、ギャンブルなんてものをやるの?」と非難したいわけではなく、その人がギャンブルのどこに価値を見出しているのか、ということに興味があるから。
もちろん回答の多くは「お金が欲しい」ということになる。それは僕にとってはまぁ予想の範囲内なんだけど、時に「へぇ、なるほどねぇ」と思う回答が聞ける場合がある。
最近聞いた回答の中で面白かったのは「自分の予想が裏切られることが楽しい」というもの。
競馬について、その人が言うには「色々情報仕入れて親のレースも見て、色々予想して『これが来る』と確信めいたものが出来るけど、最後の最後でそれが裏切られる。その裏切られ方が想像以上であればあるほど感動する。これほどまでに自分の思い通りにならないものがあるのか、と思う」とのこと。
なるほどねぇ。
その気持ちは僕も仕事においてよく分かる。悪い方向に予想が裏切られることはもちろん残念だけど、そういう場合だって「ああ、こういうことも起こりうるのか」と思う。良い方向に予想が裏切られるとそれはそれでうれしい。
そういう「予想を裏切られる」、という体験がいい割合で含まれていないと日々の生活ってあまり楽しくないよね。すべてが予想通りだったらつまらないじゃないですか。
そう考えるとさ、つい先日、大きな会社の社長が子会社から何億も融資を受けてそれをカジノで使い切っちゃったという事件があった。
その人の行ったことがいい悪い、ということは置いておいて、その人の気持ちも分からないでもない。
その人は大会社の三代目として生まれて子供の頃から英才教育を受けた。将来は会社を継ぐ使命が物心ついた頃からあった。その使命通りに生きてきたんだろう。で、傍から見ると予想通りの人生のように見える。
大学は東大法学部。こういうパターンだと一般人からすると勉強できなくて適当な私学に裏口入学(非常に意地悪な連想だけどさ)と想像するんだけど、東大だもんねぇ。頭も良く、努力もしたんだろう。
そして親の会社に入社してすぐ幹部に。報道を聞く限りちゃんとしたビジネスマンだったよう。
傍から見ると「予想通りの順風満帆な、申し分ない人生」に見える。
その当人が「自分の思い通りに行かないこと」、つまりギャンブルにはまるのもそりゃそうだよな、と思わなくも無い。
そう考えると僕がギャンブルやらないのって仕事で十分予想を裏切られているから、なのかも知れないね。もちろん人生だって申し分はたくさんあるしさ。
しかしあの事件は、印籠的なものに頼りすぎた結果なんだろうなぁ。ほどほどが肝要?
あの事件はそりゃ印籠的なものたっぷりでしょうねぇ。どうも創業家に苦言を呈する人が皆無だったようですし。。。