浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ロマン主義とリアリズム

2011-08-21 21:58:25 | 日記
つけ麺の話をしたいんだけど、そのためにはまず「ロマン主義」と「リアリズム」について整理しておかないと話せない。

ちょっと面倒な話になりますけど。

人の作る芸術のすべてはロマン主義とリアリズムの繰り返し、という考え方があります。

ロマン主義、というのはつまり「あるべき理想像」を描くもので、例えば漫画にたとえると少年ジャンプ的なものだと思っていいと思う。

つまり、正義は勝ち、悪は滅び、愛情は普遍で、友情はかけがえの無いもの、、、という感じのストーリー。つまりはまぁべたべたの話、ということになる。

これが行き着くところまで行くと観客(つまり我々)は「そんな都合のいい話ばっかりじゃないだろ」と思い出してしまい、リアリズムが好まれることになる。

リアリズムのストーリーというのは「努力したからと言って報われるとは限らない」「正義が勝つとは限らない」、非常にリアルなストーリー。これが行き着くところまで行き着くとシュールレアリズムとなり誰にも理解出来なくなる。そして再度、分かりやすい「ロマン主義」を求める。

およそすべての芸術はずっとこの繰り返しで進んできている。

たとえばハリウッド映画にしても、50年代、60年代はいわゆる「ハリウッド・エンディング」というやつで正義は必ず勝つし、愛する二人は最後に必ず結ばれる。(この年代にはそういうストーリーしか描いてはダメ、というハリウッド業界の自主規制があったからだけど)

その後、そういうストーリーに飽きた若者たちの間で人気になったのがいわゆる「アメリカン・ニューシネマ」というムーブメント。このムーブメントによって出来た映画が例えば「ロッキー」。落ちぶれたボクサーがチャンピオンに立ち向かうため努力し努力し、、、そして負ける。

リアリズムに基づいたニューシネマがどん詰まりまで行き着くと観客は「こりゃさすがにあまりにも夢が無くて詰まんないよ」ということになり再度、ロマン主義の映画が作られ始める。ロッキーだって2では勝つ。

このロマン主義とリアリズムの繰り返し、というのはどの分野についても言えることだろうと僕は思う。

そういう視点で、なんでもいいんだけど芸術、エンターテイメントの分野を観ていくといろいろ分かる。

ということでこの視点に基づいて、つけ麺の話を今度します。たぶん、おそらく。