浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

罪のない者だけが、石を投げよ

2013-02-10 17:52:58 | ニュースから
三連休の中日なのに今日の話は長いし固いし重いです。オチも無い。

気軽に楽しみたい方は「96時間」のDVDでもレンタルしてきてご覧になるといいと思いますよ。「96時間」、いい映画ですよ。話はミエミエだけど。何より上映時間が短くていい。最近、ムダに長い映画多いですから。

さて。体罰問題。

体罰問題の話題を聞かない日は無い。

元々、今回の件で大きく話題になった大阪の桜宮高校は体育科の入試を中止し、京都のほうでも体罰問題が明るみに出た。

更に社会人のオリンピックコーチも体罰やパワハラを行っていた、と選手から告発されている。

体罰について僕個人の考えを言うと、まず学校教育において体罰はやっちゃダメ。なんでダメかというと単なる暴力と区別がつかないから。

僕自身も短い期間とはいえ教壇に立っていた経験もあるから「つい手が出てしまいそうになる」というのはよーくわかる。僕だって「これはもう殴って聞かせないと分からないんじゃないか」と思ったことはある。それは僕が教壇に立つ人間としてあまりに未熟だったからだとは思う。とにかく「ああ、これ、この人(生徒ね)と分かりあうことなんて出来ないんじゃないか」と圧倒的なディスコミュニケーションの壁の前で呆然としたことだってある。短い期間であった僕ですらそうなんだから何年もやっている普通の先生はもっとそうだろう。

でもそこはグッとこらえなければいけないだろう。こらえきれない時もあるかも知れないけどやっぱりそこはこらえないといけない。どうにか現場の先生たちにはそこをグッとこらえてなんとかしていただきたいと思う。

そういう善悪の問題の上に「体罰」というのは「効率が悪い」という点もある。体罰も含めた「罰」による教育って効率が悪いんです。

「悪いことをする」→「体罰を受ける(あるいは何かしらの罰を受ける)」というやり方では概ね「次は罰を受けないようにしよう」とか「罰を受けないことであればやっていい」という考え方にしかならない。そうするとずっとモグラ叩き的に罰を与え続けなければいけなくなる。それは非常に効率が悪い。

こういうことを論理的に考えずについつい手を出してしまう、というのは問題だと思う。

世論には「よい体罰と悪い体罰がある」という意見もあるけど、僕はそうは思わない。体罰は全部悪い、ということにしないと道理が通らない。こういうことは「よい体罰」という「白」と「悪い体罰」という「黒」に分けられるものではないと思う。

例えば先生が生徒に「がんばれよ!」と背中をバンと叩いたとしよう。これは普通に考えれば単なる身体的コミュニケーションであり、何も問題がないように見える。でも受けた生徒がその先生のことが嫌いだったとしたら「叩かれた」と主張するかも知れない。これを白と黒にパシッと分けることは難しいし、はっきりいって出来ないよ。すべての物事は薄いグレーと濃いグレーのグラデーションの間にあると思う。グレーの濃淡を見分けることは難しい。

だからとにかく言葉上、ルール上は「体罰はすべてダメ」ということにしなければいけないと僕は思う。「よい体罰と悪い体罰がある」という意見もあるだろう。でもそれは受けた人が「あれは体罰だったけど自分が学んだことがあるからよい体罰だった」と言うものであって、先生側あるいは学校側が「これはよい体罰なんだ」と決めることは不可能だと思う。よってとにかくルール上は「体罰は一切ダメ」と決めるしかない。

そのうえで、「体罰はダメだなんだから体罰をふるった教師は首にしろ」という意見の人もいるだろうと思う。でも僕は「ちょっと待ってくれ」と言いたい。もちろん人間的に問題がありただただ体罰という名の暴力をふるう先生も中にはいるだろう。(これだけ多くの先生がいれば中にはそういう人がいてもおかしくない。それは先生に限らず普通の社会人の中にだって意味なく暴力をふるう人もいるんだから)

ただ他に方法が無く、どうしようもなく手を出してしまった先生だっているんじゃないかと思う。「そんなのいいわけだ!体罰はダメなんだ!」と言うのはそりゃ簡単ですけどさー。毎日毎日仕事に追われて、そりゃ何時間かかけて生徒ときっちり話し合えば理解しあえるのかも知れないけど、そんな時間ないよ!って場合だってあると思うんだよね。学校現場を見ていると先生たちというのはつくづく時間がないよなぁと感じる。だからと言って体罰をしていいということを言うつもりはないけど、そういう事情を考慮して、それを解決することは必要だと思う。

明るみに出てきた体罰を一つ一つ糾弾して、体罰をした先生たちを問答無用で首にしていくことはそりゃ簡単ですよ。もちろん中には言い訳の聞かない、単なる暴力として体罰を行っていた先生たちもいるだろう。でもそれは全員ではないと思う。

そういう先生たちも問答無用に処分していたらそのうちこの国に先生なんていなくなっちゃうんじゃないの?更にそういうの見ていたら先生になりたいと思う学生だって減ってしまうだろう。誰も先生になりたがらない国でいい教育が出来るとは僕は思わない。

改めていうけど体罰は全面的によくない。ただし過去にさかのぼって一律に「体罰を行った先生」を吊し上げていった先によい教育があるとは僕は全く思えない。悲観的に考えれば多くの先生たちが退職に追い込まれ、その結果として日本の学校教育は通常に運営することさえできなくなると思う。

体罰教師を吊し上げる人はそういう状態を望んでいるの? 違うよね。

はっきり言って申し訳ないけど「体罰をふるうことは悪い」だから「首という『罰』を与える」ということは、体罰が効率が悪いのと一緒で効率が悪いんです。

ここで大事なことは「なぜそういうことが起こってしまったか?」という「原因」を考えることなんじゃないの? この世のすべては「原因(input)」と「結果(output)」で出来ているんだから。outputを変えたければinputを変えるしかない。

原因に対応しないでルールだけ厳しくしてもどこかにひずみが出るだけでしょうに。

問題は「なぜ先生が体罰をふるわなければいけなかったのか?」ということ。

もちろん中には人間性に問題がある先生だったというパターンもあるでしょう。そういう場合は首になっても仕方がないと思う。でも人間性には問題が無かった、だけどあまりにも生徒に問題があり、時間がたっぷりあれば何時間も話し合って指導ができたけどそんな時間がなかった、ということもあるかも知れない。だとすればそれは「時間を確保する」という解決策が必要だろう。あるいは部活の「結果」だけを追い求めさせた校長のプレッシャーが原因だったかもしれないし、場合によっては先生一人でなく上司の先生とかと一緒に問題解決に当たるべきだった、ということもあるだろうからそうであれば「チームマネジメントの問題」だろう。中にはそもそも小学校からのしつけがなってない、ということだってあるかも知れない。そうならば「小学校からの連携の問題」だろう。もっといえば子供をしつけなかった保護者の問題ということもあるかも知れない。それであれば「家庭教育の問題」かも知れない。

このように問題は多岐にわたる可能性がある。

だとすればこの問題に罪のない人なんているんだろうか? 「俺は関係ない、だから悪いヤツを罰せよ」という考え方が今までの歴史上、どれだけ多くの問題を巻き起こしてきたか。ほら、キリストだって「罪のない者だけが、石を投げよ」と言っていいる。

こういう時に大事なのは「それは自分にも責任があるだろう。いっちょう自分がなんとかしなければいけないな」とどれだけ多くの人が考えられるかどうか、だと思う。それってどの問題でも変わらないんだけどね。

更に言うと学校には文科省から「体罰問題の実態調査のため、生徒・保護者にアンケートを取れ」という指示が出ているそうです。

これには個人的に反対です。調査することに反対ということではなくて、生徒・保護者にアンケートを取る、ということに反対。

何度も言うように体罰というのは「あった/ない」の白黒ではなくどこまで言ってもグレーなことでしかない。繰り返しになるけど「頑張れよ」と背中をバンと叩いた、ということだって受け取りようによっては体罰と受け取る生徒もいるかも知れない。

それを一律に生徒に「体罰を受けたことがありますか?」とか保護者に「お宅のお子さんが体罰を受けたと聞いたことがありますか」と聞けば、場合によっては多くの人が「体罰を受けた」と答えるかもしれない。

もしそうなれば、この社会情勢から言えば「あの学校は体罰があった」ということになりかねない。

そうなれば「体罰があって入試中止の学校があるのに、なぜあそこは体罰があるのに生徒を募集しているのか」という意見も出かねない。そんな大げさな、と思われるかも知れないけど論理としては何も間違っていない。

100人に聞けば99人が「がんばれよ、と背中を叩くことなんてそりゃ体罰じゃないでしょう」と言っても一人が「体罰だ」と言えば体罰となり、その調査に先生たちの貴重な時間がどれだけ使われることか。

そんな暗澹たる結果が僕は見える。

調査をするなとは言わない。これだけ問題になっているのだから現状把握は必要でしょう。でもやるのであれば「あったか/なかった」のデジタル的な質問ではなくて、「うちの子が理不尽な体罰を受けたかも知れないと疑問に感じる親御さんはぜひおっしゃって来てください」と打ち出し、その一つ一つに対して学校、先生、生徒、保護者でしっかりと話合うことだろうと思う。どちらも隠す事なくお互い理解し合うことを目的として。

こういう時に「学校全体対保護者全体」となってしまうと絶対に解決しない。学校と保護者がタッグを組んで問題を明らかにしないといけないと思う。

根深いなぁ、この問題。