浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

わかってること、わからないこと

2013-02-06 19:10:29 | スポーツ
なんとなく合気道が楽しくなってきました。もちろん今までも楽しくなかったわけじゃないんだけど。

二時間の稽古の間中「楽しいな」と思い続けてます。ドタバタやっているので汗もだくだくかく。終わった後に「なんか充実してたなー」と思う。

たぶん今は自分にとって「わかってること」と「わからないこと」のバランスがいいんじゃないかなと思う。

合気道の稽古と言うのはまず師範が模範を見せて「はい、ではやってみてください」と言われて各自コンビになり、その技を繰り返す。

以前であればそのコンビになった時点で僕は何も分からないので「えーっと右手をつかむんですか?左手ですか?それで左足でしたっけ?右足でしたっけ?」という状態。とにかくそもそもまったく分からなかった。そういう状態だと楽しむどころか言われたことを頭で理解し、なんとかその通りにやる、ということで精いっぱいになってしまう。

でも今は基本的な技はなんとなくわかるのでとりあえず(うまいかどうかは別として)その形は出来る。

これが「わかってること」。

そして多少わかっていると相手に同じ技をかけられたときに「あれ?なんでそんなにスムーズにできるんですか?」とか「なんでそんなにいい感じで出来るんだろう?」という疑問が生まれる。同じようにやっているんだけど自分と相手の違いが分からない。ただ「違う」ということはわかる。明らかに僕の動きがぎこちなくて不恰好なのはわかる。でもなぜうまくいかないのかがわからない。

これが「わからないこと」。

ここの「わからなさ」が面白い。

「どこが違うのかなー」と考えつつちょっとだけ自分も工夫してみるとたまに少しだけ巧くいく。

でもいくらやっても全く巧く行かないし分からないこともある。

例えば合気道で四教という極め技があるのね。これは相手を抑え込んで相手の腕の手首を圧迫する技なんです。一教から五教まであって、四教以外は僕もわかる。出来るかどうかは別として理解が出来る。「そりゃそっちの方向に腕曲げられたら痛いわ」と思えるんだけど四教はまったく分からない。やられると大層痛いのよ。だけどなぜ痛いのかがわからない。「相手のこの部分を、自分の手の平のここで締めるように」と言われて「はい」とやってみるんだけど相手は全然痛くなさそう。なんでなのかがまったく分からない。

この「わからなさ」も含めて楽しんでおります。

物心ついてから何かを習うことの醍醐味はこの辺だよね。何もわからない時は何がわからないのかがわからない。でも一つ「わかること」が出来るとその倍くらい「わからない」ことがあることに気づく。更にその「わからない」ことがわかるようになると、、の繰り返し。道は長い。何か大会だとか目標があるわけじゃないから別に道が長くたって困らないんだけどね。




そういえばついでに前回は反省会にも参加しました。反省会と言っても仲イイ人が稽古終わりに飲んでるだけで合気道の話は1ミリ程度もない。

この面子が面白くてねー。僕含めて5人でメインは50代後半の男性3人(話聞いて分かったんだけど高校時代の同級生なんだって)、それと僕と同世代の女性おふたり。

飲みながら50代後半と30代後半で世代間の話。

「大鵬亡くなったけど俺ら生で見てたからねー。大鵬知ってる?」
「名前しか聞いたことないですねー。僕の時は横綱ったら千代の富士ですよ」
「そんなのつい最近じゃん」
「最近たってもう20年以上前ですよ、王さんがまだ巨人の監督で」
「それもついこないだ。オレなんて江川のドラフト見てたから」
「僕が覚えてるドラフトったら松井を長嶋監督が引いたときでしたねー」

などなど。

僕が自分の年齢を言ったらメインの方々から「いいなー若くて。37歳独身男性なんてなんでも好きなことやりたい放題じゃん」と大層うらやましがられた。いや別にやりたい放題なわけじゃないけど。。

とはいえこの年齢になってなかなかそういう風に言われることなんて少なくなってきたからけっこう新鮮でした。自分で「いやー、年取ったなぁ」とか言ってちゃいけませんね。