ここ最近、土曜は仕事です。
いやじゃあ無いんだけどやっぱ連休は必要だなーと思います。
はい、単なる愚痴です。
先日、なんとは無しに女性と食事をしてて、「男と女の映画の感想の違い」という話になりました。
その女性曰く、
「映画を見終わった後、コーヒーなんかを飲んでいると男性はとにかく理屈で映画を語りだす」
とのこと。
まぁつまりは、
「この映画の監督の前の作品はこうで…、あのシーンの意味はその前の作品で描かれていたこういうのが元で、そもそもこの映画は80年代に作られたあの映画へのオマージュで…」
ということを延々と語る、ということですね。
あー、すいません。
その女性の言っていることはひっじょーによく分かる。
だって僕がそうだものだもの。
あー、すいません。
でもね、僕にも言わせていただく機会が与えられるなら(それは永遠に与えられないものと悟りつつ)、女性の映画に対する、あまりにも簡単な感想にずっこけたことなんて一度や二度じゃねーでげすよ。
たとえばさ、同じ映画を見た、という共通の話題があって「あの映画面白かったよねー、どうだった?」と聞いたらさ、
「うん、主人公の衣装が可愛かった」
の一言で終わる、とかね。
2時間の映画の感想がそれかい!!、と。
いや決してね、その女性の感想がいくない、とかそういうことを言いたいわけじゃないんですよ。
昔の僕だったら「わかってねーな」と思ったと思うけど、さすがに30歳を越えてしばらく経った僕なんで今では少しわかる。
つまり(非常に簡単な二元論なんで賛否はあるでしょうが)男性は語りたくて、女性は感じたいんだよね。もちろんそうじゃない男女もいるけど僕の周りではそういう傾向の強い男女が多いような気がする。
そういうところはすごーく男女で違うなぁ、という風に思うし、だからこそ世界って面白いなぁと思うわけだけど。
去年、映画館で見た「ザ・レスラー」がDVDになってまして。
レスラー スペシャル・エディション [DVD]
札幌行った時、ついついDVD買ってしまいました。で、飛行機の待ち時間に観たんだけどね、雪で結構飛行機が遅れたんで。
この映画なんて男にとっては語る「ツボ」ばっかりの映画なわけです。
でもこれ、好きでない人には何も語るツボのない映画なんだろうなぁ。「プロレス痛そう」という一言で終わりかねない。
僕にとっては、
・落ちぶれたプロレスラー役をあの(あの!)ミッキー・ロークがやってる。
・しかもエンディングテーマを歌うのが「ボーン・イン・ザ・USA」を歌ってたスプリングスティーン。
ってだけでも2日語れる映画なんだす。
それと改めて見て本当に思ったんだけど、このストーリーって「キリスト」と「マグダラのマリア」の暗喩だよね。
主人公であるランディ・The Ramb(子羊)・ロビンソン。もちろん子羊というのはキリストの象徴だしね。プロレスラーというのは大衆の身代わりとして痛みを受ける職業。あとほら彼、長髪だし。
キリストは人々のために十字架にかけられたけど、アンディはトップロープに上る。
そう考えるとヒロインの職業がストリッパーなのも意味深い。そして彼女はランディの傷を見て聖書の一句を諳んじる。
"我らの罪を背負って彼は罰せられ 地に平安をもたらし その傷は我らを癒す"
正にランディの、またレスラーの暗喩だよね。
こういうこと考えると結局のところアメリカ映画というのは聖書をベースでしか描かれていないんじゃないの?と思う。(それが悪いわけじゃなく、そういう文化なんだろうね)
一回目に見たときは人種的側面(ランディが実は東欧系の人なのに国民的ヒーローを演じており、敵役は明らかにアフロアメリカンなのに中東系ヒールを演じてる)が興味深かったけど、2回目見るとそういう聖書的側面に気づいて面白かった。
うーむ、語りたいなぁ。
つーことで「ザ・レスラー」のテーマのPV。
もう歌詞だけで5時間語れる。
----
ひとつ覚えの芸を楽しそうに決める子馬を見たことあるかい?
それが俺さ
片脚の犬が通りを歩くのを見たことあるかい?
それは俺だよ
知ってるだろ、俺が色んなところに旅するのを
知ってるだろ、俺がいつもすべてを失って去っていくのを
分かるだろ、俺は血を流すことでしか人を楽しませられないんだ
教えてくれよ、これ以上俺に何して欲しいんだ?
教えてくれよ、これ以上俺は何すればいいんだ?
ボロと籾しか詰まってない案山子を見たことあるかい?
それが俺さ
片腕の男が風に向かって拳を振るのを見たことあるかい?
それは俺だよ
俺は安らぎってやつをいつも投げ捨ててしまう
暖かい家はあるけど留まっていられないんだ
俺が信じられるのはこの砕けた骨とアザだけなんだ
片脚の男が自由のためにどうにか踊ろうとしているのを見たことあるかい?
それが俺なんだよ
-----
(拙訳)
いやじゃあ無いんだけどやっぱ連休は必要だなーと思います。
はい、単なる愚痴です。
先日、なんとは無しに女性と食事をしてて、「男と女の映画の感想の違い」という話になりました。
その女性曰く、
「映画を見終わった後、コーヒーなんかを飲んでいると男性はとにかく理屈で映画を語りだす」
とのこと。
まぁつまりは、
「この映画の監督の前の作品はこうで…、あのシーンの意味はその前の作品で描かれていたこういうのが元で、そもそもこの映画は80年代に作られたあの映画へのオマージュで…」
ということを延々と語る、ということですね。
あー、すいません。
その女性の言っていることはひっじょーによく分かる。
だって僕がそうだものだもの。
あー、すいません。
でもね、僕にも言わせていただく機会が与えられるなら(それは永遠に与えられないものと悟りつつ)、女性の映画に対する、あまりにも簡単な感想にずっこけたことなんて一度や二度じゃねーでげすよ。
たとえばさ、同じ映画を見た、という共通の話題があって「あの映画面白かったよねー、どうだった?」と聞いたらさ、
「うん、主人公の衣装が可愛かった」
の一言で終わる、とかね。
2時間の映画の感想がそれかい!!、と。
いや決してね、その女性の感想がいくない、とかそういうことを言いたいわけじゃないんですよ。
昔の僕だったら「わかってねーな」と思ったと思うけど、さすがに30歳を越えてしばらく経った僕なんで今では少しわかる。
つまり(非常に簡単な二元論なんで賛否はあるでしょうが)男性は語りたくて、女性は感じたいんだよね。もちろんそうじゃない男女もいるけど僕の周りではそういう傾向の強い男女が多いような気がする。
そういうところはすごーく男女で違うなぁ、という風に思うし、だからこそ世界って面白いなぁと思うわけだけど。
去年、映画館で見た「ザ・レスラー」がDVDになってまして。
レスラー スペシャル・エディション [DVD]
札幌行った時、ついついDVD買ってしまいました。で、飛行機の待ち時間に観たんだけどね、雪で結構飛行機が遅れたんで。
この映画なんて男にとっては語る「ツボ」ばっかりの映画なわけです。
でもこれ、好きでない人には何も語るツボのない映画なんだろうなぁ。「プロレス痛そう」という一言で終わりかねない。
僕にとっては、
・落ちぶれたプロレスラー役をあの(あの!)ミッキー・ロークがやってる。
・しかもエンディングテーマを歌うのが「ボーン・イン・ザ・USA」を歌ってたスプリングスティーン。
ってだけでも2日語れる映画なんだす。
それと改めて見て本当に思ったんだけど、このストーリーって「キリスト」と「マグダラのマリア」の暗喩だよね。
主人公であるランディ・The Ramb(子羊)・ロビンソン。もちろん子羊というのはキリストの象徴だしね。プロレスラーというのは大衆の身代わりとして痛みを受ける職業。あとほら彼、長髪だし。
キリストは人々のために十字架にかけられたけど、アンディはトップロープに上る。
そう考えるとヒロインの職業がストリッパーなのも意味深い。そして彼女はランディの傷を見て聖書の一句を諳んじる。
"我らの罪を背負って彼は罰せられ 地に平安をもたらし その傷は我らを癒す"
正にランディの、またレスラーの暗喩だよね。
こういうこと考えると結局のところアメリカ映画というのは聖書をベースでしか描かれていないんじゃないの?と思う。(それが悪いわけじゃなく、そういう文化なんだろうね)
一回目に見たときは人種的側面(ランディが実は東欧系の人なのに国民的ヒーローを演じており、敵役は明らかにアフロアメリカンなのに中東系ヒールを演じてる)が興味深かったけど、2回目見るとそういう聖書的側面に気づいて面白かった。
うーむ、語りたいなぁ。
つーことで「ザ・レスラー」のテーマのPV。
もう歌詞だけで5時間語れる。
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ひとつ覚えの芸を楽しそうに決める子馬を見たことあるかい?
それが俺さ
片脚の犬が通りを歩くのを見たことあるかい?
それは俺だよ
知ってるだろ、俺が色んなところに旅するのを
知ってるだろ、俺がいつもすべてを失って去っていくのを
分かるだろ、俺は血を流すことでしか人を楽しませられないんだ
教えてくれよ、これ以上俺に何して欲しいんだ?
教えてくれよ、これ以上俺は何すればいいんだ?
ボロと籾しか詰まってない案山子を見たことあるかい?
それが俺さ
片腕の男が風に向かって拳を振るのを見たことあるかい?
それは俺だよ
俺は安らぎってやつをいつも投げ捨ててしまう
暖かい家はあるけど留まっていられないんだ
俺が信じられるのはこの砕けた骨とアザだけなんだ
片脚の男が自由のためにどうにか踊ろうとしているのを見たことあるかい?
それが俺なんだよ
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(拙訳)