てん主のblogが12月初旬から更新されていないことを、心配してくださり個人的にメールを下さった方や、連絡を下さった方がた・・・
ご心配をお掛けしてすみませんでした。
12月10日(土曜日)
てん主の母が急逝しました。
本当に急だったので、心も身体も、雑事も・・・かなりバタバタしておりました。
文章を書く余裕は全く持てず 先ずは眠ることを第一に選択していました(苦笑)
まだまだ、雑事は終わる目処もたちませんが
年末年始に差し掛かり
ちょっと横に置いておくこともしていいかな?と思って 少しだけ余裕が生まれたのかもしれません。
もちろん、やらなきゃならないことは山積なんですが💦
定年直後から、なんだか体調が変だった母
それまでは、病気ひとつせず元気が取り柄だと自身で言っていた母なので
まさか、難病に罹患しているなんて思いもしておりませんでした。
でも、そこから数年
病院には行けども、一向に良くならず
母の薬や、状態が余りにも怪しくなってきたので
紹介状も無しに、総合病院に駆け込んだ日の事を鮮明に覚えているてん主。、。
気づいていたはずなのに、遅れ遅れになった病院への搬送
難病の病名を聞かされ、ショックだったこと、
あ…やっぱり・・・・という感情を今でも覚えています。
そこから長い長い闘病で・・・・
難病の基礎疾患があり、それに付随して、他にも多数の病を次々に発症させては、入退院を繰り返した母でした。
寝たきりではなかったので、母なりの父との生活を頑張っていたのだと
今は、そう感じています。
きっと娘2人に面倒はかけまいと、母なりの頑張りだったんだと思います。
が、でも、さすがに年月を重ねるとなかなかそれも難しくなり、自分を支える事で精一杯だったのかもしれません。
離れていると大丈夫なところだけ・・・てん主に都合の良いところだけみえていたのかもしれません💦
悪いところを見て見ぬふりをしていたのかも・・・・と後悔しても遅いのですが
そうなんだと、こうなってから反省でした。
今回は腰椎骨折での入院で、退院も思っていたより近いよ!と転院先でも言われていたそうで
そんな中の急変でした。
(原因は明確には判らないとのことでした)
てん主自身、仕事の最中で母の元にすぐに駆けつけることができず
従姉妹夫妻に最期を看取ってもらえたことが、何よりの救いでした。
こればかりは、感謝してもしても・・・しても足りない。。。
夫妻はわざわざ予定を変更して向かってくれ、母を一人で逝かせること無く看取ってくれました。
母を一人で旅立たせなくて済んだことがありがたくて・・・・ありがたくて・・・・。
コロナ禍でなければ、お見舞いにもしょっちゅう行けたのに、
今は本当に入院したら会うことさえ許されない・・・
ただただ寂しいと思いました。
実家に残された父のこともあり、遠距離に住んでる妹にも申し訳ないけれど手伝ってもらいながら、今後の事を考えて行かねばなりません。
まだまだ何をしたら良いのか、どうすべきなのか??なにがなんだか判らないことだらけで
従姉妹や叔母達に、聞いたり相談したり教えてもらいながら進んでいくしかないのだと
ようやく気づき始めたてん主です。
本当に、自分が何をしているのか?何をすれば良いのか?一体どうなってるのか??これからどうなるのか
訳が解らなかった3週間弱・・・・
未だに解らないのですが、周りの方がのお心遣いに、やっと泣けるようになりました。
そして、その優しさに癒されながら
年末をむかえているてん主です。
今年も、お仕事でお節料理は作ります!!
(クリスマスケーキも実は作りました💦)
我が家もお重には盛る事はなく、飾り付ける事も今年はないけれども
残りものにはなりますが戴こうと思います。
義母には、しっかり食べてもらいたいですしね。
年が変わるまでに、とりあえずアップしなきやと思っておりました。
ご心配お掛けした方々にはお詫びと感謝の気持ちをお伝えしたく長い文章ではありますが書かせていただきました。
本当に皆さんのお気持ちに感謝です。
ありがとうございます。