goo blog サービス終了のお知らせ 

ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

カナダからきた歌う星の王子さま<後編>

2013年05月25日 | ルネ・シマール物語
 今日は私の誕生日。
そう、「永遠の14歳」は、ルネが来日した年の年齢!

さあ、シマ姉は何歳か、計算してみよう!(爆★)

 そして、誕生日メッセージをたくさんありがとうございましたsymbol1 これからも頑張ってルネ記事をアップしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

▲カナダの記事より これこそ歌う「王子様」ですねsymbol1


 今回紹介する記事のタイトルは、「カナダからきた歌う『星の王子さま』ルネ・シマール」!! ルネの日本デビュー前の売り出しには、ルネの天使の歌声や歌唱力よりも、容姿の可愛さや生い立ち、カナダのアイドルであることに注目したものが多かったようです。

 過去ログで何回か書いていますが、ルネについて書かれた記事に「マーク・レスターのような美少年でもなければ、西城秀樹のように男らしくもない」というフレーズがありました。でも、後に見たこれ以外の記事では「可愛い」や「美少年」という評価がほとんどでした。しかし、当時このフレーズが脳裏に焼き付いてしまった私は、前出の記事が一般的なルネの容姿に対する評価と勘違いし、私の美の基準は普通とは違うと思い込んでしまいました。特にマーク・レスターのことを、私は美少年と思ったことがなかったので、この記事のせいで、反発して彼のことを嫌いになってしまったくらいです。

 サン=テグジュペリの『星の王子さまの挿絵の王子は「美少年」というより「可愛い少年」ではありますが、少なくとも、この記事でのルネも、「愛らしくて純粋で、歌うことが大好きで、家族のためにバーで歌う健気な少年」ととらえられています。当時、外国人タレント・ブームの上、日本人が大好きな「逆境に負けない健気さ」は、ルネの圧倒的な歌唱力を見せつけられる前でも、魅力的に映ったかもしれません。後で紹介する女性向けの姉妹誌「女性セブン」では、この記事が「週刊セブンティーン」に掲載された後すぐに、ファン・クラブへの問い合わせがたくさん届いたとありますので、ルネは、容姿の可愛さだけでも、日本人の心をしっかりとらえてしまっていたのでしょう。


カナダからきた歌う
       『星の王子さま』

        ルネ・シマール


運命の出会い---教会

 そんなある日、教会で結婚式が挙げられ、ルネは聖歌隊のひとりとして、式に参列した。
 例によって、ルネがソロのパートを受け持ち、、礼拝堂は清純で敬虔な空気で満たされた。
 その式のあと、、ルネは、花婿に声をかけられた。
 「わたしはギー・クルティエという。いつかきっと君にあうと思う。」
 ギー・クルティエは、若いながら、タレントのスカウト・マネージャーとして独立したばかりだった。
 ギーは、早くルネの才能をみぬき、いつか彼をプロの歌手として育ててみたいと考えたのだった。
 「いつか君とあうとおもう」
 ギーの予感は意外とはやく実現した。結婚式から数ヵ月後、仕事で地方へでていたギーのもとへ、母から電話がかかった。母は興奮した口調で、こう語った。
 「いまね、テレビで天使が歌うのを聞いたのよ。そう、ほんとうに、あれこそ天使の声だわ。あなた、いますぐ、その天使と契約なさい。」
 「もしかして、その子は、ルネ・シマールっていわなかった!?」
 「そう……そうよ。でもおまえ、どうしてそれを知ってるの?」
 母のいぶかることばをそのままに受話器をおくと、ギーは、ケベック市に車を走らせた。
 ルネは、バーで歌ってお金をかせぐかたわら、テレビのスター登竜門番組に出演し、歌手としてデビューの機会をねらっていた。
 ギーの母が見たのは、その番組のひとつ。息子の手助けをしようと、いそいで知らせたのだった。
 母の知らせを受けて、ギーがかけつけたとき、ルネは10数人のエージェントにかこまれていた。
 が、ルネはギーの顔をみると、ニッコリ微笑んでいった。
 「ぼく、どうしたらいいの?」
 ルネはまだほんの少年だった。勝手がわからずとほうにくれていた。顔見知りのギーに、助けを求めたのだ。



ぼくは歌うのが大好き!

 いちばん初めに、才能をみとめてくれた、ということで、ルネはギーをマネージャーにえらんだ。
 ギーもまた、ルネの才能をだいじに育てようと考えた。ルネの持つ愛らしさ、清純さをだいじに、汚れない心を失わないように心がけた。なにしろ、ルネはそのころまだ10歳だった。
 こうして、ルネはデビューした。デビュー曲の『鳥』は、たちまちにヒットし、ケベックだけで10万枚売れた。
 つづいて発売した同じ題名のLPも、14万枚をこす売れゆきだった。
 ルネは、もうバーで歌う必要がなかった。テレビに出演し、ステージからステージへと、スケジュールがつまっている。
 1961年2月28日生まれ、13歳のルネは、いまではカナダ1のスターだ。
 ルネのいくところには、必ずティーンがあらわれ、
 「ルネ」
 と、黄色い声をはりあげる。ルネ・シマール--ティーンのそれはカナダのアイドルだ。
 ルネが、髪を波うたせて歌う、黒い目を細めて微笑むとき、女の子は熱狂する。
 あのせま苦しいアパート住まいは、もう過去のものとなった。だが、ルネは今もこういう。
 「ぼくは歌うことが大好きなんだ! パパ」
 カナダのケベック州チクーティミで、歌うために生まれてきたルネ・シマールは、まもなくカナダを代表する歌手として、日本にやってくる。
 第3回東京音楽祭で、ルネが歌うのは、さいとう大三作詞、村井邦彦作曲の『ミドリ色の屋根』だ。そのために日本語も勉強した。
 東京音楽祭に、これほど年のの若い歌手が出場するのは初めてだ。
 東京音楽祭は6月29日に準決勝、30日に決勝が行われる。そのあとルネは、『火曜歌謡ビッグマッチ』『歌え!ヤンヤン!!』『ギンザNOW』『ひるのプレゼント』などに出演する。
 カナダと同じように、ルネなチャーミングな声が、帝劇にひびき、テレビスタジオに流れ、おおくのティーンをひきつけるにちがいない。


▲ルネはステージで、兄ルジが作曲した『母さんは天使』をかならず歌う

特報
ルネのファン・クラブ誕生!
 ルネの来日(6月26日)にさきがけて、ファン・クラブが誕生しました。
 会員には、
①ルネのサイン入りブロマイド、およびバッジをプレゼント
②フィルム・コンサートにご招待。
③コンサートの優待割引きなど、たくさんのステキな特典があります。
 くわしいことは、
〒108東京都港区芝浦3-5-39 スタジオ・シティ内 ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」係あて、ハガキでおたずねください。
  


 今回紹介した後半部にも、実際とは異なるところがあります。まず、レジスは『ぼくのママは天使』の作詞者です。
 そして、今回の記事でも、ルネのセミ・ドキュメンタリー映画『Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-』でも、ギーの結婚式で歌ったのは、テレビで歌ったのよりも前になっていますが、過去ログで書いたとおり、ギーの母が結婚式に参列していたら、テレビ出演以前にルネを知っているはずです。よく考えれば分かるはずですが、映画の演出でそうなったのでしょうか? 当時の新聞(または芸能雑誌)記事で報じられているので、ギーはルネを、母と自分の事務所のタレントからの連絡で知ってスカウトし、その後で自分の結婚式で歌わせたというのが事実のようです。

※過去ログ「ルネのデビュー裏話」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/574.html

 そして、ルネのファン・クラブの特典で、「フィルム・コンサートへの招待」や「コンサートの優待券割引」が明記されています。日本の「ルネ・プロジェクト」では、ファースト・コンサートやファースト・アルバム、市川崑監督による「RENE A TOKYO」等の計画が、この時すでに進んでいたということですね。本当に、ルネの来日40周年を前にして、39年前とカレンダーの並びが同じこの年に、いろいろなことが分かるのも何かの縁なのかもしれません。この流れで、ルネが日本と関わるイベントが持てたら最高に幸せですねsymbol1symbol1


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


ルネの「GOLDEN☆BEST limited ルネ・シマール」のアンコールプレスの出荷日が5月30日に決定しましたね! 早く手元に届くのを楽しみに待ちましょう♡

<報告>
 過去ログで募集していました、西城秀樹氏のアルバム・セットのもらい手が見つかりました。仏語版「傷だらけのローラ」の歌詞のためだけに入手し、ずっともらっていただけるファンの方を探していましたが、facebookの方で、ルネ・ファンであり、西城秀樹氏のファンでもある、希望していた以上の方に引き継ぐことができました♡

<猫のアスカ その後>
 とにかく元気です★ 昨夜は、息子に遊んで欲しくて、何度注意してもパソコンのキーボードに乗って息子の逆鱗に触れ、部屋を締め出された後は反省したらしく、義父母の部屋に身を寄せていました(笑)。大好きなおもちゃで大興奮し、エンドレスに遊ぶので、おもちゃを隠せば探し出して大暴れのやんちゃ猫になっています。

<グリーンカーテン その後>
 黒小玉スイカ「ブラック・ボンバー」が育っていないのでよく見たら、根切虫にやられた? ただ今、別の小玉メロンに植え替えて様子を見ています。昨年こぼれたアサガオの種がたくさん芽吹いて、間引きが必要そう★ 他は順調に生育していますが、まだまだ気が抜けません。

<職場のアマガエルと鉢植え その後>
 一昨日、窓辺がジャングル化しているため、犬走りにパッションフルーツ、オリヅルラン3鉢、シャコバサボテン2鉢、冬越ししたベゴニア6鉢、カランコエ2鉢を出しました。窓辺にはまだ、オリヅルラン1鉢、カランコエ1鉢、ベゴニア2鉢とミニトマトの鉢と、寄せ植えが2鉢残っています。寄せ植えのアマガエルはというと、私が出張している間、流しに現れ、2日後には机とゴミ箱の間にはまって寝ているのを強制送還★ またいなくなったと思ったら、鉢植えの穴に入っていたり、午前中いなかったのに、また同じ寄せ植えに舞い戻っていたり…と、私との「かくれんぼ」を楽しんでいるように思えてなりません。お隣の部署の鉢植えの植え替えで出てきた「ニシドッコ(根切虫のさなぎ)」をあげたら、硬くて食べられず、また放浪の旅に…。そのため寄せ植えをいつ外に出すか思案中です(溜息)。


 今日は主人が陸上大会やら育成会の会議やらでいないので、美容室に行っちゃおう♪ 誕生日のお祝いは、明日に延期のシマ姉家なのでした。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カナダからきた歌う星の王子さま<前編>

2013年05月19日 | ルネ・シマール物語
 カナダのケベックにおいて、スーパー・アイドルとしての地位を不動のものとしていたルネ・シマールが、第3回東京音楽祭世界大会出場のために来日したのは、1974年6月26日(水)でした。

 実はつい最近まで、私は、「ルネは、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得し、一夜にして大ブームを巻き起こしたから、日本で活動することになった」と思い込んでいました。何故なら、私がコレクションしているルネ記事のほとんどが、グランプリ受賞以降のものだったからです。しかし、ルネはこの大会に出場するためだけに来日したのではなく、ALFAレコードCBSソニーの綿密な計画によって仕掛けられた「ルネ・プロジェクト」の下に、日本でデビューするために来日していたのでした。ですから、東京音楽祭はあくまでも日本デビューのための足掛かりであって、日本のTV番組への出演も、来日前からすでにスケジュールに組み込まれていました。それについては、今回紹介する記事にも記載されています。

 ルネの日本デビューを前にして、音楽関係者対象の専門誌には「ミドリ色の屋根」の広告が1ページを使って大きく掲載されていました。そして、今年に入って入手した雑誌の切り抜きから、大会出場以前に、ルネを紹介している雑誌がたくさんあったことを知りました。それは紛れもなく、日本で売り出すための伏線であり、ルネのデビューに如何に力を入れていたかを証明するものでした。

 それでは、日本デビュー前にルネを紹介した記事の1つ、「週刊セブンティーン」に掲載された「カナダからきた 歌う『星の王子さま』 ルネ・シマール」を、2回に分けて紹介いたします。


ボクはパパと”ミドリ色の屋根”のうちに、住みたい!!
カナダからきた  
    歌う『星の王子さま

          ルネ・シマール
 東京・帝国劇場で開かれる東京音楽祭(6/29~30)に13歳の少年が参加する。カナダのティーンのアイドル、ルネ・シマール!! 美しいボーイ・ソプラノ、あどけない笑顔。そんな彼にかくされた、意外な物語を紹介しよう。

街から街へさまよう歌声

「ルネ、この店にもはいってみようか」
 ここはカナダの雪にとざされた街チクーティミ。
 ギターをかかえた兄ルジがこういい、ふたりは1軒のバーのドアを押した。
「おじさん、歌わしてよ」
 ルネはバーの支配人にいい、ルジのギターを伴奏に歌いはじめた。
 およそ場ちがいなルネのボーイ・ソプラノがたばこの煙のあいだをぬって流れた。一瞬、バーの客たちはとまどったが、やがてききほれ、ルネが歌い終わると、割れるような拍手がひびいた。
 だから、ルネが帽子を持って、テーブルのあいだを歩くと、それにいくつかの硬貨が投げこまれた。
「きょうはこれくらいでいいだろう。宿題だって残ってるしな」
 ルネがいい、ふたりは暗い夜道を急いだ。きょうだいが帰りついたのは、、壁がくずれ落ち、天井もしみだらけのボロアパートだ。
 しかも彼らの部屋は暗くじめじめした地下だった。だが、ルジとルネのきょうだいは、明るい微笑みを浮かべていった。
「パパ、ほらみてごらん、きょうはこんなにかせいじゃったよ」
 ベッドのなかのパパはかすかにうなずいていった。
「すまんな、おまえたちにまで苦労をかけて」
「いいんだよ。ぼくは歌うことが大好きなんだから」
 ルネはやさしく、パパにキスをするのだった。
 ルジとルネは7人きょうだいの5番めと6番め。下にはまだ、小さい妹がいる。だからパパが病気になっていらい生活は苦しい。
 ケベック市の生活保護を受けているのだけど、それだけでは足りないから、ルジとルネが、歌を歌ってかせいでいる。
 以前は、もっとましな家に住んでいた。
 せまいながらも庭がありママは花壇を作って、花を育てていた。
 パパも、材木工場のコックさんとして腕をふるい、日曜日には、聖歌隊のリーダーとして、教会にかよっていた。
 もちろん、ルジもルネも聖歌隊員だった。とくにルネは才能がみとめられて、よくソロのパートを受けもたされていた。
                    (以下、次回記事に続く)



 他の記事にも見られるのですが、間違った情報で書かれているところがいくつかあります。まず、「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-」でも描かれている、ケベックのバーで歌っていた頃は、シクーティミではなく、ケベック・シティのサビニエール・ドリオン通りに住んでいました。パパが喘息で働けなくなり、オルレアン島の白い家から、アパートの地下室4部屋に移っていました。また、ルネは7人兄弟の5番目で、兄レジスは4番目。ルネの下には弟ジャン=ロジェと妹ナタリーがいます。さらにこの記事では、パパはルネとレジスがバーで歌っていることを知っていますが、実際には両親に内緒で歌っており、ルネの天使の歌声がケベックで評判になって両親の耳にも入ったことになっています。
 他にも読み方の違いで、仏語では「チクーティミ」ではなく「シクーティミ」、「ルジ」は「レジス(レジ)」だったりしますが…。

 次回はこの記事の後半を紹介いたします。


     ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 やっと週末を迎えることができてホッとしています。
 実は、先週12日の日曜日は、前夜から熱を出して寝込んでいました。月曜から一泊の出張が入っていたため、薬を飲んでひたすら休養に徹した「母の日」。出張は、半病人には少々きついプログラムもあったのですが、どうにか乗り切ることができました。しかし、のどの痛みと関節痛が改善されず、金曜日の出張が無事済んで一安心しています。

 
▲初「猫アスカ」画像(3度目の入院から退院 毛刈りされた手術痕にも毛が生えてきましたよ)

 そして昨日は、外せない仕事関係の「運動会」を午前中見に行き、その帰りに入院中の猫のアスカを迎えに行きました♡ ところが午後、息子をスイミングに送って行こうとしたら、今度は息子が微熱。現在息子の小学校ではインフルエンザが流行中で、6年生だけが創立記念遠足を13日に延期し、14日からは4年生の1クラスが学級閉鎖の上に、息子のクラスでも数人…それも、息子の座席の周りの子たちが発症していたため、大事を取って欠席させました。ところが、息子はスイミングを休んでおきながら、猫のアスカと遊んで大喜び。今はすっかり元気です。

 さて、今年のシマ姉家のグリーンカーテンですが、「うどんこつよし」という、病害虫に強い品種を2苗とミニトマト「あいこ」。黒小玉スイカはもと朝顔のプランターに植えました。朝顔は地面からもプランターからも、昨年こぼれた種から芽が出ています。それから、昨年のサヤインゲンの種も蒔いてみました。しっかり芽が出ていますが、今年は昨年まだ小さかった垣根が育っているので、日当たりの面がちょっと心配です。今年の夏の暑さはどうなのでしょう? どちらにしても、グリーンカーテンで涼と収穫を楽しみたいです♪

▲職場のアマガエル(正面顔はエサをもらったすぐ後 もう少し顔を上げている時は、もっと笑っているように見えました まだまだ太めちゃんです 笑)

 そして、職場のアマガエルはとうとう私の手から直接エサを食べるまでになりました。水曜日に、教室で捕まえたハエ(? アブやイエバエではない)を食べた後の正面顔が満面の笑みに見えましたが、翌日からまた旅に出ています(笑)。パッションフルーツの花が次々に咲き、プチトマトも程良く熟れ、パッションフルーツとオリヅルランが元気に伸びて窓辺がジャングル化してきているため、そろそろ外の犬走りに移動しようと考え中です。

▲左:職場のパッションフルーツの花(トケイソウの一種)
 右:シマ姉家のご近所のポピー畑 今年は咲き始めに撮れたので綺麗♡


 昨年いただいた庭の「ブルーベリー」や、さらに尾ヒレが立派になった熱帯魚のベタ「チッチ」、職場の水槽で増え続けるミナミヌマエビ軍団など、これからまだまだ楽しみがいっぱいです。ルネ友の皆さまにも、ルネ記事と一緒に楽しんでいただければ幸いです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MAPLE MATESルネ・物語

2012年08月31日 | ルネ・シマール物語
 息子は今日は学校です。始業式ではなく、大震災後改修工事をしていた給食センターが完成したため、給食試食会という名目での登校日。でも、しっかり夏休みの宿題提出日★ まだ研究が続いている理科研究を残して持たせました。理科研究を9月3日(月)に持たせるため、週末は中間報告的な内容になりますが、研究のまとめを完成させる予定です。
 ちなみに研究の内容は、3年生の時に行った「ジグモの研究」の続きです。昨年4年生の時は「グリーンカーテンにと身近な虫たち」。何故昨年続けて行わなかったかというと、昨年は大震災の影響か、たくさんあったジグモの巣が無くなってしまったからです。今年も2年前の4分の1あるかないか程度。3年生の時の研究から発展させた観察は辛うじて出来たものの、予想した結果が出たり、ジグモが全く想定外の動きをしたりで、結論が出ないままの中間報告。だって今年は来春孵る卵嚢入りの雌グモの巣を2つ掘り当ててしまったので、観察継続なんです(笑)。画像はクモ嫌いの方も多いと思いますのでアップしませんが…。


 それから、今年のグリーン・カーテンはいつも通りのキュウリと早咲き朝顔「アーリー・コール」に加え、息子が理科の発芽の実験で使った残りのインゲン豆を栽培しました。最初の頃はキュウリにうどんこ病が発生して悪戦苦闘。息子が伝染性口角球症にかかっていた頃は追肥まで気が回らず、今年は失敗かと思われました。でも、8月に入って暑い日が続き、水やりは大変でしたが、うどんこ病も治まり、昨年よりも豊かなグリーン・カーテンになっています。しいて言えば、高い所に成ったインゲン豆は、すっかり種になっしまっています。ツルが下がってきてまた花を咲かせていますので、今度は柔らかい内に収穫して、またごま和えを作りましょう♡ もちろん味付けはシマ姉家定番のメープル・シロップと醤油でね♪ お豆もメープル・シロップで煮豆にする予定です。


 さて今回は、cherienomamaさんから提供していただいた、ルネ・シマールファン・クラブ「メープル・メイツの会報№1から、「ルネ・物語」を紹介いたします。
 この記事は、ルネを紹介する雑誌の掲載記事で散々書き尽くされた内容で、「カナディアン・マガジン」の記事を翻訳したものです。
 ルネのセミ・ドキュメンタリー映画「ルネ・オン・メロディ」(「Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-」)には、父の喘息でオルレアン島の「白い家」の家賃が払えなくなったため、ケベック・シティの地下4室に移り、慈善団体の社会福祉で生活していたころのことは描かれていません。映画では、ルネが歌手デビューして得たお金で、教会の帰りに見つけた「船長の家」を購入し、「白い家」から引っ越したように描かれています。「普通の子供」のあらすじは過去ログで紹介していますので、そちらでお読みいただければ幸いです。

※過去ログ「”Un Enfant Comme Les Autres”のあらすじ」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/318.html

▲ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」会報№1裏表紙



          ルネ・物語

 ケベック州、シクーティミで、ルネは7人の子供を持つ音楽一家に生まれた。父親のシマールはもともと材木労働場のコックをしていて、少ない収入をおぎなおうと家にいる時は必ず近くの教会の聖歌隊のリーダーをつとめた。子供たちは成長するとすぐ聖歌隊に入った。ルネはしゃべり始めると同時に歌いはじめた。彼は7才で聖歌隊員になった。
 しかしちょうどその時に父親が病気になり、働けなくなった。一家は慈善団体のプレゼントである社会福祉で生活して行った。そして主にパンと牛乳しか食べられなかった。二階建てのアパートの家賃が払えなくなって、一家はケベック市のアパートの地下にある4部屋にひっこした。
 その時8才のルネと兄のルジは仕事をしようと決心した。彼らが言うには、その理由は、お母さんのためにふるさとのIle d'Orleansに自分の家をたてられるほどのお金をかせぎたかったからだ。そこで二人の少年は放課後両親に内緒で近所のバーにもぐりこんで歌うことを始めた。ルジはギターがひけたし、二人とも歌うことはできた。そしてルネはテーブルをまわって帽子の中にお金を集めた。
 少年たちは鳥カゴぐらいの家賃さえもかせげなかったが、自分たちの芸をみがくことはおぼえた。そして今から1年前、まだ社会福祉を受けつつ、彼ら二人はケベック市の素人コンテストに出場した。二人とも、最終審査まで残り、ルネが優勝した。それがキッカケで、タレント・スカウト番組として有名なケベックのテレビ番組、Tely 4にルネは出場した。14回出場したのち、ルネは再び優勝した。
 ルネの現在のマネージャーであるギィ・クルティエが、彼自身の結婚式の時に、一人でオルガンを伴奏して賛美歌を歌っていたルネの美しい歌声にほれこみ、モントリオールで、彼のデビュー「鳥」のレコーディングを行いたちまちのうちに大ヒットとなり、10歳の若さで全カナダの人々の心を捉えました。
 「鳥」(”L'Oiseau”)の大ヒットでルネはケベック№1のレコード・セールス・アーティストとなり、続いて発売された2枚のLPは、175,000を売り上げ現在もヒットチャートに上がっています。
 その後、数々のTV番組でも活躍し、また、ケベックのPlace des Arts劇場やColiseeでのステージでも前例のない成功を収めた。ルネの生活をとったドキュメンタリーはDenis Herony(ドゥニー・エール)によって製作され、”Un enfant comme les autres”(普通の子供)という題名で発表されたが、会場には、延べ60万人という驚異的な動員数を記録した。(カナディアン・マガジンより)

ルネ、プロフィール

本  名 ルネ・シマール Rene Simard
生年月日 1961年2月28日 13才(魚座)
出身地  カナダ、ケベック州、シクーティミ
デビュー 10才の時「鳥」でデビュー
身  長 137㎝、36㎏、足8inch(20㎝)
趣  味 スポーツ=スケート、サッカー
      模型機関車
得意科目 数学(サンピエール・ド・オーレアン在学中)
好きな色 赤、青
好きな食べ物 ステーキ
尊敬する歌手 エルビス・プレスリー
好きな女の子のタイプ シンプルな子



 余談ですが、本家の「メープル・メイツ」が閉鎖になった後、ルネ・ファンの方が作ったファン・クラブが幾つもできました。私が入会していたのは福岡の「ボンジュール・ルネ」、cherienomamaさんが入っていたのは「MAPLE MATES Ⅱ(メープル・メイツⅡ)」、しゃむねこさんもファン・クラブを結成して活動していました。メープル・メイツⅡとしゃむねこさんは情報交換をしていたようで、cherienomamaさんからいただいた資料の中で紹介されていました。
 その会誌の中に、ルネの日本でのエピソードがあり、ルネの人柄が良く出ている話がたくさんありました。後で紹介したいと思っています。そして、その紹介記事を読んで、ファン・クラブのメンバーさんがコメントをくださったら嬉しいですね♡
 


 それから、ルネの「雨に唄えば」は、上演期間中に50,000人の観客を動員。大好評につき8月30日から9月8日までの追加公演が決定し、”Un billet d'or pour Chantons sous la pluie「雨に唄えば」のための金のチケット”が発売になりました! 

※canoeの記事より
http://fr.canoe.ca/divertissement/arts-scene/nouvelles/2012/08/28/20149631-qmi.html

 そして… ちょっとだけ報告です。カナダのソフィーさんからサプライズで秘密の贈り物が届きました。CDと五色豆のお礼に、直筆のサインとメッセージ入りのマグカップgift また宝物が増えましたsymbol1

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

”Un Enfant Comme Les Autres”のあらすじ

2009年02月08日 | ルネ・シマール物語

 ”Un Enfant Comme Les Autres(ア・ナンファン・コム・レ・ゾートル)”は、ルネ・シマールのセミ・ドキュメンタリー映画としてカナダのケベック州で公開されました。ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得すると、日本でも「ルネ・オン・メロディ」として劇場公開されたのでした。


      ▲”Un Enfant Comme Les Autres”のポスター
              (Collectoin Passion Simardより)


 私は「ルネ・オン・メロディ」を日本公開当時観ていません。そのため、この映画の紹介で書かれている内容についてわからないことがあります。それは、”Un Enfant Comme Les Autres”で歌われていない曲が紹介文の中に入っていることです。過去ログ(※1)で紹介した「ロードショー1975年4月号」の記事では、『ルネの歩いてきた道を、数々のヒット曲をちりばめながらつづったセミ・ドキュメンタリーである。カナダでは60万人を動員した大ヒット作。「鳥」「小さな生命」「雨にぬれても」「ラ・メール」「青い鳥」「普通の子供」などのヒット曲が唄われている。』とあるのですが、少なくとも「小さな生命」はルネの2回目の来日の際に発売された曲です。さらに「青い鳥」は、当時エリザベス・テイラーとの共演で話題となったアメリカのミュージカル映画のタイトルです。もちろん、単に「ロードショー」の記事が間違っているというだけならどうってことはないのですが、ヤフオクで落札した劇場用特大ポスターには、さらに「君のすべてがほしい」まで書かれているのですから、ルネの日本のファースト・コンサート映像(※2)も一緒に公開されたのか?…と、観ていない私は考えたりしています。しかし、「君のすべてがほしい」は、同映画の公開された4回目の来日時に発売された曲なので、これはどう考えてもおかしい★ 日本公開時ご覧になった方、是非!私の疑問に答えてください。また、MarielleさんのYouTube映像”RENE SIMARD AU JAPON”は日本のファースト・コンサートの映像です。私の記憶では、3回目の来日に合わせて特別番組としてTV放映されているのですが、同じ番組をご覧になった方や情報をお持ちの方、こちらについてもご連絡ください。どうぞよろしくお願いいたします!

※1 過去ログ「『ルネ・オン・メロディ』の想い出」
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/316.html
※2 MarielleさんのYouTube映像”RENÉ SIMARD AU JAPON” 
http://www.youtube.com/watch?v=0MvGsxpljJo&feature=channel_page

 現在YouTube等でご覧いただける”Un Enfant Comme Les Autres”は、Giseleさんの短縮版(♪1)や、Caseyさんが11パートに分けた英語吹き替え版(♪2 ただし後半部のみ)、ChantalさんやMarielleさん、Eiyseさんがアップした代表的な場面の映像があります。しかし、それらがストーリーのどの部分の映像なのか、当ブログで紹介したケイブンシャ刊「スーパー・アイドル ルネに掲載された『ルネ・シマール物語(♪3)』等をお読みいただければ大体わかるものの、その全てをつなげても、まだアップされていない場面がたくさんあります。
 また、前回と1月1日に紹介した”Rene Simard Au Japon(♪4)”。実際の内容は”Rene Simard au Festival de Tokyo(東京音楽祭のルネ)”もそうなのですが、監督の構成の特徴なのか、仏語の会話がわからないだけでなく、どうも話の流れがつかみにくいのです。リアルタイムでルネのデビューや成長を見守ってきたカナダのルネ・ファンの方たちは良いとして、日本のファンには少々わかりにくいと思います。さらに、セミ・ドキュメンタリー映画のため、ルネが辿った道程を忠実に再現し、出演者が全員本人の役で出ているので、俳優が情感を込めてドラマティックに演じている映画とは違います。以前、映画のちらしを紹介しているブログで、同時上映の『汚れなき悪戯』も一緒にご覧になった管理人さんが、両方を比べて批評している紹介文を読ませていただきました。その時は、その批評にかなり反発しました。ルネ・ファンじゃない人には、確かに面白くないだろう★…と。しかし、ルネがレコーディングやCMを撮影する様子を観ることができたファンの感動と、大ヒットした名作映画の感動は、感動のタイプが違います。確かに私も『汚れなき悪戯』を観て、マルセリーノの可愛さや健気さに泣きました。そして、”Un Enfant Comme Les Autres”は、いろいろな記事で読んできた「ルネ・シマール物語」の場面場面を、ドキドキワクワクしながら観たのでした。

♪1 ”Un Enfant Comme Les Autres”の短縮版
http://media.putfile.com/Extrait-un-enfant-comme-les-autres
♪2 ”Rene Simard - A Child Like Any Other” こちらはPart 1
http://jp.youtube.com/watch?v=ktLSuMOZg3c&feature=channel_page
♪3 カテゴリ「ルネ・シマール物語」
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate6/archive
♪4 過去ログ”Rene Simard Au Japon”
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/312.html

▲「芸術広場」のリサイタルの朝、ホテルの部屋でパジャマのままのシーン撮影中のルネ。


 前置きが長くなりましたが、今回は、YouTube映像や雑誌等に掲載された画像を使って、同映画のストーリーを紹介していきたいと思います。

”L'OISEAU”
オープニング 一面の雪原に遊ぶルネとレジス。凍るセント・ローレンス河でスケート。



オルレアン島の「白い家」に帰る。




教会の日曜のミサ。ルネがリード・ボーカルで歌う。(画像はルネが聖歌隊をしていた教会)

教会から帰るシマール一家。途中で売家の看板の付いた「船長の家」を見つけるルネ。





寝る前にベッドで相談するルネとレジス。ルネは、教会の歌に寄付が集まることから、レジスのギターでルネが歌ってお金を稼ぐアイデアを思いつく。部屋の灯りを消して眠る2人。
オルレアン島からヒッチハイクを試みながらケベックシティに出て、パブで歌うルネ。「サンタ・ルチア」を歌ってお金をもらう。

おもちゃ屋の機関車模型が欲しいルネ。レジスはそんな弟ルネを説得し、家に帰るとママに稼いだお金を渡す。




「ジャン・ロジェの発見」で「アヴェ・マリア」を歌うルネ。
AVE MARIA
http://jp.youtube.com/watch?v=zh-14EeTn8Q&feature=channel_page



その様子をテレビで見守るシマール一家。




ギー・クルティエの結婚式。聖歌を歌うルネ。

 


 ルネのスカウトに「白い家」を訪れるギーと夫人。
 「ジャン・ロジェの発見」で「雨にぬれても」を歌い、15週勝ち抜いてトロフィーをもらうルネ。
 モントリオールに、ギーの車で来て地下鉄に乗るルネとレジス。途中、ギーを残して地下鉄を降りてしまい、ギーを困らせる。おもちゃ屋の機関車模型に見入っているところをギーに見つかる2人。
 ルネをプロダクションから売り出すためのスタッフ会議をするギー。
 スタジオで”L'oiseau”を歌うルネ。
 スタジオで”La Mer”を録音するルネ。
 ファースト・アルバム”L'oiseau”がミュージック・ショップに並ぶ。BGM「島の少年」。

スタッフ会議。大々的に売り出し、新聞にも記事が大きく取り上げられ、人気が出る。





新聞社の取材、ラジオ番組出演するルネ。




 ギー・クルティエとルネ・アンジェリルらは「ロンドン・レコード」を設立する。ルネの人気が上がり、記録的なレコード売り上げとともに、レコード会社も大きくなっていく。

ローラ・スコールの缶プリンの歌を録音するルネ、レジス、マルタン。それに立ち合うパパ。





CMの収録風景。
1970- Poudings Laura Secord
http://jp.youtube.com/watch?v=oEuURBfOWgA&feature=channel_page


 ローラ・スコールの担当者から差し入れられた缶プリンを食べるルネたち。
 ギー、パパの打合せ中、アイス・ホッケーの練習をして遊ぶルネとレジス。
 家に帰ってくるとママと幼い妹ナタリーがキッチンに。"Ange de mon berceau(僕のゆりかごの天使)"の録音風景と重ねて。
「芸術広場」でのリサイタルの朝。ホテルでダニエル・バシャン(バチョー)さんに着がえさせてもらうルネ。ベッドではねて遊ぶレジス。テレビではアメリカン・ヒーローの「バットマン」。
※ここから後のエピソードはCaseyさんが11パートに分けた英語吹き替え版でご覧いただけます。

「芸術広場」に車で向かい、楽屋で舞台衣装に着替え、メイク(ドーランとリップ)し、パオロ・ノエルと発声練習。いざステージへ。

リハーサルで「雨にぬれても」を歌うルネ。
僕のママは天使」を歌うルネ。



パオロ・ノエルと「小さな帆船」を歌うルネ。
René Simard et Paolo Noël à la Place des Arts
v=6nh8mHAvFac&feature=channel_page" target="_blank">http://jp.youtube.com/watch?v=6nh8mHAvFac&feature=channel_page

僕のママは天使」の演奏の中、ルネの紹介でレジスが登場。慣れた様子でマイクを取るレジスに、会場に笑いがこぼれる。2人で”La derniere rose de l'ete(夏の名残の薔薇 日本では「庭の千草」)”を歌う。
René & son frère Régis à la place des arts en 1971.
http://jp.youtube.com/watch?v=lPxpkjWLIr4&feature=channel

Dans mes reves”と”Pres de toi(カーペンターズの「遙かなる影」の仏語版)”を歌うルネ。

熱狂的なアンコールと繰り返されるカーテン・コールの後、楽屋に来るファンにサインするルネ。人々の祝福のキス。ルネとレジスを抱きしめるパパ。




セミ・ドキュメンタリー・フィルム”Un Enfant Comme Les Autres”を製作することになり、同名のテーマ曲を録音するルネ。




René Simard chante "Un enfant comme les autres" - 1972
http://www.youtube.com/watch?v=nmPYlZHeX3w&feature=channel_page


 ルネはギーに聞かれ、売りに出ていた家のことを思い出す。ルネは教会のミサ帰りに見つけた後、レジスと一緒にその家を見に行っていた。ルネの希望で、船長が住んでいたという家を購入し、ギーの車で家族で向かう。ドアの鍵を開け、家に入るシマール一家。『売家』の看板を外し、雪の中に投げ捨てるルネ。
 エンディングは、”Un Enfant Comme Les Autres”の歌とともに、道を歩いて行くルネの後ろ姿をカメラが追う。


 ルネ・シマール一家が親しい人たちに見送られながら「白い家」を出ていくシーンもあるのですが、この時パパは喘息で働けなくなり、ケベックシティの地下室を借りて住んでいたので、家族でTVを観ているシーンやギーが「白い家」にスカウトに来るシーンは実際とは少し違うかもしれません。また、テレビを観ている時、家族とは別の人物が複数映っているので、知り合いの家でテレビを見せてもらっていたのかもしれません。中には、「ジェン・ロジェの発見」を観ていたギーの母が、「何故レコード会社でスカウトしないのか。」と電話したというようなエピソードも伝えられています。しかし、最初にルネを発見してスカウトしたのは別の人だったという話もあるようです(カナダからの情報)。セミ・ドキュメンタリー映画ですから、撮影の関係で、事実とは微妙に違うところが出てきても仕方がないのでしょうね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルネまんが履歴書

2007年09月09日 | ルネ・シマール物語
 今回は、いけないことと知りつつ、ドキドキしながら危ない橋を渡っています。クレームが来てしまった時は削除しなければならないので、是非今のうちにご覧になっておいてください。


 この作品は、掲載当時でも、少女漫画界の大御所として多くの有名漫画家に影響を与えた、水野英子氏によって描かれた『ルネ物語』です。

 水野英子氏は、亡き手塚治虫大先生の流れをくむ少女漫画家で、代表作の長編漫画『ファイヤー!』も音楽界を題材にした作品でした。
 この頃、芸能雑誌や少女漫画雑誌に、人気のあるスターの経歴が漫画化され、定期的に掲載されていました。描いている作家の絵柄や実力、知名度も様々でした。
 その中で、掲載当時その作風はすでに古い感じになっていましたが、ルネを初めとする実在の人物たちの特徴や、仏系カナダのケベックの雰囲気がよく捉えられているこの作品に、さすが水野英子!・・・・と大変感激したのでした。

 33年前の作品とはいえ、著作権に引っかかってしまうと知りながら当ブログで紹介いたします。この作品の存在は知っているけれど見たことがないという、シャンタルさんやカナダのファンサイトの方々にも楽しんでいただけたら幸いです。














コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする