私が担当した初めての無宗教葬儀は、平成10年のことでした。
47歳のスポーツ記者の方で、奥様のお姉さまが中心になって、葬式の打合せをされました。遺族に負担がかからないように、故人の縁を大事にという主旨がはっきりされていたので、無宗教葬儀の経験が無い私でも、お手伝いし易い葬式でした。
各方面のスポーツを担当されていましたが、特にラグビーには思い入れがあったようです。ご本人もが大学時代選手として活躍されており、ユニフォームを棺にかけて、飾りました。
通夜はお身内だけで、故人を偲ばれ、翌日500名の方が「お別れ会」に参列されました。
献花は、何種類ものお花を用意して、お好きな花を選んでいただき、棺の前に
長いオアシスを置き、そこにお花を挿していただきました。
その時に、故人のお顔が見えるように棺の蓋は開けたままにしておきました。
献花が終わった時に、棺の前が花畑になるようにしたかったのです。
献花が終わった後に、1人のお客様が遅れて来られました。
金髪で体格の良い方です。
「ウォー、ウォー」(と私には聞こえたのですが)大声で大粒の涙を流されながら皆さんの見守る中、献花して下さいました。
その方は、プロレスラーのダンプ松本さんでした。
あまりの見事な泣きっぷりに、大勢の方がもらい泣きされていたのが印象に残っています。
その後、奥様は仕事に出られるようになりました。
ご自宅は新築でしたが、ご主人がこの家にいる時間はあまり無かったようです。
何の問題も無く終わりましたが、今思えば、まだまだ未熟な無宗教葬儀でした。
どう言う訳か、その後、その葬儀社は無宗教儀(自由葬儀)が得意分野になり、ご依頼を多く受けました。
葬儀は担当者が1人で出来るものではなく、スタッフ全員のサポートが必要です。
その当時のスタッフは私の葬儀理念(葬儀は究極のサービス業である。それには無類の優しさを提供する)をよく理解してくれて、1つの葬式に全員の気持ちが集中していました。
そのスタッフ達が施行した無宗教葬儀は、思いで深いものばかりです。
あたたかい葬儀をする処は、やさしいスタッフのいるところです。
これ、本当ですよ。
47歳のスポーツ記者の方で、奥様のお姉さまが中心になって、葬式の打合せをされました。遺族に負担がかからないように、故人の縁を大事にという主旨がはっきりされていたので、無宗教葬儀の経験が無い私でも、お手伝いし易い葬式でした。
各方面のスポーツを担当されていましたが、特にラグビーには思い入れがあったようです。ご本人もが大学時代選手として活躍されており、ユニフォームを棺にかけて、飾りました。
通夜はお身内だけで、故人を偲ばれ、翌日500名の方が「お別れ会」に参列されました。
献花は、何種類ものお花を用意して、お好きな花を選んでいただき、棺の前に
長いオアシスを置き、そこにお花を挿していただきました。
その時に、故人のお顔が見えるように棺の蓋は開けたままにしておきました。
献花が終わった時に、棺の前が花畑になるようにしたかったのです。
献花が終わった後に、1人のお客様が遅れて来られました。
金髪で体格の良い方です。
「ウォー、ウォー」(と私には聞こえたのですが)大声で大粒の涙を流されながら皆さんの見守る中、献花して下さいました。
その方は、プロレスラーのダンプ松本さんでした。
あまりの見事な泣きっぷりに、大勢の方がもらい泣きされていたのが印象に残っています。
その後、奥様は仕事に出られるようになりました。
ご自宅は新築でしたが、ご主人がこの家にいる時間はあまり無かったようです。
何の問題も無く終わりましたが、今思えば、まだまだ未熟な無宗教葬儀でした。
どう言う訳か、その後、その葬儀社は無宗教儀(自由葬儀)が得意分野になり、ご依頼を多く受けました。
葬儀は担当者が1人で出来るものではなく、スタッフ全員のサポートが必要です。
その当時のスタッフは私の葬儀理念(葬儀は究極のサービス業である。それには無類の優しさを提供する)をよく理解してくれて、1つの葬式に全員の気持ちが集中していました。
そのスタッフ達が施行した無宗教葬儀は、思いで深いものばかりです。
あたたかい葬儀をする処は、やさしいスタッフのいるところです。
これ、本当ですよ。