柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

お寺の勉強会に招かれて

2011年05月27日 | 葬儀の世界
僧侶の皆様の勉強会にお招きいただきました。
地域社会に貢献する為に研修会を開催されています。

今回は「無縁社会における僧侶の役割と葬儀社の役割」というテーマでした。

今の人々は「迷惑かけたくない」がすぐ口から出ます。
葬式を出すときにも
「迷惑かけたくないから、家族葬で」
「お年寄りは出てくるのも大変だし、迷惑かけるから」
「以前は親しかったけど、もうずっと逢っていないし、知らせれば迷惑かけるから」
「葬儀が終われば、ここには住まなくなるし、葬儀に来てもらっても迷惑かけるから」

こんな具合です。

でも葬儀の現場では
思ってもみなかった人の会葬に、嫌がる遺族は見かけません。
多くのご遺族は、予想以上の会葬者がこられると、感謝し
何十年ぶりの知人の会葬に感激しています。

会葬に来られた方も、迷惑どころか、来てよかった!と思っている方が多いのです。

無縁社会を嘆いている世間の人が、自ら
気付かぬうちに「無縁社会」を作っている。

それを築気付かせるのは、マスコミ情報が一番早いけど
そういう情報は、話の端にも出てきません。
時間がかかっても、僧侶や葬儀社が説いていかないといけない。

私にはそう感じられてならない、という話をしてきました。

僧侶の方々には
「もっと遺族に話しかけて欲しい」
「お教の解説をして欲しい」
「解りやすい言葉で話して欲しい」
「話し方を勉強して欲しい」
「解りやすい布施の体制を考えて欲しい」
と、お願いをしてきました。

普通の場合、僧侶の方と接するのは葬式です。
まず、お寺に縁を感じる事が大切です。

お布施の問題は僧侶間でも色々な考えがあり
その相違は大きいと感じました。

帰り際に
葬儀社と僧侶と、多方面の方々も交えて、もっと葬儀の話し合いをしていかなくては・・・と
声を掛けてくださいました。

本当にそうですね。
私にもいい勉強になりました。

皆、家族葬でいいのでしょうか?

2011年05月20日 | 葬儀の世界
葬儀社に伺うと新入社員の方にお目にかかります。
まだ表情も硬く、ぎこちない挨拶を頂きます。

葬儀業に関わりたくて入った方も
それ以外の気持ちで入った方も
皆さん一所懸命に先輩の後ろについています。

研修を終えるとカルチャーショックを受ける人もいます
涙ぐんで話を聞いている人もいます。
葬儀のイメージが変わりました、と言ってくれる人もいます

この人達の成長で葬儀業界も多分、変わってくるのでしょう。

新人同様に、葬儀社自体が「今、何かを変えなくては・・・」と
動き始めているのを感じます。
しかし、そこには
葬儀への主たる考えがないと、
単にコースや価格の変更に留まってしまいます。

家族葬、直葬にまっしぐら!という動きに懸念がぬぐえません。

周りの動きが、意見が、そうだから、と
安易にその方向づけをしていいのでしょうか?

家族も親戚も少ないから、葬儀は小さくなる
親しい人だけで葬儀をすれば、それでいい
義理は必要ない

その考えを肯定する裏には
「家族葬を薦めないのは葬儀社が儲からないから」と思われてしまう・・・

そんな単純な理由で方向性を決めているのなら残念です。

世間と離れて人生を終えた人や
どうしても人に送られるのが嫌な人なら、その選択は納得ですが

家族葬や直葬があたかも、正当な別れ方と捉えられると、チョット・・・
人の死を、もっと多方面から考えてもらえると・・・

人には色々なつながりがあり、親しさの一線は引きがたい、と思いませんか?
人に別れを惜しまれない最後なんて、寂しくないでしょうか?

新入社員のように、死の話に涙する心を皆が持っているはずなんですが。

それを気付かせてあげるのも、葬儀を受ける側の仕事だと思うんですが。


斎場建設反対も、わかります。

2011年05月18日 | 葬儀の世界
大田区で斎場建設の反対運動が起きているニュースを見ました。

小さな斎場でビルの1階にあり
入り口も、普通の飲食店かと思うような感じです。
裏口もなさそうで、駐車場の隣接もありません。

反対運動は町ぐるみで起きていて
4400名の署名が集まりました。

反対理由は、立地問題。

前が病院で、病室からその式場がよく見えます。
透析に通っている患者さんのコメントは
「一生懸命に生きようと治療に来ているのに
向こうは死ぬのを待っている訳だから」
と言っていました。


一番の問題は遺体の搬送だそうです。
一番近い駐車場は、だいぶ先にあるコインパーキング。
そこからストレッチャーで商店街を通って斎場へ搬入するのだそうです。

これは反対されてもしょうがないですね。

死ぬ事は、人間としてごく当たりまえのことで
誕生が素晴らしくて
死ぬ事は、見たくない避けたい事、というのは
私はうなずけません。
その人の人生を否定された気がします。

でも、遺体を人目にさらすのは、更にうなずけません。

家族や親しい人が故人を囲むのは、温かいまなざしですが
街中で知らない人の遺体が行き来するのは
好奇の目でしょうし
傍からも、家族の側からも痛々しすぎます。
その心遣いは葬儀社として当然のものだと思います。

現在は斎場側はお骨にして葬儀をしている、とのことですが
反対側は納得していません。
最初から折り合う為の話し合いは無かったようで
簡単には収まらないでしょうね、

ただ単に葬式場が嫌だから、と言う反対運動とは違って
葬儀にかかわるものとしては残念な騒動です。


帰宅願望の義母です

2011年05月15日 | 私の半径100メートル
義母が特養の老人ホームに入所して20日間が過ぎました。
今までいた老健では、すっかり生活に慣れ、やっと居心地がよくなってきたところでした。
今度の老人ホームは、新設の所です。


義母は入所してからずっと、帰宅願望が強く出ています。
半身が動きにくく車椅子なので
跡を追われる事はないのですが
毎回、不安な顔をして哀願されてしまいます。
会話は出来ないながらも、帰宅を望んでいるのが解ります。

会話ができず、理解が困難で、車椅子の母を
家で介護するには、仕事との掛け持ちでは無理だと思います。

看る事は何とか可能であっても
心臓と腎臓の状況をみての食事制限までは、なかなかできません。
倒れる前も、何回も不調になり入院の繰り返しでした。

一番、心苦しいのは私より主人だと思います。
出来れば一緒に住みたいでしょうね。
その為に、仕事の大半を整理したのですから。

母が施設にお世話になってからは
整理したはずの主人の仕事が、何故か増えてしまい
母の面会と仕事で、程好い忙しさの毎日です。

今日も主人は忙しく
私が用事を早く済ませて面会に行きました。
どういう訳か、私が1人で訪ねると、必ず帰りたがります。
いつも心が重くなるのですが
今日は、お天気がいいせいか
散歩して、心が晴れたのか
穏やかに別れる事が出来ました。

アー、良かった。 ほっとしました!

『母の日』でしたね

2011年05月11日 | 私の半径100メートル
「母の日」がありましたね。
今年は第2日曜日が8日だったので、5月に入った途端に母の日が来た気がします。

今の私は、あげる立場と、してもらう立場です。

「母の日』だなんて、商戦に乗せられているだけ
と、言う人もいますが
私はその人の為に、何かしてあげようと考えるのが好きなんです。

だから、「今年は何にする?」と思いめぐらして
結構真剣に考えてます。

「面倒くさい!」と感じたら、何もしない方がいい。
それこそ、商戦に乗せられてるようで、悔しいです。

本来、誰かの為に何かをする事って、気持ちが高揚するんじゃないでしょうか?
もしかしたら人の為、というより
その行為をする自分が嬉しいのかも知れませんね。

昨年も、今年も、母にはカーネーションじゃなくて鉢植えの「アジサイ」を贈っています。
予想以上に、母親が喜んでくれるので
私もハッピーになれます。

娘も私の為に、何かを探して贈ってくれます。
娘が悩みながら、ワクワクしながら探してくれる、と想像するだけで
私も受け取る喜びを感じます。

人の行為が嬉しくて、素直に有難いと思えるようになりました。
これも年を重ねたせいでしょうか。


あなたの気持ちを伝える方法はいくらでも・・・

2011年05月09日 | 赤ちゃんのお葬式
いつもコメントを頂くユウさんから
子供用にアニメなどが書かれた霊柩車があればいいのに?
と言うメッセージを頂きました。
お返事が長くなりそうなので、こちらに書きますね。

葬儀に携わるスタッフは、遺族と接する時間が長いので
家族を亡くした悲しさや苦しさを肌で感じてしまいます。

何とかいい方法で、送ってあげたい!と皆、思うものですね。

しかし、予算を大幅にオーバーしては、本当にいい仕事とは言えません。
採算がとてれて余力があるからこそ、勉強も新しい試みもできるはずです。

お子さんの葬儀は、親御さんにとっては身を切られる想いがあるでしょう。
『この子に最後にしてあげられる事は?』と問い続けているでしょうね。

棺や骨容器をあえて、子供用に取り寄せるより
普通の木棺を親御さんの手で、子供に合った棺になるよう
細工をしてもらう事でも、十分に気持ちを支える事が出来ます。
家族写真を張り付けたり、絵を書いたり、洋服を貼りつけたり・・・

それには急いだ日程では無理ですから、その調整も必要です。
何日かお子さんと一緒に過ごす時間も作れますね。

霊柩車も工夫次第でしょう。
マグネット式の看板のように、アニメとか動物を作っておけば
出棺時だけでもドアに貼りつけ、あとで外すこともできるでしょう。

高いコストの出来あいを求めるより、その時、その子への対応ができる方が
柔軟性があって、優しさがもっと出せる気がしませんか?

私の知り合いが、そういうものを作れる人なので
どうしても、ということであれば、お問い合わせください。

考えれば色々と、想いは形になるものです。

子供じみていますかね・・・

2011年05月07日 | 
焼き肉のチェーン店で集団食中毒が発生し、現時点で4人の死亡者が出ています。
生肉は家庭では食べれませんが、専門店でメニューに書かれていれば
絶対に信用して食べてしまいますよね。
生肉の法的な規制や調理方法など、問題は多種に及び簡単ではない、と思いますが。

この店は1皿100円が売りだったそうです。
食中毒を起こしたユッケは300円を切ってましたよね。
最近はこれでもか!と言うほどに安い店が話題になって。
確かに安ければ消費者は喜んで来るのでしょうが。

100円で売るにはいくらで仕入れるのでしょうか?
薄利多売、と言っても利益が薄ければ、仕入れを少しでも安くする
これが商売の常識ですよね。

仕入れを安くするなら、どうしたって質は落ちますよね?
大量仕入れでも、卸す方も商売ですから
人件費を削るだけでなく肉質も片目つぶる状況があるのじゃないでしょうか。

人件費落としたら、衛生管理も怪しくなります。
一度捨てた部位でも、使いたくなったりするでしょう。
卸す方だって生きていかなきゃならないし。

牛を育てる人も
解体する人も
仲卸する人も
店で売る人も
皆、そこそこ利益を出さなきゃいけない、
食べにくるお客さんだって、何かを売って収入を得ているのだから
買う時には、売る人の最低限の利益は確保してあげなきゃ・・・

安いお店がテレビに出るたびに
この仕入れは元は、これで大丈夫なのか?と
気になります。


私は子供みたいだと言われるかもしてませんが
それぞれが働きが報われるくらいの潤いが必要で
それがあるから品質が保たれる、と思っているのですが。
きっと、
「おばさん、おかしい!」
といわれ、通用しないでしょうね。