柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

終末期の延命措置は? エンデイングノートを活用して!

2018年04月07日 | 尊厳死宣言とは
昨日も今日も、アマゾンからアクティブノートの発注が入りました。

このエンディングノートを作成して何年たったのかな?

5年くらいでしょうか・・・・

すでに4000冊くらいが出ています。

特に宣伝をしていないのに

長期にジワジワと発注が続いています。

終活セミナーでご紹介すると参加者の半数くらいの方が購入して下さいます。

他のエンディングノートとの違いは3部作にしてあること。

内容によって保管する場所が違うと考えたからです。

特に緊急事態の部は、自社のオリジナルです。


私が書くなら・・・

と、自分の為に細心の配慮をして1から作ったので

かなりの自信作です。




発送先は全国区ですね

男性より女性の方が多いのはお察しの通りです。

アマゾンにレビューを書いてくれた方は

父の日のプレゼントに購入していただいたとか!


親には「エンディングノートを書いて」とは言えない

とよく聞きますが

なにはともあれ「延命処置をどうしたいのか」は

家族として知っておいた方がいいですね。


病気だけでなく、どこで事故にあうか

災害に巻き込まれるかわかりません。

緊急事態に関わる問題です。


「私に直接言うことないけど、自分の意思は残しておいて」と伝えてみてください。

「私はまだ子供が小さいから、何がっあても延命は望むけど」と自分の意思も何気なく

伝える機会にもなりますね。


世の中、尊厳死や安楽死など、終末期の医療方針が話題になっていますけど

医療方針の意思決定は2013年で55.1%。2017年で55.9%とほとんど伸びて居ません。

とても大切なこと解っていても、きっかけがないと家族間で認識し合うのは難しいようです。


どうぞ上手にエンディングノートをご活用くださいね。


「大人の学校」で延命問題を取り上げました

2016年07月22日 | 尊厳死宣言とは
7月10日の大人の学校で「延命問題」を取り上げました。

この日は参議員選なので、参加人数が気になりましたが
介護施設で最近までケアマネージャーをしており
現在は看護師として働いている醤野良子さんをお招きしました。

醤野さんは三鷹で「自分の死を考える集い」を主宰しています。

延命問題は、私もエンディングノートの書き方セミナーの中では
必ず最初に時間をとってお話しする問題です。

ある程度の年齢になれば、死を考えますし
その死に方も考えます。

今の医療は大変進んでいて、死に際を延ばすことが可能になりました。

延命問題を問われるとき、自分に意思表示が可能であればいいのですが
家族にその決断をさせるのは、酷な気がします。

また決断をした後でも、「本人にとってこの決断は正しかったのか?」という思いは
亡くなった後でも心に引っかかるものです。

しかし延命そのものも知らずに自分で決めるのは、又難しいものですね。

栄養や酸素を鼻や口から導入するビニールの管や
胃瘻で使われる器具を実際に見せていただきながら
延命の現状を伺いました。

いつまでも、生きていいてほしい、と願う気持ちと
その代償にある苦痛や苦悩も知っておくべきだと思いました。

その先で、自分の意志表示をしていただければと願っています。

もう何回も、醤野さんの話を聞いていますが
今回は特にわかりやすく
と言って重苦しい雰囲気もなくお話を伺えました。

いつもご協力いただいて感謝しています。









濃厚医療で苦しまない大往生

2012年09月25日 | 尊厳死宣言とは
マキノ出版から「濃厚医療で苦しまない大往生」という
本が出版されました

「大往生したけりゃ、医療とかかわるな」で
自然死を推奨された、中村仁一先生の話を中心に
自然死を特集した本です

医療の現場からの終末医療の実態や
自然死で家族を看取った経験者の話などが
掲載されてます


高齢者の延命の決定は
家族に託される場合が多いですが
延命処置が何なのかを
知らずして選択している人達もたくさんいます

死を先にのばす延命処置を選択し
十分に納得して見送ったご家族もいます
延命処置を選択したために
苦しまれているご家族もいます

何より大事なのは
選ぶ、拒否する理由を本人や家族が見つけることだと思います

その場の雰囲気で、また他の人に押し切られて
決定してはいけないのだと思います

医学の進歩で、あらゆる病から救われるようになり
その恩恵は言うまでもありませんが

人間として枯れて死んでいく権利もあっていいのでは ?

その為にも、まず延命処置と
自然死を少しでも知ることだと思います

世の中、死に方を論じる時代になったのですね


この本の中で
「老いも若きもお一人さまも、自分のため家族のために残してほしいエンディングノート 」
という記事を、私の取材から載せていただきました

重要な話題の中に入れていただき
有難く思っています


ご興味のある方は、是非お読みください


高齢者の救急、読売新聞記事

2012年06月24日 | 尊厳死宣言とは
20日の読売新聞に記事が出ました

医療ルネッサンス、高齢者の救急
自然な最後 家族の選択

という見出しです

取材は1か月以上前なのですが
私が講演の中で父の最後を話したのを聞かれた記者の方が
父の時の延命の話で取材に来られました

私は父の時も義母の時も延命の選択を経験しています
色々な話の中で、結局、義母の話がとりあげられ
今回の記事になりました

義母はいくつかの持病があり何度も入退院を繰り返していました
そのたびに「もしもの場合、延命はどうしますか?」聞かれ
兄弟で話し合った末、無駄に延命するより自然な死を、と決めていました



少し呼吸が荒く入院した母でしたが
危険な状態ではないと聞き
一度帰宅しようと病院を出て間もなく
容態が急変したと連絡があり、すぐに戻りました

ICUにいた母は何事もないように寝ていました
周りに誰もいないのでナースセンターを訪ねると
母が死んだと知らされました
再度母の処に戻って初めて点滴も酸素マスクもないことに気が付きました

心臓がとまった時、速やかに医療行為が終了していたのです

「あ、そうか、延命をしないという事は、このような状態になるのだ」と理解しました

母が急変して私がICUに戻るまで10分くらいしかかからなかったのです

母を一人で逝かしてしまったけれど、きっと静かな死を迎えたのだと思いました
もし延命をお願いしていたら、母の周りはまだ慌ただしい光景があったはずです

家族や兄弟に連絡をし、母に付き添いながら
皆が集まるのを待ちましたが、私も穏やかに待っていたのを覚えています

いつか来る日、と覚悟していたことです

記者の方は、いろいろな角度から何度も丁寧に話を聞いてくださり
私どもの心情を書き記してくれました

どんな送り方をしても
遺族にとっては、なにがしかの後悔は残ります
でも、自然な最後を選んだことは、夫も私も後悔をしていません

今回の取材は、母の死を見直すいい機会になりました

高齢者の「みとり」

2010年08月03日 | 尊厳死宣言とは
都内の特別養護老人ホームで
高齢の入所者が死を迎えようとするとき
「自然なみとり」を行っっている。

高齢者の死を「自然なみとり」で、と望む家族がほぼ100%だという。

この施設では
食事が取れなくなった時、が節目と考え
家族の希望を受け入れて
水分と電解質の皮下点滴を始めるそうだ。

「床擦れもできず、血管を傷付けないため
皮膚の内出血や化膿もできず、急な脱水も起きないので
静かに安定した状態でみとりを迎えられる」という。

この施設でも以前は
死を迎えようする入所者は病院へ搬送し
延命措置を施していたそうだ。

2006年から自然なみとりで30例を体験し
点滴を始めて1週間から2か月程で死を迎える。

栄養は補給せず治療行為ではないので長期の延命には
結びつかないが、症状を緩和し衰弱を穏やかにして
みとりに導く。

今年6月に母親を看とった女性は
母親が食事をとらなくなり、5月7日に施設や医師から
自然なみとりの説明があり皮下点滴を始めた。

「毎日可能な限り付き添ったが徐々に会話が成り立たなくなった。
みとりで合意をした後も、状況をみて対応してくれたし
延命措置をしないで逝きたい、と話していた母の希望も叶えられ
家族も本人も心残りなく人生の最後を迎えられたと思う、と
看取った女性は語る。


8月2日付けの東京新聞で載った記事です。

この方法だと苦しむこともなく声がけもできる、という。

一般的に病院で迎える死は、これとは程遠い。

人は生まれる時間を安易に調整してはいない。
自然の状況に任せている。

ならば、
老衰して死んで行く時間も
安易に調整してはいけないのではないだろうか。


ホスピスで亡くなった方の話

2008年11月16日 | 尊厳死宣言とは
先日、緩和ケアのコメントを頂きました。
癌治療だけでなく、病気治療中の痛みを患者は我慢してしまうんですね。
病気を治しているのだから痛みがあってもしょうがない・・・と
でもそれは、本来の病気より辛い場合も多いようです。
つい数日前の新聞にもそんな記事が出ていました。

癌の末期になると、緩和ケアが考えられます。
ホスピスは緩和ケアを行う所です。
癌の治療はせずに、痛みを和らげる処置のみをしてくれます。
死期が迫った人が、安らかな時間が過せるように配慮してくれます。
家族も一緒に過すこともできます。

随分前になりますが、あるホスピスの講演会に行ったことがあります。
そのホスピスでの患者さんの様子や
亡くなった後のご家族の追悼集会の様子を聞きました。

そこには、死期が迫らないと入院できません。
確か3ヶ月が目安です。
病室は自宅のように私物が持ち込まれていて
着る物も自由。家族も寝泊りが出来るそうです。
そして、痛みをとることに専念し
その他は、何をしても自由だそうです。
ホスピス内にある教会で自由に祈ることが出来
牧師さんが宗教を超えて、話し相手をしてくださるそうです。

皆さん、穏やかに死を迎えると聞きました。
まさしく、尊厳死ですね。
尊厳死宣言の内容も、このホスピスの信念と同様だと思います。
癌だけでなく、他の病気でもこんな死が望ましいと思うんですが。
ホスピスはがん患者しか入れないと聞きました。

そこのホスピスで亡くなった方の葬儀をお受けしたことがあります。
ホスピスにいる間に牧師さんの話を聞き
心静かに死を迎えられたそうです。
まだ、40代の男性でした。

亡くなる前に自分が死んだら、あの牧師さんに葬式をしてもらいたい
と、言い残されたそうです。

奥様は、そのとおりにキリスト教での葬式を依頼されました。

牧師さんと通夜の前に打合せをしているところに
故人のご両親や親族が到着されました。
故人のお父さんは、菩提寺の檀家総代でした。
キリスト教の葬儀はもちろん反対です。
しかし、息子さん本人の遺言でもあり
すでに準備が整っていた為、事を荒立てた訳ではありませんが
険悪な雰囲気が漂っていました。

しかし、葬式が終わったときには「お世話になりました」と
帰っていかれました。
地元で、葬儀をし直すそうです。

宗教の問題はそう簡単に解決できたり
譲ることのできない問題です。
奥様は、問題を抱えることを覚悟で牧師さんにお願いされたと思います。
それだけ、ホスピスで過されたご主人の時間が
意味深いものだったのでしょうね。

そのホスピスでは、皆さんが亡くなるはずですが
過去に1名だけ、元気になって退院した方がいるそうです。
信念を持って「野菜スープ」で癌を治すと
毎日スープを作り続けて頑張った方だそうです!

尊厳死宣言

2008年06月21日 | 尊厳死宣言とは
尊厳死って聞いたことがありますか?

将来、治療しても回復の見込みが無い病気になってしまった。
又は、突然倒れて、植物状態になって回復する見込みが無い。
そうなったら
延命のための治療は拒否して、自然に死を迎えたい・・・・・・

こんな状況を想像したとき
多くの人は、むやみに死を引き伸ばすのは無用だと言います。
器械で生きている、そんな最後は迎えたくないと。

しかし、実際にそうなった場合
簡単に、自分の希望するようにはなりません。

本人はいくらでも、勝手なことを言えますが
まだ死んでない本人を目の前にして
家族が、延命を絶つ決断をするのは、決して簡単なことではありません。

早く楽にしてあげたいと思う者もあり
亡くなるのは解っていても、最後まで頑張って欲しいと思う者もあり
家族の中でも、皆が同じ思いとは限りません。

又、本人の「延命治療を拒否する」という明確な意思が確認できないと、医師が希望を受け入れないこともあります。

本人の意思がきちんと証明できることが重要です。



私は見送る側として、その決断をした経験があります。

叔母は88歳で1人住まい。家族はいません。
80歳になる私の母が妹に当たります。

母は東京に住み、叔母は横浜住まいです。
たまたま、姪の私が、叔母の家から徒歩15分くらいの所にいました。

叔母は、突然の心臓発作で、私に最後の力を振り絞って電話をくれました。
急いで駆けつけ、救急車で病院に運びましたが
到着した時点で心停止です。

暫くの間、医師による心臓マッサージが行なわれましたが
心臓は動きませんでした。

医師から、呼吸器を装着するか?と聞かれたとき
一瞬、母の顔が浮かびました。

多分、母に連絡したら、「自分が行くまで生かして欲しい」と言うのではないか
と思ったからです。

しかし、医師からは「年齢を考えても、意識が戻る事はないし、死も近いだろうだろう」と告げられました。

私は、母に告げずに、このまま叔母を逝かせる決意をしました。

叔母の死が確定し、処置をして頂いてる間に
母に電話をして、叔母が亡くなったことを連絡しました。
午前4時でした。

叔母に対して、悪いことをしてしまったのではないか・・・
本当にこれで良かったのだろうか・・・と言う思いは暫く続きました。

この後ろめたい決断を母にさせなくて、良かったと思っています。
どちらの選択をしても、母は後悔したと思うんです。

癌の場合は、告知を本人が受けることもあり
自分の意思で、最後まで諦めずに生きる努力をするか
無駄な治療は拒否して、静かに自分の死を受け入れるか
選択する時間があります。

しかし、急な病気や、事故で意識がなくなった場合こそ、
尊厳死を希望するなら、宣言しておくことが必要になります。

私はエンディングデザイン・コンサルタントとして
法的効力のある、尊厳死宣言公正証書の作成を推進しています。

日本尊厳死協会に登録すれば
尊厳死宣言書を作ってくれますが、他にも宣言をする手立てはあります。

私がとても信頼している先生方が
ユアー・エージェント(045-222-7364)と言う所で、相談をすると
すべての手続きをしてくれますし、その後に意思変更があっても対応してくれます。

必要なこと、大事なことと思っても
1人でことを起すのは、結構大変なことです。

そのため、こういうサポート体制が気軽に使えたり
問い合わせが出来るのが大切だと思います。


家族に延命治療の決断の苦渋を与えない。
意識がなくなっても延命治療拒否の意思を表明したい。
延命だけが目的の高額な治療費を家族に追わせたくない。

このように考える方は、何らかの手を打つべきです。


尊厳死宣言とは
①私の病が現在の医学では不治の状態であり、概に死期が迫っていると診断された 場合には徒に死期を引き延ばすだけの延命措置は、一切お断りします。
②但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は、最大限に実施してください。そのた
 め、例えば麻薬などの副作用で、死ぬ時期が早まったとしても一向に構いませ  ん。
③私が数ヶ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置
 を取りやめてください

以上の内容を家族、縁者、医療に携さわっている人々に対して宣言をしたものです。