柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

代官山の蔦屋書店に行きたいな!

2012年12月29日 | 世の中
このところ、代官山にある蔦屋書店がよく紹介されます

中高年をターゲットにした書店つくりをしているそうです
ここには本のコンシェルジェが7人いて、あえて接客のプロではない人を公募したそうです

コンシェルジェは自分の得意な専門分野を持つ人を
人生経験を活かして
人との触れ合いを重視して、採用され
そのコーナーの、本の選別から置き方など
すべて任されます

そのコーナーを訪れた人は
自分の興味にぴったり合う本を選んでもらったり
本以外のアドバイスを聞けたりするので
多くのリピーターを得ているそうです

またラウンジがあり
お茶(お酒も)を飲みながら
本を閲覧ができ、その後に買っていくことができます

何の目的もなく来ても、楽しく時間が過ぎていくそうです

その他に
「ない映画はない」というほどの映画コーナー
幅広い音楽、文具、トラベルと多くのフロアーがあります


こういう大人の空間や大人としての接客って
あまりなかったですね

景気が悪い
本が売れない
紙離れしている、と言われますが

そもそも、お客様の欲しかった物に
気が付けば、ちゃんと商売はできるのですね

これはどんな仕事にとっても
いいヒントだと思いませんか?

無宗教の模擬葬儀

2012年12月28日 | 葬儀の世界
今日は、神奈川こすもすさんが企画された無宗教の模擬葬儀を拝見してきました

場所は横浜の鶴見駅近くにある「ダビアスリビング」です

葬儀の施行を一生懸命にしていていると
喜んで頂けるご遺族と、あまり喜ばれないご遺族がいることに気が付く
それは式場とそのご遺族の気持ちが沿っていないのではないかと、感じる
家族葬が増えた今、葬儀の在り方も故人やご遺族のお気持ちや状況に合わせて
作っていかなくてはなない
今回はあえて、当社に入社して間もない社員3名の企画運営に任せてみた
専門家の立場から、厳しいご意見を頂きたい

との趣旨を伝えられ、模擬葬儀は始まりました

納棺は旅支度ではなく、故人らしい旅立ちの準備と考え
親族の献灯
故人の愛用した目覚まし時計のベルを聞き
すでに愛用の服を着た故人に
親族がひとりづつ、旅立ちの準備をします

ご遺族がひと針、ひと針刺した刺繍のハンカチを納め
ヘヤ―ブラシで整髪
パウダーを肌に塗り
ハンドクリームで手をマッサージ
愛用の水りをふり
首にスカーフを巻く

全員で納棺をする

その間、部屋の照明は落としてスタンド照明と
献灯したキャンドルの明かりのみで
BGMの流れる中、行われました

その後、式場前で記帳
メッセージカードが手渡され書き込んだ後
メッセージボードへ貼り付けてから式場内へ

告別式が行われます
長女の挨拶
黙祷
献奏(全員で合唱)
長女から母への言葉
友人からの言葉
喪主挨拶

以上で告別式は終了
ここでも照明は絞られています

お別れの準備でいったん式場外へ移動
再度、式場内へ誘導
その時に会葬者はキャンドルを持たされて入場
棺の近くにキャンドルを飾り
棺に花を入れ、皆に書いてもらったメッセージボードを納棺して
出棺へ

乗棺の際にフラワーシャワーを用意
出棺


以上が模擬葬儀でした

葬儀の施行体験が少ないメンバーで
作った無宗教の模擬葬儀ですが
結婚式をふっと思わせる企画でした

隙間なく流れる多様なBGM
初めから最後まで照明を抑えた演出は
ある意味
普通の葬儀社では考え付かなかったであろう面が
見受けられます
その反面、葬儀社主導の式進行に偏った感があり
無宗教であるのに、遺族はお客様状態ですが
彼らの経験値から思ったら
しっかり模擬葬儀を見せた、と言えるでしょう


こんな挑戦をさせてくれる葬儀社は珍しい
まして、それを葬儀の専門家と言える人に披露したのですから
こんなにいい経験、良い意見を頂ける機会はありません

家族葬ばやりですが
式の規模の違いだけでなく
少人数だからこそ、引き立つ企画を
ご遺族の話から、ひきだす努力が必要ですね




またまた、エンディングノートの取材です

2012年12月23日 | 世の中
週間ポストから取材を受けました
???

何の取材かと思ったら
またまたエンディングノートの取材でした

先週の週間ポストでは
たしか10月に亡くなった金子哲雄さんの
「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」の
記事が書かれていました

その続編でしょうか
1月4日発売のものですが
エンディングノートの特集のようです
私のコメントが少し掲載されます

そして12月28日 午後8時に
6月に放送されたNHKEテレの「団塊スタイル」が再放送されます
これもエンディングノートの特集でした

今年は私自身も「アクティブノート」という題名で
エンディングノートを発売しました
お陰様で700部近くを販売し
更に1000部ほどの予約を頂いています

エンディングノートは買っていただくだけでは
何の意味もなく
書き上げていただくように
後押しを色々なところでしていただいています

事前相談に加えてエンディングノートが
今年の大半の仕事になりました

この傾向は
まさしく自分自身の人生を
終末まで視野に入れて頂いた結果です

そして何より
葬儀社の方々も葬儀から
大きく視野を広げた結果でもありますね

週間ポスト と NHK「団塊スタイル」
良かったらご覧ください


もういくつ寝ると、お正月・・・年の瀬は大忙し

2012年12月19日 | お仕事
先週末、FPの方向けにセミナーを行ってきました。
エンディングノートをいかに活用するか、という演題だったせいか
こちらも定員満杯の状態でした。

ここ数年、FPの方には年に2回のセミナーをしていますが
葬儀の話は皆さん興味深いようです

その足で、そのまま三河安城へ向かい
翌日は、愛知県西尾市の葬儀社クロトさんの終活セミナーで
やはりエンディングノートセミナーを行ないました。



地元紙の取材があり、掲載していただいたようです

当日、同じクロトさんで、NP少額短期保険の倉田社長が
先月亡くなったお父様の葬儀の話を講演されました
お父様はエンディングノートを実際に書かれており
その意志を活かした葬儀をされたそうです

また葬儀の収支を表にされ
ほぼ持ち出しがない状態で200名の会葬者がいらした葬儀を終えたと
説明をされてました

これは説得力がありました!


そして月曜日は巣鴨の葬儀の専門学校で
今年最後の授業をしました
今年は16名の生徒がおり、通夜と葬儀告式の
葬儀社スタッフの動きを問題にして試験を行いまいました

今年の生徒には、集中して葬儀の中身を教えたので
全員が思った以上に「流れ」と「気づき」を学んでくれました
講師として、すごく嬉しいです
来年はすでに多くの入学希望があるようです

葬儀業界への就職志望は年々、高まっています


昨日は埼玉JAの幹部の皆様に講演を行い
懇親会では熱い想いを沢山聞かせて頂きました

JAも大きな勢力になりそうです


そして今日は、西東京のコムウェルさんで
地域の方々への終活セミナーで「片づけ」をお話しと
簡単な体験教室として、今日はクリスマスリースを作っていただきました

その後、ご遺族の為の「グリーフサポートの会」を開いてきました

コムウェルさんでは、これから毎月このような
終活セミナー+体験教室+グリーフサポートの会が開かれます

グリーフサポートは私が以前、葬儀社の立ち上げを任された時に
「遺族の心を語る会」と題して行ったのが、多分、葬儀業界では
初めてのグリーフサポートの会だったと思います

平成11年の事です
私が退職するまで毎月1回、7年間続けてきました
このことは、今の私の基礎を作った貴重な経験です

今回、コムウェル社から遺族会をしたい、と伺った時
葬儀社からこのような声が上がるようになったのか?と驚いたのが正直な思いでした

大阪公益社はすでに、メディアにも紹介されような立派なグリーフサポートの会を
継続されています

私には大した経験も知識もないのですが
初心に帰って、ご遺族の声に耳を傾け、少しだけ立ち直る事に
お手伝いをするつもりです


なんだか年末のせいか
目まぐるしく毎日が過ぎていきます


もういくつ寝ると、お正月ですね!






今日もエンディングノートセミナーをしました

2012年12月16日 | 世の中
9月から毎月1回、「エンディングノートの書き方セミナー」を行っている葬儀社があります
その受講者が100名を超えたので、その方たちがエンディングノートを書き上げられるように
今後、エンディングノートの各項目ごとに専門的なセミナーを開催して
継続的にサポートを続けていかれるそうです
この様な形でお客様の終活を支援している葬儀社は珍しく、素晴らしい試みだと思います


今、エンディングノートへの関心が高くなっていますが
エンディングノートを持っていても書き上げてる人はほんの一部です
自分一人では書き上げられない項目が多いのです

介護になったら、どうしたいですか?と問われても
介護の実態を知らなければ答え様がありません

遺言書を書きますか?と問われても
自分に遺言書が必要なのか?を判断することも難しいです

やっぱり、もっと学んで、自分は何を選択したらいいのかを知らないと・・・

何でエンディングノートを書き上げなきゃいけないの?
と不思議に思うかもしれませんね

子供がいても近所にいるとは限らず
夫婦で働いている世帯も多く
気持ちはあっても時間がない、経済的な余裕がない、場合もあります

また親も
自分たちでなるべく決めておきたい
世話になるのは、もっと先に、と考えています

しかし万が一の危機は
いつ訪れるか解りません

その時に何をどうしていいのか?子供に即答することは困難です
でも、親の希望や考え方が解れば、判断がしやすいはずです

それを一番解り易くしたのがエンディングノートです
多くの方々が、自分が何をすべきかを求め始めているのです

今年はエンディングノートのセミナーを一番多くしてきました
そのたびに真剣にメモする人達が大勢います

今日も愛知県の西尾市でセミナーをしてきました
ご夫妻で見える方が多いのもこのセミナーの特徴です

国民の権利を、一足お先に

2012年12月11日 | 世の中
投票日の16日は、仕事で名古屋にいます

夕方には帰れるつもりですが念のため期日前投票に行ってきました

葬儀の仕事をしていた時も

選挙の時には、社員に必ず投票に行くように、言っていました

投票時間内に仕事を抜けてもいいから行きなさい!

選挙を棄権してはいけない、と話していましたよ


私達の環境は私たちが作らないと・・・
いくら欺かれても、期待外れでも
自分の意思表示をしなければ、文句を言う資格もない

ずっとそう考えているので、ほとんどの選挙は投票をしています


区役所内の投票所は驚くほどの人が来ていました

受付を済ますと整理券が渡されて、番号が呼ばれるまで椅子に座って待ちます
思わず人数を数えたら、狭い部屋の中にざっと40人はいます

投票が終わった人と、投票所に来る人が同じようなペースで動くので
部屋の中には40~50人が切れ目なくいます

以前にも期日前投票はしたことがあるのですが
こんなに混んでたのは初めてです

皆さんの関心が高いのですね

どうしても、そこで対応している役所?選管の人か解りませんが
その人達の動きに目がいきます

混乱なく人は流れていますが
対応者は、ロボットのように決まりきった案内をしています

こんな簡単な案内に何人の人が関わっているのか?
驚くほどです

どこの企業もリストラし、仕事量が増えても人は増やさず
今までより負担が大きくなって働いています、が
ここはちょっと違うムードです


たしか「身を切る覚悟で」とテレビでどこかの党首が言ってたような?

と言って、以前の状態を〝取り戻されても″・・・・

私の父は年を取る毎に話し合いができなくなって
自分が困るとすぐに怒鳴ってましたが
そういえば父を思い出すような人もいました

そう思いながら一票を投じてきました!


エンディングノート担当者養成講座を開始しています

2012年12月09日 | お仕事
10月、11月は3社の葬儀社の方たちが
エンディングノート担当者養成講座に参加されました

2日間で8時間のマンツーマン式のセミナーです

・まだ自社では一般向けのセミナーを行っていないが
 会社の中に新しい風を起こしたい

・エンディングノートセミナーの開催が決まっているので
 知識を得たい

・すでに自社主催や地域主催のセミナーを行っているが
 エンディングノートセミナーも実施したいため

理由はそれぞれですが、皆さんが熱心に受講をされました

エンディングノートは、終活に関わる問題のほとんどが
項目としてあげられています

自分の余生を考えるには、とっておきのテキストになります

その項目ごとに、色々な情報を提供しないと
書く側にとっては結構難しい内容です

例えば
介護はどこで受けたいですか?
介護は誰にしてもらいたいですか?

こんな項目がよくありますが
介護の内容は?、どんな支援があるのか?、費用はどうなの?
それを知らなければ、意思決定もできません

周りから聞いている様子だけでは選ぶのには不十分です
ただ、項目に○を付けるだけなら、心もとない限りです

ですから、ノートを持っていても実際には書いていない人が多いのだと思います

セミナーで介護施設の種類や選び方、費用などを説明すると
全員の方がメモを取り始めます

聞きたい、知りたい情報なのです

エンディングノートセミナーを担う者であるなら
先ず、各項目に興味を持って頂くこと
知って良かった!と思っていただくこと
もっと考えよう!と思ってい頂くこと

楽しく、理解しやすく、ためになるセミナーをしないと
でも大変です

そんなセミナーを受けて頂いてます

以前は、病気も介護も葬儀も
みんな家族が相談して決めてくれました
でも、今は十分に相談する時間もなく
また、いつおきるのか予測が付きません

近くに家族がいない方が多いのを考えても
自分である程度は決める必要が有ります

その意志が解れば、家族はずっと支えやすくなります

その為にも多くの方がエンディグノートを書いてみよう
と思っていただけると、嬉しいのですが・・・

しかし、今、葬式に行く意味がない・・・

2012年12月04日 | お葬式
家族の死を自分たちだけでなく、縁のあった人には知らせて!
と、私はいつも思っています

が・・・

そう言い切れない大きな問題があります


葬式では故人と対面して欲しいし
ご遺族とも話をしてほしい
その触れ合いが必要だからこそ
葬式では、行きたい人を受け入れて欲しい、と思っています


しかし現実は、通夜に行って
受付で記帳して、香典を渡し、返戻品を受け取る

式場に入ると席に案内され
遠くに遺族や親族が座っていますが、話しかけるタイミングはありません

式が始まり焼香をし
地域によっては、式の途中で
通夜の振る舞いを受けて帰ります

式の最後まで着席している地域でも
閉式後に喪主の挨拶を受け
そのまま、出口へ誘導され帰ります

葬儀告別式も出棺前の花入れ時に、故人対面はしますが
遺族と言葉を交わすには時間はありません
目があって会釈出来るくらいです

こういう葬式が日本中で行われています

この状況のどこに、故人と逢って
遺族と話をする余裕があるのでしょう?

そのことに疑問も持たずに葬式を運営しているのが葬儀社です

ただ、記帳して香典を渡し、焼香するだけなら
葬儀に行くのも「義務」になってしまいます
誰かに香典を頼めばいい、と感じても仕方がありません

「あー、良い葬儀だった。葬式に来て良かった。」と遺族にも会葬者にも
感じさせる〝ふれあい″は、今の葬儀にはありません

会葬者として葬式に行っても、行かなくても同じと感じたら
遺族になった時、「無理に呼ばなくてもいいでしょう。迷惑かけるから」
と、考えてもしょうがないですね

親しい人が亡くなって
胸がドキっとして「何が何でも駆けつけなきゃ!」と出向き
故人に対面して、顔を見て心の中でお別れをして

遺族に合ったら
ご家族の様子はどうか?
一体どうして亡くなったのか?
今までの苦労をねぎらいたい
今までのお礼を言いたい、
自分にできることがあれば?
そんな会話を交わすことができれば
葬式に行く意味を深く感じることができます

私のいとこは、自分の母親の葬儀の時に
「今まではただ葬儀に出ていたけど
今回喪主になって、皆さんが来てくれたことが
こんなに有難いと感じる事ができた
これから葬儀に行くときには、そのことを思い出して行く」と言っていました

この従姉妹は、通夜の1時間以上前に来てくれた
母親の友人たちと母親の思い出を語っています
自分の子供時代の話もでて、淋しいけど嬉しい時間だったと言っていました

来てくれた人たち全員と話ができる通夜をしてほしいです
葬儀告別式もそうありたいけど
火葬場の都合を考えると、難しいでしょう

でも通夜なら、
通夜開式1時間前に、遺族親族だけで僧侶を迎え
じっくり通夜の読経を聞き
その後に、通常の通夜時間に会葬者を迎え
故人を中心に遺族、親族、会葬者の対話が出来ます

もっといい方法があるかもしれませんが
私はこの方法で父を送りました
お寺様も快諾してくださいました

遺族全員が納得でき、会葬者の方々も
今までで一番いい葬式だったと言って下さいました
遺族と会葬者の距離は無く、同じ場にいました

縁のあった人の葬式に
行きたい!
行って良かった!
と感じてもらえる工夫はできないもでしょうか?










私は、家族葬を増やしたくない!のです

2012年12月02日 | 家族葬
今年もあと1か月となりました
来年の葬儀業界の展望は?と取材で聞かれました

ますます葬儀は小規模化し、葬儀単価は低廉化する・・・
どこでもこの様な話が満載ですが
私はこの話に、どうしても「ハイ」と言えないんです

家族葬を望まれる方が多いのは確かですが
実際の会葬者人数の平均は100人前後です

しかし、葬儀会葬者はそれより減少している
と、訴えている葬儀社も多いんです

会葬者減少は止めようがない!
故人も遺族も高齢者になり、地縁も薄くなっている!
さも、それが当たり前のように言いますけど
人との関わりがない人はいないでしょう

葬儀社は、葬儀の事前相談や受注時にどんな話をしているのでしょうか?
ご遺族の希望される葬儀を受け入れる前に
葬儀の大事な話をしているのでしょうか?
「人の死に別れ」は選ばれた人にしか与えられないのでしょうか?
亡くなった人の縁は、家族が全部知っているのでしょうか?

いま、高齢者に好評な「エンディングノート」に、多くの葬儀社も力を注いでいます
エンディングノートには、「私の事」を書くページが、先ず最初にあります
殆どのエンディングノートがそうです

なぜ?
家族が知っている人となりで、いいのであれば
「私の事」など、あえて書く必要がないですね

でも、家族といえども知っているのはその人の一面でしかないのです
両親の過去等知る人は少なく趣味や嗜好や特技でさえ把握していない事も
青春時代をどう過ごしたか?
どんな将来を夢見ていたのか?
子供にとって、親のそれを知ることはとても興味深いものです

それを知ることで
父親や母親という枠を超えて、1人の人間として捉える事ができます

そこで触れ合った人達が、その死を知ってどう思うのでしょうか?

私は父を亡くした時、十数年も逢っていなかった90才近い友人が
葬儀に友人を引き連れて駆けつけてきたのを見ました

また、躊躇する母に距離を置いた友人に父の死を知らせる事を勧めました
その人達も大半は駆けつけてくれました

その人達は、父の死を知らせたことを喜んでくれました
又、それ以上に母や私達家族は、来て下さったことに感動し、感謝しました
反対に私が葬儀に出向くときも、故人やご家族に弔意を伝えたいといつも思います

そう考えると、葬儀の場には、家族や親族以外にも
縁を持った人たちの気持ちがあふれていると思いませんか?
どの葬儀の現場にも、同様の場面があります

そのことを、一般の方々のセミナーでは毎回毎回、話をし続けています
家族の死は、普通に知らせてほしい、と
すると、その中で家族葬を考え直す人々が何人もいます

葬儀社はその別れの大事さを、ご遺族に伝えて葬儀を受注しているのでしょうか?

葬儀が小さくなっているのは
家族を亡くした経験のない人達が、何も知らないまま
葬儀の準備をするからではないでしょうか?

家族葬も葬儀の一つ形に違いありませんが
選択するには、家族の死がもたらす立った一度の縁を
葬儀の役目を、十分に話す必要が有ります

それが、何一つ説明されていない現状では
葬儀をする意味も見つけられず、人との別れの意味も見つけられず
家族と親しい何人かで済ませればいい、と思っても仕方がありません

それがなければ、また来年も葬儀の小規模化はどんどん進むでしょうね